5月のある日、革のジャンパーでマンハッタンに現れた著名メディア理論家、ダグラス・ラシュコフ。著書『Team Human』(『チーム・ヒューマン』未邦訳)について熱く語る姿からは、テクノロジーの膨大な知識とニューヨーク仕込みのリベラルな思想がのぞく。人間関係を阻み、行動を操るアルゴリズムに対抗し、人が一体となって社会を再建すべきだと言う。
著書と同名のポッドキャストを主催し、講演に飛び回るラシュコフに、テクノロジーの問題点や解決策を聞いた。
──『Team Human』では、インターネットやテレビなどのメディアと世界との関係が論じられています。同書を書こうと思われたきっかけは何ですか。
「チーム・ヒューマン」プロジェクトの着想は1990年代後半にさかのぼる。テレビ番組で、機械が人間を超えて進化すると主張するトランスヒューマニスト(超人間主義者)と討論したときのこと。「人間は、自分たちが滅び、機械に取って代わられることを受け入れるべきだ」と言う彼に「人間は特別な存在であり、デジタルの未来にも居場所はある」と反論した。すると彼が、「君は人間だから、そんなことを言うのだ」と返してきたのでこう宣言した。「そうだ、私は『チーム・ヒューマン』だ」と。その時、人間が存続し続ける権利を守るために本を書こうと決心した。
私は、テクノロジーの開発が反人間的なやり方で進んでいることを案じている。人間を「問題」とみなし、テクノロジーを「解決策」と考える姿勢だ。人の結びつきを後押しするはずのテクノロジーが人を分断させ、操っている。人間がテクノロジーに使われてしまっているのだ。
──『サイベリア―デジタル・アンダーグラウンドの現在形』(1995年、アスキー刊)では、当時、普及し始めたネット文化がサブカル的視点で論じられています。
同書は最初の著書だが、持論は80年代から変わっていない。本にも登場するが、幻覚剤LSD(と人間の精神の解放)について研究した米心理学者のティモシー・リアリーが初めてコンピュータを使ったとき、こう言った。「オー・マイ・ゴッド! これはLSDと同じだ」と。私も居合わせたが、(LSDが人の意識を変えるという)リアリーの考えがネットにも当てはまることを認識した瞬間だった。ネットは人々の絆や豊かさ、想像力を高めるものだ、と。
だが、その後、ネットを監視・管理ツールとみなすテック系メディアや、永遠の成長をもたらすものとみなす金融人などが登場。「ネットのおかげで、経済はエクスポネンシャル(飛躍的)なペースで成長し続ける」と考える勢力が台頭した。
『サイベリア』の最後で問いかけたように、はたして、どちらの勢力が勝つのか。ネットを市場の救世主とみなすリバタリアン(自由至上主義者)が勝利を手にするようなことになれば、自律エージェント(注:自ら目的を設定し、実行するコンピュータプログラム)やアルゴリズムが、あらゆる手を使って儲けるようになるだろう。