あえて人工林の森を撮影する
写真家としてサントリーのウーロン茶や無印良品、資生堂などの広告写真を担当、約40年にわたって森を撮り続けている上田義彦さんの作品も印象に残った。もともと長谷川アートディレクターは、上田さんに岡山県北の原生林の写真を美しく撮ってもらいたいというリクエストを出したそうだが、実際には岡山県北には人工林が多い。地域によっては、近代初期に至るまで、砂鉄を粘土製の炉で木炭を用いて低温で還元し、純度の高い鉄を生産する「たたら」製鉄が盛んだったため、森は幾度となく伐採され、人工林に植え替えられた歴史を持つ。
それでも森の中で撮影された作品にはみずみずしい生命力が宿っていた。上田さんは「いまだに自分が森で何を撮っているのかを説明できる言葉は持っていない。森の中にある命の大元を探し続ける旅だと思っている」と語った。
同じく岡山県北の森を舞台に自然と人の関係性というテーマを強く自覚しつつ、撮影を続けているのが、地元津山市出身の写真家、杉浦慶侘さんだ。彼は岡山県西北に位置する新見市の山を撮影したシリーズ『新見山』から6点を発表している。
杉浦さんの作品の特徴は、あえて人工林の森を撮影することにある。展示スポットを訪ねた折、彼と話をする機会があった。なぜそのようなテーマを選んだのかという筆者の問いに、「人工林にも神は宿るのか」という答えのない問いがあると彼は語った。
筆者は今回何度か県北各地を車で回ったが、広葉樹に覆われた山あいの森の中に奇妙なほど同じ姿形をしたスギの木が並ぶ一角が目につき、違和感を持った。それが人工林だった。
今日の時代、もはや純粋な自然など存在しないといえるのかもしれないが、人工林の森を撮ろうと考えるに至った経緯について、杉浦さんは次のように話してくれた。
「私は岡山の里山で育ったのですが、周囲の山に対する畏れのような感情はずっとありました。上京して写真家としての活動がうまくいかず、帰郷した際に他に撮るものがないという消極的理由から目の前にある山を撮ったら面白いかもしれないと思うようになり、岡山県北東端にある西粟倉村という林業が盛んな村で森林組合に入り、チェーンソーを使いながら林業に従事し、森の撮影を始めました。
その際、全国の森の約4割、そして西粟倉村では9割近くが人工林であるという事実を知り、大変なショックを受けました。自分がなんとなく感じていた山に対する畏れの感情が、実は人間によって再構築されたものだったということが驚きでした。自分の感じていた畏れの正体をつかむことが、人工林にカメラを向ける理由です」
先に述べたとおり、今回の作品は新見市の山で撮られたものだ。その地を選んだ理由は、林業が盛んで木々が豊富なこと、木々と同じ高さで山の外から森を撮るのに、高梁川支流のダムがたくさんあることから撮影環境に恵まれていたためだそうだ。ちなみに新見市の人工林比率は57.2パーセント(2022年3月現在)である。