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2018.03.14 08:00

30歳の日本人起業家が体感した「成長に突き進む中国」

中国の厦門に本拠を置く「SYNC GAMES」代表の荻野目智仁。福建省南部の海沿いの街の厦門は、椰子の木が並ぶ温暖な気候で一年中過ごしやすい。街の中心部にはオランダ統治時代の面影を残す西洋風の石畳が続く。

中国の厦門に本拠を置く「SYNC GAMES」代表の荻野目智仁。福建省南部の海沿いの街の厦門は、椰子の木が並ぶ温暖な気候で一年中過ごしやすい。街の中心部にはオランダ統治時代の面影を残す西洋風の石畳が続く。

中国の厦門(アモイ)でゲーム開発会社を経営する日本人起業家がいる。そう聞いて訪ねたのが荻野目智仁(30)だ。代表を務める「SYNC GAMES」は中国のゲームアプリを日本向けにローカライズし、パートナー企業に提供している。

「中国のゲームアプリには非常にクオリティが高いものが多い。しかし、アプリ内のイラストの画風や課金の仕組みが日本市場に合致しない場合がある。日本進出を図る中国のゲーム企業をサポートしている」

荻野目は2009年に法政大学を卒業後、人材派遣企業に就職したが3か月で辞め、起業するチャンスをうかがった。当時はリーマンショックで景気は後退中だったが、スマホのアプリには未来があると確信した。

「大学時代にオーストラリアに留学し、一通りの英語力は身につけていた。起業を考えた頃は民主党政権下で円高が進み、海外でアプリ開発を行えばコストを抑えて有利だと考えた。友人から英語圏で使われるクラウドソーシングサイトの存在を知り、そこで中国の事業パートナーとつながった」

2011年に会社を設立。翌年にパズドラの大ヒットが日本を席巻し、ゲームアプリ市場は急拡大した。

「当初はゲーム内で使用するイラストを中国人のイラストレーターたちに発注し、グリーやDeNAでゲーム事業を行う企業に卸していた。中国には日本人が好む“厚塗り”の絵が描ける絵師が数多くいた。しかし、第二次安倍政権誕生後に円安が進み、業界のトレンドも変わり、初期のビジネスモデルには限界を感じ始めた。ちょうどその頃、日本進出を目指す中国のゲーム企業から声がかかり現在のビジネスモデルに転換した」

北京や上海のような大都市と比べ、厦門では優秀な人材が低コストで雇用できる。ゲーム企業が多い深圳にも飛行機なら1時間で行ける。荻野目が最初に中国と接点を持ったのは2006年の留学先での事だった。

新たな雇用が生まれ、成長が続いていく

「当時は中国の富裕層が子供を海外に留学させ始めた頃。日本と取引きのある工場経営者の息子もいて、日本語が達者で友達になれた。自己主張が激しく、良い成績をとるためには手段を選ばない面もあったが、あのバイタリティが今の中国を支えている」

2013年に厦門にオフィスを構えてから5年が経過した。

「日本を出た頃、デフレの何が悪いという議論があったが中国の状況は全く違う。給料があがり、物価が上昇し、人々の生活レベルがあがっていく。日本ではシェアエコノミーが既存の産業を破壊するという脅威論があるが、中国では世界の工場の時代の終焉とともにフードデリバリーのような新たな雇用が生まれ、成長が続いている」

現在20人の社員のうち18人が中国人だ。

「求人をかけると厦門大学などで日本語を学んだ日本文化に関心が高い学生が面接に来る。クリエイティブな分野で日本語力を活かせる職場として定着率も高い」

成長に突き進む中国のエネルギーをアプリに凝縮し、デフレの日本に送り出す。

取材・文=上田裕資 写真=セオドア・ケイ

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