質問した成田悠輔イェール大学助教授。(撮影=小田駿一)
──いまではスマートフォンやセンサーで、寝室でも浴室にいても監視されてしまいます。私たちの生活のプライベートな部分が縮小しているように見えますが、これはいきすぎた監視でしょうか。
最終的には、プライバシーは個人の選択の問題だ。一方で、将来的な影響がまだよくわかっていない中で、人々が限られた情報や社会的なプレッシャー、衝動性のもとで選択を迫られている点については懸念している。
例えばGDPR(EU一般データ保護規則)が定めるように、間違いを犯しても反省して忘れられる権利を持つことで、(社会信用スコアが)将来にわたって決定的な影響を与えるのを防げるかもしれない。だが、記録は政府や民間のデータベースで複製され保管されているので、忘れられる権利の行使は難しい。
私自身は、アマゾンのアレクサやグーグルホームといったパーソナルアシスタントを家庭で使っていない。そのようなバーチャルアシスタントは素晴らしい技術でとても便利だと思う。しかし、そのようなプラットフォームが私たちと供給者(店員や町の医者など)を仲介してマージンをとっているという事実のほかに、個人を特定可能なあまりにも多くの情報が記録され、将来、悪意のある社員やハッカーに悪用されないか、という懸念を持っている。
──プライベートな空間は、人々にとってどのような意味があるでしょうか。
プライベートな空間は人間にとって重要だ。ストレスが溜まっているとき、嫌なことが起きて判断力が低下しているとき、他の人を傷つけずにストレスを発散したいこともあるだろう。「政治的に正しくない」とされる考えでも、同じ考えを持った仲間内で声を出して言ったり、一緒に考えたいと思うこともあるだろう。
プライバシーは自らの社会的なイメージを守るために、我々が常に「姿勢を正さないといけない」という状態から守ってくれる(レイシーの絶望を思い出してほしい)。他者への尊敬の念を持つのを助けてもくれる。
──我々は社会的イメージに固執しがちですが、逆に固執しない個人(極端な好みや行動原則を持ち、世界から学ぶことを拒否する「頑固な」個人)が重要になる可能性はありますか。
推測するに、社会的なイメージを気にしすぎるのも、気にしなすぎるのもよくない。社会的イメージや自己イメージに固執する人は、過去の行動が必ずしもその人の深い嗜好を反映していないかもしれないので、本当は何を考えているのかわかりづらい。そういう人を我々は信用できるだろうか。しかし、社会的イメージをまったく気にしない人は付き合いづらいかもしれない。
信頼をつくるシステムや新しい監視技術の出現が社会的イメージと我々の関係をどう変えるのか。これらの問いは、SFモードで未来を研究する、また別のトピックになるだろう。
Jean Tirole◎フランス・トゥールーズ第1大学教授。1953年生まれ。マサチューセッツ工科大学(MIT)で博士号を取得。フランス国立社会科学高等研究院教授、MIT客員教授も務める。フランスを代表する経済学者として知られ、2014年に「市場支配力と規制」に関する研究でノーベル経済学賞を受賞した。専門は産業組織論、ゲーム理論、金融、マクロ経済学、心理学など。エッセイ『デジタル・ディストピア』はトゥールーズ経済学院のウェブサイトにて公開中。