私が質問をした次の瞬間、それまでにこやかだったダイレクターは真顔になり、「僕は平和を伝えるためにこの仕事をしているのです」と答えてくれた。「関ヶ原も同じなんです」と私が少し興奮して言うと、彼は一変して柔らかな表情に戻り、私たちに向かって「ベルギーはビールが有名なんですよ。まずは一杯やりませんか?」と微笑んでくれたのだ。
そして翌年3月には、古戦場の歴史的な意義と平和の尊さを発信し、交流を続けるという「世界古戦場サミット共同宣言」の表明にも至った。こうして私のなかでの関ヶ原は、戦いの場から、「平和を考える」場として意義と意味を持つようになっていったのだ。
「せきがはら人間村生活美術館」の存在
その後、コロナ禍を挟み、ロシアのウクライナ侵攻など、終わりの見えない不安定な日々が続いていたなか、2023年(令和5年)2月5日、ひさしぶりにくっきり晴れた青空のもと、私は関ヶ原で1つのアート作品の除幕式に参加した。
前述の「平和の杜」をつくった関ケ原製作所の二代目社長・矢橋昭三郎氏が、会社の敷地内に約40年かけて社員や作家とともにつくりあげてきた「せきがはら人間村」に設置された、世界的彫刻家の李禹煥(Lee Ufan)氏の作品「関係項−アーチ・関ケ原」の除幕式典だった。
関ケ原製作所は、創業70年、精密石材製品から船舶用クレーンやトンネル掘削機などの大型製品まで、多種多様なオーダーメイド製品を展開する県内でも有数のものづくり企業だ。特筆すべきは、広大な敷地内の至る所に膨大な数の絵画や彫刻などのアート作品、カフェや食堂、美術館、研修棟、ゲストハウス、子どもたちが自由に遊べる公園などが設置されていることだ。
それらの大部分は、矢橋昭三郎氏がライフワークとしている「限りなく人間ひろばを求めて」という理念の一環として、独自の美意識によって構築されたものだ。その集大成として選んだのが「関係項−アーチ・関ケ原」だった。
日本の東西の分岐点であり、戦いから平和への転換点となった関ヶ原という場所だからこそ、未来へと続く入口として、ここに存在しているのだと、私は紺碧の空を背景に輝くアーチを観ながらつくづく感じた。
関ヶ原は、やはり特別な場所なのだ。それは実際にこの場所に立つとよくわかる。関ケ原古戦場や記念館を背景に、「せきがはら人間村生活美術館」の存在が、過去の記憶とともに未来に向かって伝えようとしているメッセージを、さらに際立たせてくれているからだ。
この場所は、今後、国内外のアート愛好家だけではなく、歴史や戦国時代ファンにも愛されていく、岐阜県の誇るべきユニークかつ素晴らしいサステナブルな観光地になっていくことだろう。
そして日本が、世界が誤った道に進まないよう、私たちはこの先もこの地の歴史から学び、自然のなかにある真善美について、アートを通じて感じていくのだ。あたり前の暮らしができる平和の尊さを発信して、明るい「光」で地域を、日本を、そして世界を輝かせていくために。
岐阜関ケ原古戦場記念館 https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp/
関ケ原製作所 https://www.sekigahara.co.jp/
せきがはら人間村美術館 https://www.sekigahara.co.jp/ningenmura/index.html