そのパワーが先ごろ開催された第4回フォーブス女性サミットで、人権擁護活動に携わる者としての自らの役割について語った。
苦しみから決して目をそらさない
パワーはアイルランドで生まれ、9歳の時にアメリカに移住した。90年代のある日、新聞を開くとバルカン半島で撮影された、痩せ細った男性の写真が目に飛び込んできた。餓死していく人々やボスニア北部の死のキャンプの写真に衝撃を受けた彼女は、何か行動を起こさなければと感じた。
「私には支援できるだけの技術も能力もなかった」と、当時大学スポーツ担当の記者だったパワーは言う。「非政府組織(NGO)で働いて、この恐ろしい暴力から逃れてくる難民たちを支援できないかとワシントンで聞いてまわった。だが経験もないのに何を言っているのかと笑われた」。それでも彼女は諦めず、ついにUSニューズ&ワールド・リポート誌の戦争特派員になり、バルカン半島に向かった。
変化を起こせるメッセンジャー
パワーはこれまで、世界で最も危険といわれる地域で仕事をしてきた。戦場に身を置くのは危険を伴うことだが、前線の様子を伝えることを「大きな負担だと感じたことは一度もない」という。
「より良い運命を与えられるべき人たちの声を届ける役割を担おうとしている…外からの支援を必死に求める人たちの、メッセンジャーなのだ」
国連に「人間味」を
「国連は全ての人をまとめる存在で、その存在がなければ私たちはエボラ熱やテロ、気候変動の問題に対処することはできない」とパワーは言う。「だがその国連も創設から70年で疲弊しており、多くの悪習が身についてしまった」
パワーにとっての優先課題は、国連にもっと『人間味』を持たせ、人々の関心を引きつけることだ。そして、国連がお決まりのやり方にとらわれないようにすることだ。例えば、パワーは先ごろ、過激派組織「イスラム国(IS)」に性奴隷にされていたナディアという女性を安全保障理事会に招き、講演をしてもらうための準備に携わった。
「この国の人たちに、彼女に共感するだけでなく、世界各地で起こっているこうした問題について、何らかの役割を果たしたいと思うようになってほしい」