日本とイタリアの決定的相違点
私がイタリア料理の修行に現地に通い出して20数年、より奥深い田舎へ田舎へと通うようになったのは、思えば小さな村へ入り込むほど、世界にひとつとないこうした魅力的な伝統食材や郷土料理にめぐり逢えるからだった。
しかし、地域食材の豊かさでいえば、実は日本も同じはず。両国とも南北に細長い国土、気候も似ていて、海に囲まれて平地が少なく山が多いという地形まで似ているから、自ずと食材も似てくる。
つい150年から160年前まで、イタリアは地方都市国家の集合体だった。奇しくも日本も明治維新前は藩を単位にして国を形成しており、両国とも地方ごとに四季や伝統と密接に関わり合いながら、人々の間で色濃い食文化が受け継がれてきたことも共通している。
しかし、そんなよく似た日本とイタリアで残念ながら決定的に違うことがある。それはイタリアの地方は、地域の食文化が地域経済を大きく牽引しているのに対して、日本の地方では、せっかく美味しい食材があっても、第一次産業は概ね衰退の一途をたどっているということだ。
第二次大戦後、イタリアは中央集権的な重厚長大産業政策を推進して復興を遂げたが、東西冷戦構造が定着すると反動のように労働争議が多発するようになり深刻な不景気となった。そこで1970年代に一転して地方分権化へ舵を切った結果、地域ごとに、皮革、車、服飾といった世界に誇れる地元産業が花開く。
こうしたイタリアの中都市部の繁栄は、地方経済再生のお手本のように度々引き合いに出されるが、実は私が伝えたいのは、もっと小さな町や村のポテンシャルだ。
それは、料理のことしか頭になかった無知な私でさえ肌で感じた、イタリアの地方が持つ「食」の力。「食」で経済を牽引する地域のエネルギーであり、それを下支えする地域の人々の心の豊かさだ。
若さに任せて飛び込んだイタリアでの食に関する体験を、日本の地域の現状と比較しながら、次回よりレポートしていきたい。