子育てがひと段落して仕事に復帰する女性は珍しくないが、山田メユミの場合は逆だった。共同創業した会社が「手離れ」してから、子育てを始めたのである。そしてその経験が、会社をさらに成長させるようになったのだ。
山田は新卒で化粧品の原料メーカーに就職し、1999年にコスメ・美容の総合サイト「アットコスメ」を運営するアイスタイルを、現CEOの吉松徹郎らとともに創業。当時はまだ珍しかった、化粧品の口コミサイトをつくり、消費者起点のデータベースを構築し、業界プラットフォームを目指すという画期的な取り組みを始めた。
以降、「会社が自分の子ども」と公言しながら、会社を成長させるために、365日年中無休の状態で必死に働く日々を過ごした。2012年、同社の目標のひとつとしてきた上場を達成すると、山田はサービスを企画・立案する立場から離れ、社員を支援する側にまわる。そして、ほぼ同時期に、ふと、出産を考え始めた。当時39歳。期間は1年と決めて、不妊治療に臨んだ。
背景には、再婚や、父の闘病もあった。「それまでは、子どもを持つことを想像してもいなかった。父に孫の顔を見せてあげられたらな、と思ったのが一番の理由でしたね」と、山田は当時を振り返る。
そして40歳で第一子を出産。「若い頃に不眠不休で働いていたから、体力には自信があったんです。出産の前日まで会社で働いていて、産後1カ月で復帰した。ところが、無理がたたって乳腺炎になってしまい、高熱に苦しむことになりました」
4カ月の休暇のなかで、山田の心境は大きく変化する。それまでは仕事とプライベートはきっちり分けることを主義としてきた。しかし、仕事と育児は職場のサポートを得ながらでないと両立し得ないと気づくと、意識的に自分のプライベートを職場で明かすようになったのだ。
「朝、子どもがお漏らしをしてしまい、仕事に遅刻してしまうこともある。そういう恥ずかしい部分を敢えて笑い話にして、社員に伝えるんです。すると周囲は、ただ単に『遅刻します』と言われるよりも、気持ち良く協力することができますよね。リーダーが自らそういう振る舞いをすることで、社員も気軽に相談できて、仕事と家庭を両立させやすい風土をつくろうと考えました」
トライアルの場として子会社を設立
さらに女性が働きやすい職場にするには、どのような制度が必要なのか。それを従業員数千人規模のアイスタイルで模索することは難しいが、もっと規模の小さな会社でならすぐに新しい勤務や採用形態のトライアルを始められるはず。そうした発想から、16年、さまざまなライフステージにある女性が在宅やテレワークを活用して働くことと、スキルアップすることを支援するISパートナーズを起業。同社では育児や介護など、一人ひとりの事情に合わせて、勤務時間や場所、雇用形態を自由に組み合わせられるようにした。
ISパートナーズで在宅勤務の成功モデルが確立すると、それを本社であるアイスタイルに取り入れはじめた。このようにして、職場の環境整備を進めているところだ。
今後は、シニアの雇用体制を整備していくことを検討している。それもまた、子育てがきっかけだった。地域のシルバー人材サービスを利用して子どもの世話や家事の手伝いを頼んでみたところ、家にやってくるシルバー人材がどんどん若返っていく様子を目の当たりにしたのだ。
「子どもたちがとてもなついていて、第二のおばあちゃんのようにとても頼りになる。彼女もまた、元気に働くためにジムに通って体力をつけるようになったそうなんです。シニアの雇用は相互にいい作用を生むと実感しました」
山田自身のなかで起きた「働き方改革」は、企業文化を変えた。働く女性と理想的なリーダー。2つのロールモデルとして、次は、社会を動かそうとしている。
<3つの質問>
1. 好きな言葉は?
「一日一生」。意味は、一日を一生のようにいき、その日、その日に最前をつくすということ。
2. リフレッシュ法は?
森や温泉に行くこと。最近子どもと一緒に全国の水族館を巡るのも好きです。
3. 影響を受けた本は?
稲盛和夫著「生き方」。著者の成功の礎となった実践哲学を語った、人生論。
山田メユミ(やまだ・めゆみ)◎1972年生まれ。大学卒業後、化粧品の原料メーカーに就職。在職中に、個人の趣味で化粧品に関するメルマガの配信を開始。その反響をもとにコスメ・美容の総合サイト「アットコスメ」を企画立案し、99年にアイスタイルを共同創業する。セイノーホールディングス、かんぽ生命保険2社の社外取締役、丸井グループのアドバイザリーボード、経済産業省等の消費及びインターネット関連委員などを歴任。