「経営」というと「お金もうけ」のイメージが強いと思います。そんな印象が強いばかりに「学校経営」や「病院経営」、「NPO経営」と使われると、学校や病院、NPOの現場にお金もうけの考えをもち込んでいるように受け止められてしまうことがあります。ですが、お金は経営という多様な活動のなかの要素のひとつに過ぎません。むしろ企業経営やお金もうけというイメージこそ「経営という概念」への誤解です。言葉は大事です。思考を縛ってしまいますから。ですから、経営という言葉を本来の意味に戻したほうがいい。『世界は経営でできている』(講談社現代新書)などを通して、これまで私が主張してきたことです。
経営という言葉は、もともとは中国の古代王朝、周の時代の「徳治政治」を表すもので、今から約2600年前にできたとされる儒教の重要な古典『詩経』『書経』にすでに登場しています。当時の暮らしを支えた天文台(霊台)を建設した際の周の文王の名采配を「経(どこに、何を、なぜつくるのか説明すること)」「営(どのようにつくるか説明し、人々が働きやすい場を設営すること)」と表現したところから、経営という言葉が生まれました。リーダーがビジョンと創造的な場を生み出し、市民が自主的に生き生きと働くようになったという説話が、経営の本質を表しています。
「経営」の本来の意味とは何か
本来の経営とは、「価値創造という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体をつくりあげること」です。では究極の目標である「価値創造」とは何でしょうか。ここでいう価値創造は「他者と自分を同時に幸せにすること」を意味しています。「価値を創造すること=他者と自分を同時に幸せにする道を見つけ出すために知恵を振り絞ること」、これがすべての土台にあります。
しかし、現代では、経営と聞いて「価値創造を通じて対立を解消しながら豊かな人間の共同体をつくり上げる知恵と実践」を思い浮かべる人は少数派になりました。企業経営者に「経営は価値創造」と話をすると「社会貢献ですか」と聞かれることがあるくらいです。もちろん結果として社会貢献にはつながるとはいえ、そもそも社会貢献とお金もうけを切り分けること自体が間違いなのです。
企業経営者が重視している、売上高や利益、時価総額を増やすことはもちろん大事です。ただ、それは経営のひとつの側面であると知ることもそれ以上に大事なことだと思います。繰り返しになりますが、「他者と自分を同時に幸せにする」という価値創造を通して、豊かな共同体をつくり上げるために「世の中にある幸せの総量をどれだけ増やせたか」「幸せを創出するためにどれだけ頭を使い、脳と額に汗をかいたのか」というのが「経営」です。