実はあなたの体を動かしているのは、2万1000個の遺伝子だけではない。私たちの体の中には、マイクロバイオータと呼ばれる共生微生物たちがいる。その数、実に100兆個! 人体に棲むこれらの微生物を合わせると、遺伝子の数は440万個にもなる。
これがマイクロバイオータのゲノム集合体「マイクロバイオーム」である。微生物の440万個の遺伝子は、2万1000個のヒト遺伝子と協力しながら、私たちの体を動かしているのだ。
ヒトゲノム・プロジェクトはその後、人体に棲む微生物のゲノムの総体を解析しようというヒトマイクロバイオーム・プロジェクトへとつながっていった。その結果わかったのは、わたしの体は、わたしのものである以上に、微生物のものであるということだ。
そしてわたしの中にある微生物の豊かな生態系は、わたしの健康をも維持してくれているのである。微生物がいてくれるからこそ、わたしは生き永らえていられるのだ。二千年以上にわたって西洋哲学は「わたしとは何か」を考え続けてきたが、どうやら思わぬところからその答えが出されたようだ。「わたし」とは、微生物の容れ物であり、乗り物のことだったのである。
ヒトマイクロバイオーム・プロジェクトは2008年にスタートした。それから今日に至るまで、研究が進むにつれていろいろなことがわかってきた。本書で描かれる研究の最前線にはとてつもない知的興奮を覚える。これまでの常識を覆すような研究成果が続々と報告されているのだ。
たとえば盲腸から垂れ下がる虫垂は、これまで何のためにある器官かわからなかった。さしたる機能がないのに虫垂炎を起こしたりするため、切除しても構わないという説が長い間一般的だった(私が子どもの頃はそう言われていた)。
ところが今は、虫垂はとても重要な器官であることがわかっている。虫垂はいわば微生物の隠れ家で、消化管が食中毒や感染症などで荒らされると、格納庫である虫垂から微生物が一斉に放たれ、ふたたび消化管はいつもの微生物で満たされるという。
しかし今、その微生物との共生関係が危機にさらされていると著者は述べる。
20世紀に人類は4つのイノベーションを実現した。ワクチンの開発、医療現場での衛生習慣の確立、上下水道の整備、抗生物質の発見。これらのイノベーションによって多くの伝染病や感染症が予防されたが、その一方で、ヒトにとって「ふつうではないこと」が急増しているのだ。
花粉症、アトピー性皮膚炎、肥満、糖尿病、多発性硬化症、セリアック病、過敏性腸症候群、うつ病や自閉症スペクトラム……。アレルギーや自己免疫疾患、消化器トラブルから心の病まで、過去にはみられなかった規模でこれらの病が急増しているのである。