もうひとつは、岡山の養豚農家のちょっと強面な田中さんである。飢え切った状態で岡田さんと知り合った義之たちは、2カ月ぶりのまともな食事と風呂と布団で、人間らしさを恢復する。義之たちを圧倒するのは、家族と遠く離れて暮らしながら、豚を解体して塩漬けにし、薪で風呂を焚き、近所の農家と作物などの交換をして生き延びている田中さんの逞しさだ。義之たちは田中さんに教えられながら、初めて田舎の”労働”に従事する。
私事だが戦争中に祖母が、着物を持って農家を訪問し芋やかぼちゃと交換してもらっていたという話を思い出す。つくづく、こういう時に都市の消費者は弱く、地方の生産者は強いと思わざるを得ない。
荒れ果てた都市部を離れるに従って、以前とほとんど変化のない地方の自然の光景が家族の前に繰り広げられているが、それがもっとも懐深く豊かに描かれているのは、この田中家滞在の数日だ。
しかし自然は終盤で、この家族に牙を向く。流れの急な川渡りの場面で水面すれすれに据えられたカメラはそのまま、水に首まで浸かって筏を押しながら必死で泳ぐ家族の視点と重なっており、息苦しさが嫌が上にも増幅されている。
ここで家族は、絶望的な状況の中で、それでも最後まで何とか父たらんとした義之を一旦失う。これは彼らにとって、最終的な家族再生に向けた過酷な通過地点だ。
東京を出てから3カ月、崩壊しかかっていた家族のかたちは確実に変化する。光恵の故郷の鹿児島で、それまで想像もしなかったまったく新しい生活を始める一家。この映画は、大規模長期停電という異常事態を設定することにより、消費に慣れ切った都会人が生活の大転換を経験しながら、それぞれが一回り成長し家族関係を再構築していく姿を描き出している。