死の恐怖を知ってるから伝えたいこと[南谷真鈴 #4]

南谷真鈴(写真=藤井さおり)

標高8850メートル、地上の3分の1の酸素濃度の中でのエベレスト登頂。そして、マイナス70度での南極点到達。想像を絶する経験を乗り越えた冒険家だからこそ見えてきた真実とは──。【南谷真鈴の連載第1回はこちら】

──山登りを続けてきた中で、死を覚悟するような場面はありましたか?

南谷真鈴(以下、南谷):エベレスト登頂後の2016年6月に、北米大陸最高峰のデナリに登ったときのことです。デナリは、2015年までマッキンリーと呼ばれていた山で、登山家の植村直己さんが登頂後に消息不明となった地でもあります。

山頂にアタックする日、晴天の予報だったにもかかわらず突然の大嵐に見舞われ、テントから一歩も出られず、そのテントでさえ吹き飛ばされてしまいそうな暴風に遭いました。テントも荷物もすべて吹き飛ばされてしまった仲間もいたほどです。

必死で耐えていましたが、風がどんどん強くなり、テントのファスナーはひとりでに開き、ポールはボキボキ折れてしまい……「私はデナリで死ぬのだ」と思いました。

私はキリスト教徒ではありませんが、神様に祈りました。「お願いします、助けてください。まだやりたいことがたくさんあるのです」と。それから、大事な人たちに何も言えないまま死んでいきたくはないと思い、衛星メッセンジャーを使い、SNSに最後の言葉も投稿しました。父には「愛してる」、親友たちには「いつもそばにいてくれて、ありがとう」と。

ようやく嵐がやんだのは9日後。その時にはもう疲れ果てていて、命が助かったことを喜ぶ気力さえ残っていませんでした。

──自身の死を覚悟したり、人の死を間近で見るといった経験をふまえて、人々に一番伝えたいことは、どのようなことですか。

南谷:ハピネスを優先することです。

他の人の期待を生きること、他の人の夢を生きようとする人って結構多いと思うんです。特に日本人は、親の期待に応えようとしてしまう人が多い。例えば本当は違うことをしたいと思っているのに、親に医者や弁護士になれと言われたから、一生懸命そうなるための勉強をする人もいますよね。

私自身も、かつては自分のやりたいことよりも、こうあるべき、という枠にとらわれていました。本当にやりたいかどうかは別として、将来は父が望むようにビジネスコンサルタントになるだろうと、漠然と思っていた時期がありました。

でも、自分の心と向き合ってみると、別にビジネスコンサルタントが私の本当にやりたいことではなかったんですよね。山登りをしてきたなかで、私はじっくりと自分と向き合うことができ、今は自分のやりたいことが見えてきました。

人間はもっと、自分がやりたいと思うことに忠実であるべきだと思うんです。自分の心が向いている方向に、素直になる。私はいつも「自分の心のコンパスに従って生きるべき」と言っています。それを多くの人に伝えたい。

──いま、南谷さんのハピネスはどこにありますか。

南谷:学びですね。あとは、自分の成長を感じることです。

──成長には、計れるものと計れないものがありますが、どういうところで確かめていますか。

南谷:自分の弱みや過ちを素直に受け入れて、認められるかでしょうか。

例えばこうしたインタビューなどは不特定多数の人に向けて発信されるので、私の発言が意図しない方向で受け取られてしまうこともあります。そのとき、憤りを感じるのではなくて、自分の言い方のどこに問題があったのか、あるいは、次からどのような表現を選べばいいのかを考えられるようになったことも、成長の一つだと思っています。

さまざまなことを見て、聞いて、学んで、今日の自分の方が昨日の自分よりも成長したなって。自分を客観的に観察できるようになりました。[第5回に続く]


南谷真鈴(みなみや まりん)◎1996年12月生まれ。2016年5月にエベレストに登頂し日本人最年少記録を更新、同年7月にはデナリ登頂を果たして7大陸最高峰達成の日本人最年少記録も更新した。2017年4月、北極点に到達し、七大陸最高峰と南極点・北極点を制覇したことを示す「エクスプローラーズ・グランドスラム」達成の世界最年少記録を樹立した。早稲田大学 政治経済学部 国際政治経済学科在籍中。著書に「自分を超え続ける」(ダイヤモンド社)など。

構成=吉田彩乃 インタビュアー=谷本有香

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