「ユーチューブって、悪乗りしたティーンエージャーが自分のビデオを投稿するところでしょう?」
当時、ユーチューブは立ち上げから5年しかたっておらず、インフルエンサーが数百万ドル(数億円)を稼ぐ時代はまだ到来していなかった。
ドーン家が経営するキルト用品小売会社ミズーリ・スター・キルト・カンパニー(Missouri Star Quilt Co.)は、かろうじて営業ができている状態だった。ジェニーは、子どもたちに買ってもらった機械を使って他人のキルトの仕上げをしてわずかな収入を得ており、アルはミズーリ州のカンザスシティーから約100キロ北東にあるハミルトンという小さな町でキルト用品販売の小規模ビジネスを営んでいた。
ドーン家はカリフォルニア州での苦難の時を経て、14年前にハミルトンへ引っ越していた。ミズーリ・スター会長のアルは当時についてこう語る。「インターネット上のあちこちでキルト愛好家を探したが、見つけられなかった。キルト用品販売サイトを立ち上げていたのに、誰も目もくれなかった」
マーケティング予算がゼロの中、アルはユーチューブに賭けようとした。最初の撮影では、ジェニーは緊張のあまりカメラのコードにつまずき、脚の骨を折ってしまった。また、アルが用意した台本もうまく読めなかった。
しかしジェニーは、地方の劇場の舞台に立ったこともある天性のパフマーだった。2人はすぐに、ジェニーに必要なのは、「クリスマスツリー模様のキルトの作り方」といったテーマだけで、あとは即興で演じられることに気付いた。
ジェニーの動画はユーチューブ上で大ヒットした。動画500本の累計再生回数は1億5000万回を超え、ジェニーのファンははるばるハミルトンまでやってきて、ドーン家が営む12のキルト用品店で数千ドル単位の買い物をするようになった。
ミズーリ・スターは現在、450人以上の従業員を抱え、地域有数の雇用主となっている。フォーブスは同社の年間収益を4000万ドル(約44億円)と推定している。
「ユーチューブのおかげで、私たちは突然、存在意義を得た」とアルは言う。「ユーチューブは私たちのブランドとミッションを固める手助けをしてくれた。私たちはそれ以前、母の家計を手助けしていただけだった。私たちはユーチューブによって勢いを得た」
ミズーリ・スターについては、こちらの記事で詳しく紹介している。