ピッチ以外の付加価値がクラブを支える | 川崎フロンターレ中村憲剛

川崎フロンターレ 中村憲剛◎1980年、東京生まれ。プロサッカー選手。中央大学文学部を卒業後、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに入団。ポジションはMF。16年にはJリーグMVPを獲得。17、18年のJ1優勝連覇に大きく貢献した。

Jリーグがその背中を追いかけるほど、独自のホームタウン活動を展開している川崎フロンターレ。選手としてどんな思いをもって活動に臨んでいるのか。2003年から同クラブで活躍する中村憲剛選手に話を聞いた。


いまでこそ、ホームの等々力スタジアムの試合には2万5,000人のお客さんで満員になりますが、入団したころは、雨が降れば3000人にまで落ち込み、観客席はガラガラの状態でした。

ちょうど01年にJ2に降格してから05年にJ1に再昇格するまでの、クラブとしてはいちばんきつかった時期です。そんな状況だからこそ、サポーターや地域の皆さんに僕らを知ってもらい、スタジアムに来てもらうためには何をすべきかを真剣に考え、ホームタウン活動に積極的に参加してきました。
 
横浜と東京の間にある川崎は、近くに遊べる場所がたくさんあります。そんななかで、わざわざ土日に等々力スタジアムを選んで足を運んでくれる人たちが、僕らにとってどれほどありがたいか。

スタジアムが満員になることは当たり前ではないと身に染みていたからこそ、成績の浮き沈みはあっても、地域活動はやめませんでした。

プロとしてサッカーで結果を残すのは当然のこと。それ以外の分野でも、地域やクラブ、サッカーのためになることを選手それぞれが得意な部分で模索する。これからは、アスリート以外の部分にも付加価値が求められる時代になると思います。
 
フロンターレは連覇も果たし、地域活動の成功モデルになれたわけですが、こうした活動は本来、Jリーグが先導するべきことのはず。

そんな思いから、村井満チェアマンと対談した際、「Jリーグは何をやっているんですか?」と生意気にも訊いたことがありました。地域密着の「百年構想」と理念は掲げているけれど、具体的な行動は各クラブに丸投げしているように見えたから。

しばらくすると、25周年のワークショップが開かれ、「Jリーグをつかおう!」というひとつのアンサーが示されました。Jリーグも、徐々に顔が見える組織になってきたと感じます。Jリーグが本気で理念を叶えようと動けば、日本サッカー界はもっと面白くなるはずですし、社会にも貢献できると考えています。




川崎フロンターレ(J1)は、市内の小児病棟を選手らが訪問する「ブルーサンタ」、多摩川の清掃を行う「多摩川エコラシコ」、障がい者やひきこもりの人々を対象にスタジアムでの作業を体験してもらう「就労体験プロジェクト」など、多彩な活動を展開。今年1月には、アマゾンがコミュニティパートナーとなり、共同で地域貢献活動を進めることが発表された。

文=松崎美和子

この記事は 「Forbes JAPAN 地方から生まれる「アウトサイダー経済」」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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