「アップル」創業者であり、iPadやiPhoneの生みの親であるスティーブ・ジョブズ。彼はアップルを離れていた1986年に、「ピクサー・アニメーション・スタジオ」を設立したことでも知られている。
55年にカリフォルニアで生まれたジョブズは、起業するまでの時間をどのように過ごしていたのだろう。彼の人生に影響を与えた、学生時代の出会いを紹介する。
スティーブ・ジョブズの大学時代
ジョブズが進学先として選んだのはオレゴン州にあるリード大学。72年、ジョブズ在学当時のリード大学は自由を重んじる校風で、ヒッピー的なライフスタイルを好む学生が多かった。ジョブズはその影響もあり、宗教や禅に傾倒し始めた。
ジョブズは1学期通ったのち、大学を退学。両親のお金を使って自身が関心のない必修科目を履修することに疑問を抱いたからだそうだ。
退学後も好きな授業のみを無断で受けていたというが、そのうちのひとつがカリグラフィーの授業だ。カリグラフィーとは「西洋の書道」とも言われる、文字を美しく見せるための技法のこと。ここで得た知識が、美しいフォントや字間調整機能を持つMacの誕生へと繋がった。
憧れの人物は、ウィリアム・ヒューレット
ジョブズの学生時代には、彼の人生を左右する出会いがいくつかあった。まずは、コンピュータ関連の開発や販売を行う「ヒューレット・パッカード」の共同創業者、ウィリアム・ヒューレットとの出会いだ。
ジョブズは13歳の頃、電話帳から自宅の電話番号を割り出して、憧れのヒューレットへ直接電話をかけた。「周波数カウンタ(周波数の測定機器)が欲しい」と持ちかけ、ヒューレットとの直接対面に成功した。その場でヒューレットからアルバイトを持ちかけられたという。
後の共同経営者スティーブ・ウォズニアック
高校生のジョブズにも大きな出会いが待っていた。後に、ともにアップルを創業することになるスティーブ・ウォズニアックだ。ジョブズは、ヒューレット・パッカードの夏季インターンシップにてウォズニアックに出会った。
意気投合したジョブズとウォズニアックは、オリジナルの「ブルー・ボックス」を制作。これは、電話回線をハッキングし、無料で世界中に電話を掛けることができる装置。
71年10月号の男性誌「エスクァイア」に不正行為として掲載されていたブルー・ボックスの記事を読み、スタンフォード大学の図書館で技術資料を読み漁ったのだとか。
熱中したビートルズ
大学生のジョブズが熱中したバンドは、ビートルズだった。ビートルズが設立した企業には「アップル・コア」があり、ビートルズのレコード・レーベルの名は「アップル・レコード」だ。
「アップル」が酷似していることから、社名の商標を巡り、アップルとアップル・コアは何年にも渡って訴訟で争うこととなった。最終的にアップルがアップル・コアに5億ドルを支払い、商標権を保持。現在までアップルの名が引き継がれている。
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