この東西対立から最大の利益を得ているのは首都モスクワ、とりわけIT業界だ。ロシア国営タス通信によると、昨年、モスクワに流入した年間投資額は官民合わせて735億ドル(約11兆円)に上り、さらに増加し続けている。こうした地理的な経済の影響は、21世紀の地政学情勢と世界の勢力均衡に依然として変化をもたらしているが、西側諸国の政策立案者の多くはこれに気付いていないかもしれない。
ウクライナ侵攻を契機に西側諸国が科してきた対ロシア制裁の限界は、この情勢に直接影響を与えている。フィンランドのシンクタンクCREAによると、ロシアは2022年以降、石油や天然ガスなど化石燃料の輸出から約7420億ユーロ(約121兆円)の収入を得た。制裁で事実上、欧州市場を失ったロシアは、自国産のウラル原油を割引価格で中国やインドに大量に販売するようになった。他方で、オーストリアやチェコ、ハンガリー、スロバキアといった欧州の内陸国も、液化天然ガス(LNG)を受け入れる港湾がないことから、陸上のパイプラインでロシア産天然ガスを輸入し続けている。西側諸国はロシア産LNGの取引には制裁を科していない。
一方、西側の金融制裁により、ロシアの資本逃避はウクライナ侵攻開始以降、激減している。モスクワ国際関係大学のアレクサンドル・ブラトフ教授は、2015~20年にかけて、年間平均で推定1500億ドル(約23兆円)が同国から西側に流出したとみている。これはロシアの国内総生産(GDP)の0.8%に相当する規模だ。ロシア英字紙モスクワ・タイムズによると、ウクライナへの全面侵攻が開始された2022年には、法制の不備やロシアの新興財閥オリガルヒに対する訴追などが重なり、GDPの13%に相当する過去最高の2390億ドル(約36兆円)が国外に流出した。ところがその後、西側の金融制裁で海外送金が妨げられたことにより、昨年上半期のロシアの資本逃避は約290億ドル(約4兆3000億円)にまで減少した。
ロシアでは、中産階級がレストランや中国製の自動車に支出する一方、オリガルヒは国内で投資している。海外送金できずに国内で積もりに積もった資金が、第一次世界大戦中のペトログラードやモスクワの繁栄を思い起こさせるような好景気に拍車を掛けている。この大戦では戦死者に対する補償などがインフレを引き起こし、国民の憤りが2度の革命となって噴出し、ロシア帝国は滅亡した。現時点では、戦争景気がロシアの産業の発展を促してはいるものの、長期的には西側諸国が望まないであろう予期せぬ結果を招く恐れもある。
ロシアではITなどの先端産業に多額の資金が注ぎ込まれたことで、24時間営業の食品の配達や公共料金の支払い、病院や託児所の予約などが1つのアプリで完結する、技術的に世界屈指の高度なデジタルサービスが生まれた。政府のサイトでは、出生証明書やパスポート(旅券)のオンライン申請も可能だ。ウクライナ侵攻開始以降に自国を離れたロシア人は、外国で銀行口座の開設やクレジットカードの発行でさえ苦労することが多い一方で、モスクワ在住の市民はロシア独自のMIR決済カードシステムやQRコード決済のほか、公共交通機関や通常の買い物で使用できる「フェイスペイ」と呼ばれる顔認証システムを使って非接触型決済をしている。だが、こうしたシステムによるデータ収集やプライバシーに対する懸念は拭い切れない。