「米国では、大変なクールジャパンのブームだ。日本に興味を持っている人が、本当に増えている」
それを聞いて、一人の日本人として、少し嬉しく思う反面、複雑な心境になる。
なぜなら、たしかに、米国だけでなくフランスなどの欧州でも、また、他の諸国でも、日本の文化への関心が高まっているが、反面、我々日本人自身は、自分の国の持つ文化や伝統、宗教性や精神性の深みに気がついておらず、「クールジャパン」も、「日本のアニメや漫画が受けている」「日本食がブームになっている」という表層的な次元でしか受け止めていないからである。同様に、政府の掲げる「クールジャパン戦略」も、いかにして、コンテンツの輸出を増やし、海外からの観光客を増やすかという経済の次元でしか見ていないからである。
しかし、このクールジャパンのブームの根底には、世界の多くの人々が無意識に感じている「日本文化の先進性」がある。アニメや漫画、和食や茶道、日本庭園や盆栽の奥にある文化に、多くの人々が、「世界の未来」を感じているのである。
例えば、世界全体が、宗教の違いによってテロや戦争を繰り広げている時代において、日本という国は、クリスマスには教会に行き、大晦日にはお寺で除夜の鐘を聴き、年が明けると門松を立てて祝うという国であり、その背後には、「すべての宗教は、本来、一つである」という寛容な宗教観がある。実際、神道においては「八百万の神」を敬い、仏教においては「大乗」の教義を掲げ、すべてを包摂する器の大きな宗教観が、文化の中に浸透している。
そして、日本においては、深い宗教的情操が、日常の言葉や習慣にも浸透している。食事をとるときの「いただきます」という言葉は、「命を頂きます」という意味であり、お礼を述べるときの「ありがとう」という言葉は、英語の言葉「Thank you.」(私はあなたに感謝する)という意味ではない。この「有り難い」という言葉は、英語で言えば「It is a miracle.」という深遠な意味に他ならない。
また、「共助の精神」に満ちたこの国では、何か良いことがあったとき、必ず、周りの人々に「お陰様です」と語るが、一方、その人々も、「お互い様ですよ」と返すという謙譲の文化がある。
この「共助の精神」は、日本では、資本主義と企業経営の在り方にも、深い影響を与えてきた。
いま、世界全体が、利益追求を至上とする金融資本主義の弊害に気がつき、新たな資本主義を模索している時代であるが、日本型資本主義は、本来、近江商人の「三方よし」の言葉や住友家訓の「浮利を追わず」の言葉に象徴されるように、「世のため、人のため」の社会貢献を重視したものであった。