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2022.10.11 08:00

世界史から学ぶ、現代社会におけるルールメイキングのヒント

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「ルールメイキング」はいまにはじまったことではないことは自明だ。「ルールの歴史」から私たちが学ぶべきことはなんだろうか。


歴史をひも解くと、ルールは創造と破壊を繰り返して変遷してきた。ルールの興亡の歴史を知ることで、現代社会のルールメイキングにヒントはあるのか。『ルールの世界史』の著者、伊藤毅に話を聞いた。

──ルールの歴史の始まりは

伊藤 毅(以下、伊藤):そもそもルールは、人間に備わった本能である「遊び」というコミュニケーションにおけるツールとして生まれた。遊びはゲームになり、スポーツの発祥にもルールは欠かせないものとなる。

国家が生まれると、中世までのルールは、法律や宗教を使って人々の感情を抑えるためのものだった。ハンムラビ法典など、多くの国で法律は神聖不可侵だった。

商業社会になり貨幣経済の時代になると、ビジネスが広がって人々の欲求にどう対応するかがルールメイキングで重要になってくる。これが大きな転換点だった。ビジネスのために資金をどう集めるかをルール化し株式会社が生まれたように、人々の欲求や信用をルールによって整理する必要が出てきたのだ。

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1894年。世界で初めてのカーレースがフランスで開催され、蒸気自動車、ガソリン車などが参加。レースは絶大な人気となり貴族やジャーナリスト、実業家を巻き込みレースルールが形成されていった。やがて世界初の自動車産業協会となっていく。

──19世紀、産業革命とともに自動車の誕生というイノベーションが起きた。ここでイギリスとフランスの対応の違いが、ルールメイキングを考える上で興味深い。フランスでは自動車産業が発展するが、イギリスでは既存の馬車事業者と衝突し、悪名高い「赤旗法」(自動車を走行させる際は赤旗を持った人に前を歩かせるという法律)が産業の発展を自滅させる。全く異なる結果を招いた原因は。

伊藤:イギリスはボトムアップ型の議会制度が成立しており、民主主義による活発な議論の中でルールメイキングが行われたが、自動車と馬車の利害対立を生んだ。それに対して、フランスは王室の時代からトップダウン型だった。ナポレオン三世は未来の都市では道路は舗装されているべきとして、当時、新素材のアスファルトを使い整備し、次世代のプラットフォームづくりとなった。この頃から、国の特性や組織体制にあったルールメイキングが現れた。

ルールには4つの目的として、金儲けを目的とする「信用ルール」、産業振興のための「創造ルール」、新しいものを普及させ人々を巻き込むための「普及ルール」、企業を育成するための「育成ルール」があると考えている。

イギリスは、信用・創造ルールを膨らませるのが上手かったが、既存の馬車事業と衝突して悪法が生まれた。フランスは法律を作らずに、まずカーレースというスポーツにして普及ルールを実践した。富裕層の娯楽にすることで絶大な支持を得て、2つの国の結果が分かれる原因となった。
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文=中田浩子

この記事は 「Forbes JAPAN No.096 2022年8月号(2022/6/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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