「ファクトリーには起業家だけでなくドイツ銀行や武田薬品といった大手企業も法人会員として参加している。企業側は先進的なスタートアップのアイデアに触れられるし、人材スカウトの場としても活用できる。ドイツ銀行はここでフィンテック関連のアイデアを募集した。フォルクスワーゲンやウーバー、ルフトハンザ航空を招き、モビリティをテーマにしたハッカソンを開いたりもしている」
16年6月のブレグジット決定以降はロンドンからやってくる起業家も増えた。
「スカンジナビア諸国やオーストラリア、アメリカからベルリンを目指してやってくるエンジニアもいる。メンバーはコーヒーマシンの前で雑談したり、Slackの会員限定チャンネルで交流してアイデアを出し合う。ここなら自分の事業が失敗しても、他の仲間とジョイントベンチャーを立ち上げて、人とのつながりの中で新しいものを生み出していけるんだ」
アートとテクノロジーが交差する街
ファクトリーという名はアメリカのポップアートの巨匠、アンディ・ウォーホルのスタジオの名に因んで付けられた。
「ベルリンはアートとテクノロジーの交差点だ」とニクラスが言うとおり、ベルリンには“欧州版インスタグラム”と呼ばれる写真共有アプリのEyeEmなど、アートに根ざしたスタートアップが多い。
他の欧州諸国と比べれば大幅に安い家賃、安くて美味しいレストラン。ヨーロッパを代表するクラブ「ベルグハイン」を筆頭に充実したナイトライフがある。クリエイティビティあふれる自由な空気が人々を魅了し、ベルリンに呼び寄せる。
「アートこそがこの街のイノベーションの源泉だ」と語るのは情報サイト「Berlin Loves You」を運営するフィリップ・エガースグリュスだ。ハイデルベルクの大学で法律を学んだ彼がベルリンにやってきたのは07年のこと。
「ロースクールを卒業して、両親は弁護士になれって言ったけど、世の中に弁護士は多すぎると思って起業家を目指した。古臭いハイデルベルクとは違ってベルリンは刺激に満ちていた。街のアートギャラリーのイベントに顔を出した時、スカンジナビアから来たDJたちと知り合ってSongBeatというMP3収集ソフトのアイデアが生まれた。結局レコード会社から訴えられて他の企業に売却することになったけれど」
当時のベルリンでは後に評価額84億ドル(14年当時)に急成長を遂げるロケットインターネットが創業されたばかり。サウンドクラウドもその頃の創業だが、まだスタートアップ企業は少なかった。
「ドイツ全体に関して言うと、フランクフルトは金融の中心。ミュンヘンやシュツットガルトは自動車産業で栄えている。けれど、イノベーションの点ではアメリカに10年も遅れている。大企業がほとんどないベルリンがテクノロジー分野でリードしていく」
エガースグリュスによるとベルリンは“欧州のスタートアップの実験場”的役割を果たしているという。
「他の国から見るとクレイジーとしか思えないスタートアップもある。売春婦を斡旋するアプリの『Holala』とか。フランスの出会い系アプリ『happen』も本国の次にベルリンに進出した。ベルリンは人種のるつぼだから、ここで成功できれば世界のどこに行っても戦えるんだ」
ドイツ財務省は16年7月、スタートアップ支援に向け100億ユーロを投じる用意があると記者団の前で述べた。
著名投資家のピーター・ティールも資金を注ぐ、8分で口座開設が可能なスマホ銀行の「N26」や、ビル・ゲイツが支援する科学者向けSNSの「ResearchGate」。電気を使用しない冷蔵庫の「Coolar」等、近年は金融やサイエンス分野のイノベーションも盛んだ。
ベルリンの壁崩壊から28年が経とうとしている。人口350万人の石畳の都市が今、ドイツの未来を切り拓く。