「『サタデー・ナイト・ライブ』と同じ罠にはまってしまった。まるで『我々がトランプをどう斬るか、お楽しみに』と煽るCNNみたいになっていた。僕もマット(マット・ストーン/もう一人の製作者)もそういうのが嫌いだったのに。
新シーズンは、ロボットのふりをしたカートマンがバターズをからかったりする本来の『サウスパーク』に戻したいと思っている。子どもたちが『昨晩のトランプ見た?』と言い合うのではなく、あくまでも子どもらしい、馬鹿げた凶暴なことをする内容にね。(トランプは)もうどうでもいいよ。『来週、トランプに何が起きるか必見!』と書いた看板を立てて視聴率を上げることはできるだろうけど、興味はない」
「サウスパーク」ファンは、この発言に胸を撫で下ろしているに違いない。コロラド州の田舎町に住む小学生男子たちの日常を描いた同番組は通常、一話完結のスタイルをとっているが、昨シーズンはトランプ騒動のパロディとして、ギャリソン先生が大統領選に出馬する話がシーズンを通して描かれた。より大きく複雑な物語を描こうとする野心的な試みではあったものの、番組が現実に振り回された結果、不安定で支離滅裂なシーズンになったことは否めない。
現実のニュースが「クレイジーすぎる」
「サウスパーク」の制作プロセスは独特だ。他の多くのアニメ番組制作が工程ごとに細かく分業化され、日数もかかるのに対し、「サウスパーク」はパーカーとストーンが脚本作りから収録、アニメーションまで全過程を主導し、30分のエピソードを放映日までのたったの6日間で仕上げる。この手法により、製作者たちは「ザ・シンプソンズ」や「ファミリー・ガイ」には実現不可能な速度で時事問題を扱うことができ、またテレビ局の念入りな内容チェックをすり抜けることができてきた。物事がインターネット・ミーム化するのとほぼ同じスピードで流行を作り出し、それどころか「サウスパーク」がミームの元ネタになることもあった。
しかし、パーカーらの自然発生的な制作手法は、波乱続きの大統領選とは相性が悪かった。そもそも「サウスパーク」は、他のコメディ番組が扱わない問題に斬り込むことを信条としている。トランプ風刺は数話以上、引き延ばすべきではなかったのだ。トランプネタを続けた結果、現実のニュースの方が常軌を逸脱していき、番組一の鬼畜キャラであるカートマンさえも、ギャリソンの影に隠れてしまった。また、製作者たちがヒラリー・クリントンの勝利を予想していたことは明らかで、投票結果発表後に放映された終盤の回は混沌を極めた。
社会風刺が売りの「サウスパーク」だが、視聴者の心に長く残るのは、カートマンとバターズの他愛のないやりとりや、チリカーニバルや少年野球大会での乱闘といった時事問題とは無関係のエピソードである。「サウスパーク」の強みは、どんなクレイジーな出来事にも説得力を持たせる少年主人公たちのキャラクターであり、彼ら自身がユーモアの源泉である。子どもたちの無垢さと、彼らが遭遇する不道徳で下劣な状況のコントラストが面白いのだ。
鮮度を保ち続ける長寿番組は稀だ。筆者は昨シーズンの「サウスパーク」を見て、番組を卒業するつもりでいたが、「LAタイムズ」のパーカーの発言を読んで考えが変わった。新シーズンは視聴者に現実を忘れさせてくれることを期待したい。