前年の9月の選挙では、香港衆志の主要メンバーで唯一被選挙権があったのが、ネイサンだった。香港衆志には、雨傘運動の顔とも言えるジョシュア・ウォン(黄之鋒)もいる。今回の補選は、被選挙権の年齢21歳に達しているジョシュアが出馬すべきところだが、ジョシュアは出馬ができなくなった。
ネイサンとジョシュアが雨傘運動を煽動した罪で、昨年8月、それぞれ8か月と6か月の禁固刑とされたのだ。香港の法律では禁固三か月以上の罪を犯した人物は、選挙に出ることができない。習主席の香港での演説の後の、明らかな当局の立候補潰しだった(もっともこれは当局の意を酌んだ恣意的な判決で、後に二人とも、最終法院で一審と同じく執行猶予判決となるのであるが)。
そこで白羽の矢が立ったのが、周庭である。もちろん、この状況での出馬は、覚悟がいる。当局の圧力に加えて、親北京派などからの嫌がらせはかなりひどい。電話、メールの盗聴は当たり前、ネットの誹謗中傷もかなりやられ、家族も標的とされる。時には、直接的な暴力の場合もある。それは自分一人の問題ではない。
「もちろん迷いもありました」と、周庭は言う。しかし、彼女は昨年9月に決意を固めた。「立候補をすることに決めたのです」と当時を振り返る。
まず、彼女はマスコミに出馬の意向を伝えると同時に、仲間と街頭に立つようになった。毎日、演説を続けた。抜群の知名度がある周庭の出馬は当局にとって脅威だったようだ。1月に入って、その出馬に待ったがかかった。
「ネイサンが当選した16年9月の選挙では、問題がなかった香港衆志の『民主自決』の綱領が、今回、当局に問題とされました。私の立候補は、認められなかったのです。現在、香港に法治はありません。そのとき、そのときの当局の都合があるだけなのです」
民主自決とは、香港のことは香港人が自分たちで決めるという主張である。これを習主席の演説の中の「中央の権力への挑戦」と受け取ったのか、北京は候補から排除させたのだ。
その後、周庭はすぐに民主派の統一候補の支援に回り、連日街頭に立って支持を訴えた。その結果、彼女が応援していた候補は当選した。しかし、彼女の願いは届かず、民主派は議席を減らす結果となったのだ。
今、香港市民の間で懸念されていることがある。それは今までは拒否権で廃案とすることができた、市民の自由を制限する「国家安全法」などが可決されるのではないか、という恐怖だ。
奇しくも、習主席が全人代で独裁を完成させた日、香港の民主派はかつてない窮地に追い込まれることになった。だが、落ち込んでいるかと思われた周庭だが、インタビューでは、意外にもすっきりとした表情をしていた。
今後、彼女はどうするのだろうか。
「現在、大学も休学しています。この先、当選した議員の政策研究員になるとか、いろんな道がありますが、とりあえずこれから考えます。あと、4月にはスタンフォード大学に呼ばれていて、話をするんですよ。日本にもまた行きたいですね」
民主主義についての公開討論会などに、世界中から何回も呼ばれている彼女。得意の英語で、香港の状況をこれからも世界に発信していくつもりだ。