ブリヤート人の想像以上の多様性
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の山越康裕教授によると「今日のブリヤート人はロシアに40万人、モンゴルに3万人、中国に7000人ほどいるとされる。ロシアでは主にバイカル湖の周辺に位置し、ロシア連邦を構成するブリヤート共和国に住んでいる。もっとも、ロシアのブリヤート人は、バイカル湖の東側と西側の住民では言語や文化が違い、西側は早い時期からキリスト教を信仰し、定住化も進んでいた一方、東側のブリヤート人は仏教徒だ。またモンゴル国内ではブリヤート人は東部のヘンティー県やドルノド県に多く住む」という。山越教授の専門は、なかでも少数派といえる中国内蒙古自治区の東北部に位置するフルンボイル平原に暮らすブリヤート人についてだ。彼らはシネヘン川(錫尼河)流域に暮らすことから、「シネヘン・ブリヤート」と呼ばれている。ロシア革命時に中国に亡命した人たちの子孫である。
この地域には、もともと遊牧で暮らしていたモンゴル人や漢族、清朝を興した満州族だけでなく、大興安嶺という黒龍江(アムール川)を隔ててシベリアに連なる深い森に暮らしていたダフール族やエヴェンキ族といった少数民族も住んでいる。ちなみに日本の「ガチ中華」を代表する味坊集団の梁宝璋さんが来日前に住んでいたチチハル(黒龍江省)にも近い。
山越教授は2000年以降、毎年のようにフルンボイルを訪ね、シネヘン・ブリヤートの言語状況をフィールドワーク調査してきた。彼らはこうした多民族状況下に暮らしているため、さまざまな民族語を日常的に使い分けているという。それはバイリンガルやトリリンガルどころの話ではないそうだ。
こうして国をまたいで分断されたブリヤート人たちが団結の意志をみせるのが、2年に一度、ロシアやモンゴル、中国と場所を変えて行われるブリヤード人の祭典「アルタルガナ」である。
今年は7月下旬、モンゴル北部のボルガン県で開催された。「モンゴルのぞき見」という情報サイトを通じて、現代モンゴル文化を紹介している編集者でありライターの大西夏奈子さんの友人で、日本在住のホーミーと馬頭琴の演奏家であるボルドエルデネさんは、この夏、奥さんと生まれたばかりのお子さんとモンゴルへ里帰りして、この祭りに参加したそうだ。
彼は2001年にモンゴルで開催されたホーミーの大会で優勝し、これをきっかけに栃木県のモンゴルゲルの宿泊施設から招かれて日本へ移住し、ソロで演奏活動を始めたという人だ。チェレンハンドさんと同じドルノド県出身のブリヤート人である。
今回のコラムでは聞きなれない多くの地名や人物名などがたくさん出てきてわかりにくいところが多かったかもしれない。筆者自身も多くのモンゴル関係者から教えられたことばかりで、ほとんどの話題が一からの勉強だった。
都内のモンゴル料理店を訪ね歩いたことから始まったディアスポラの民の食の世界への旅を通じて知ることになったのは、モンゴル平原を中心にシベリアやユーラシアにまたがる広域に暮らすモンゴル人と一般に呼ばれている人たち、さらにはその一族であるブリヤート人たちの想像を超えた多様性だった。それは歴史を通じて国境線が次々と書き換えられてきた、多民族が暮らす大陸国家で生きる彼らの姿の反映であることも。
もし都内にこれだけ増えたモンゴル料理店を訪ねる機会があったら、オーナーやスタッフの人たちの出身地について訊ねてみてはいかがだろうか。モンゴル草原に果てしなく広がる青い空や雲、そしてそこに暮らす人々に対する想像力をふくらませることで頭と胸がいっぱいになるかもしれないから。