栗俣:『クッキングパパ』って、必ず誰かのために考えて料理をつくり、その人に対して何かを叶えていく。つまり、100%の顧客視点で描かれた漫画だと思うんです。そこが小柳津さんの考え方とすごく近いと感じます。
小柳津:そう言われて思い出しましたが、たしかに『クッキングパパ』のエピソードはどれも、誰かのためにつくる料理の話なんですね。自分のためにつくっているって、ほぼないんじゃないかな。
僕が子どものころに料理を始めた理由もそう。自分が腹が減ってるからという理由もあるけれど、どうせみんな食べるのなら、家族のために何かつくってみよう、と。
漫画に出てきた「がめ煮」(九州の筑前煮)のレシピをメモして、日本食材店でゴボウやシイタケを買いこんで見よう見まねで一生懸命つくって、「どやっ!」と食卓に出したときの快感は、いまでも忘れられませんね。
栗俣:そのエピソードは、『クッキングパパ』第100巻の一樹くんと妹のナナちゃんのお話と重なります。
小柳津:うえやまとち先生はコミックスの巻末コラムで、いつも「料理って楽しいんですよ」と“料理愛”を爆発させています。荒岩一味(かずみ)が自分のためにつくった料理って、ほとんど思い浮かびません。常に誰かのために愛情をこめてつくり、料理を心底楽しんでいる。サービス精神旺盛な荒岩のこの姿勢が、ビジネスにおける僕のモットーにもなりました。
栗俣:いろいろな人の、時々の感情に対して、うまく入りこんできて感情移入できるのが『クッキングパパ』のすごいところですね。
小柳津:本当にすごいんですよ。二度三度読む漫画って少ないのですが、『クッキングパパ』はずっと連載しているので、どこを取っても懐かしい。
栗俣:いま読んでもまったく古びない。読むたびに、また新しい発見がありますよね。
小柳津:そうですね。特に『クッキングパパ』前半戦は、バブル経済の真っ只中。当時のナイトライフのシーンも出てきたりして、「ああ、こういう時代だったんだ」と、バブル経済を追体験できる。30年の歴史が『クッキングパパ』から見えてきます。
栗俣:『クッキングパパ』はそこがすごいですよね。『サザエさん』世界ではなく、ちゃんと現代と一緒に進んでいる。
小柳津:おっしゃるとおりです。『クレヨンしんちゃん』も『サザエさん』も時が止まっているけれど、『クッキングパパ』はちゃんとゆっくり、大人になっている。
栗俣:料理自体も古びない。いま見直したい料理が、結構あると思います。
小柳津:先ほどの「がめ煮」もそうですし、「おきゅうと」も『クッキングパパ』で知った昔ながらの料理です。