障害者の自立生活を描くドキュメンタリー映画「インディペンデントリビング」の試写会にて=2月筆者撮影
「舩後さんはいま、幸せですか?」
彼にふとこんな質問をしてみた。「舩後さんはいま、幸せですか? ご自身にとって、幸福である状態について教えてください」
舩後はまず「幸せです」と答え、20世紀の哲学者ハイデガーの言葉を引き合いに出した。『人は、自分の死と真剣に向き合ったとき、使命を確信し、それに向かって進む決意をする』(要約)といったものだ。
舩後は約20年前から「難病と障害を持つ友人たち一人ひとりを幸せにしたい」という使命感を抱くようになった。きっかけは、「死ぬ2ヶ月前」、2002年当時の主治医の勧めで始めた同じような立場の人が支援するピアサポートだったという。
舩後が他の患者の仲間として寄り添い、サポートをした人たちが、笑顔になることに気づき、社会での居場所を見つけられた気持ちになった。
当時、舩後の余命は「2003年夏まで」と言われていた。だが、それは突然やってきた。
ある6月、軽い頭痛に始まり、夏には急に窒息感に襲われた。すでに6月時点で「一生外せなくても人工呼吸器で延命したい」と伝えてあったため、速やかに人工呼吸器が装着された。生死をさまよったのは、余命宣告のちょうど1年前、2002年8月8日だった。
「今つくづく『よかった』と思うのは、難病と障害を持つ友人たち一人ひとりを幸せにするという使命を確信できたのが、『死ぬ』瞬間の2カ月前だったからです」と振り返る。
「苦難など何するものと抜け出れば 未来あらかた拓くものなり」
延命したその時から、舩後は辛いことやジレンマがあったとしても、「想像して苦境を乗り越える」と考えるようにしている。
今回の書面インタビューを行った3月上旬、新型コロナウイルスの感染リスクを回避するため、舩後は千葉県松戸市の自宅で過ごしていた。「いまは、使命を果たそうとしても果たせないと言うジレンマを感じていますが、間もなく使命を果たせる時がくるという期待感もあり、幸せを感じています」