最初の設置場所は、東京の上野駅と新橋駅の構内。翌月には京橋のたもとに最初の屋外用公衆電話ボックスが設置されるなど、徐々にその数を増やしていきます。
当時の公衆電話は「自動電話」と呼ばれていました。米国の街頭電話が「オートマティックテレホン」と表示されていたのにならったのだろうといわれています。名称に反して自動とはほど遠いシステムで、電話をかける際には交換手につないでほしい電話番号を伝えて手動で交換機の線をつないでもらいます。そのため、電話機にはダイヤルもボタンもありませんでした。
料金は市内であれば1通話5分以内で15銭、100km以内の区間との市外電話は1通話25銭以下です。5銭用と10銭用で硬貨投入口が2つあり、それぞれ硬貨が落下するときに異なる音が鳴るようになっていました。5銭はチーンというゴング音、10銭はボーンという鐘の音です。驚くべきことに、交換手はその音を電話越しに聞いていくら投入されたのかを判断していました。
そばが1杯1.5銭、コーヒーが1杯2銭という時代ですので、5分以内の市内電話で15銭というのはなかなかの高額です。高すぎると文句が出たのか、利用者が少なかったのか、3年後には市内通話は5銭(特別加入区域内との通話は10銭)に大幅値下げされます。
そこからさまざまな変遷を経て日本中に広く設置されるようになった公衆電話ですが、近年は人口の減少や携帯電話の普及により設置台数が減少。その一方で、災害時の通信手段としての有効性が見直されてもいます。災害などの緊急時に電話が混みあって通信規制が行われる場合でも、公衆電話は通信規制対象外として優先的に取り扱われるからです。
いざというときのため、自分の生活圏にある公衆電話の場所を改めて確認しておいてはいかがでしょうか。
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