『ゆれる』『永い言い訳』『ディア・ドクター』『すばらしき世界』などを手掛け、映画界の改革にも取り組む映画監督・西川美和と、ローランド・ベルガー日本代表の大橋譲が「映画にまつわるダイバーシティ」を語り合った。
西川美和(以下、西川):コンサルティングファームにお伺いするのは初めてなんです。どんなオフィスなのか、どんな人たちがいらっしゃるのか興味が出てきますね。
大橋譲(以下、大橋):私も映画監督に直接お会いするのは初めてです。以前、あるアニメ映画監督へ手紙をお送りして、丁寧にお返事もいただいたことはあるのですが。
西川:えっ! それは素晴らしいですね。
大橋:もちろん映画好きの一人として、西川さんの映画も拝見しております。本日は映画監督という職業や、映画における多様性のありかたについて話を伺えたらと思います。よろしくお願いします。
西川:よろしくお願いします。
大橋:まず西川さんがどのようにして映画監督になったのかをお伺いしたいです。
西川:もともと休日にお小遣いを握りしめて映画館に行くような子どもでした。東京の大学に進学してからも映画に対する執着が捨てきれず、なんとか裏方の仕事をできないものかと就職活動中に是枝裕和監督に出会い、監督直属のアシスタントになりました。
とはいえ、もともと映画監督を夢見ていたわけではありません。フリーランスの助監督として、さまざまな監督のもとを渡り歩きましたが、間近で見れば見るほど「とても私には務まらない……」と思っていました。
大橋:どのような点に難しさを感じたのでしょうか。
西川:監督は、映画という巨大なものの看板ですからね。多くの人たちと関わり、その仕事の責任を負うこと。加えて、監督作品がある種の“烙印”として、その後何十年も自分について回ることに、おじけづいていたのだと思います。
大橋:そこから監督になるにあたり、気持ちの変化があったのですか?
西川:いえ、消極的なデビューでしたね……。昔から文章を書くことが好きで、脚本を書き始めたんです。完成して、誰かに監督をしてほしいと思っていたら、プロデューサーに説得されて自分で撮ることになってしまった、というのが正直なところで。
大橋:初めて監督になったとき、ご自身が若手であり、女性であることを意識した場面はありましたか。
西川:若手であることは意識せざるを得ませんでした。年齢は一番下で、現場の全員から呼び捨てされて地面を這いずり回っていた立場だったのが、いきなりトップに立つわけです。もちろん、先輩たちは「トップに従う」という姿勢を守ってくれますが、それが逆にすごく怖くて(笑)。
一方で、女性を意識することは、現場ではあまりなかったですね。当時は女性スタッフがまだまだ少なくて、無意識に男性と同じように働いていましたし、「女性だからやりづらい」という感覚がむしろ麻痺していたんだと思います。
周囲のスタッフにも恵まれましたし、是枝監督やプロデューサーが「もっと女性の作り手が出てきたほうがいい」という考えで、性差に臆することなく仕事ができたのは幸運でした。
大橋:女性の作り手が増えることに、何を期待されていたのでしょうか。
西川:「男性と異なる発想が生まれるのではないか」という期待があったのではと思います。この20年で、女性の監督やスタッフが、国内だけでなく世界的にも増えました。明らかに、作られるものの視点が豊かになったと思います。
撮影現場でも女性スタッフが多ければ、女性の登場人物を演出する際の相談相手も多くて助かります。服装や生活習慣、性にまつわること、多岐にわたって女性スタッフの意見には支えられますし、安心感があります。
一方で、映画業界は働き方に関する古い体質をまだほとんど改善できていません。子育てなど、ライフイベントに対するサポートが整っていませんし、若い方の離職率も高いです。私自身、がむしゃらに作品を作ることだけをやってきて、環境改善などに目を向けてこなかった反省がありまして、2022年に業界の有志で結成した「日本版CNCを求める会/action4cinema」という団体に参加しました。日本の映画業界がこの先も続いていけるように、映像業界専門の統括機関の設置や労働環境の改善などを目指して活動をしているところです。
多様性が制限になってはいけない
大橋:映画監督は、「企画者」「制作者」「出演者」「観客」と、異なる視点を意識する必要があると思います。それぞれの視点から見る多様性は、まったく違うのではないでしょうか。西川:そうかもしれませんね。「制作者」の視点でいうと、年齢や学歴などの面では、もともと非常に多様性がある職場です。20代の監督と80代のカメラマンで子役を撮る、ということもありますから。ベテランも全然辞めませんし(笑)。「現役のレジェンドと仕事したい」と業界に入ってくる若手も多いですね。
大橋:「出演者」の多様性も叫ばれるようになりました。『リトル・マーメイド』で、アリエル役を黒人系の俳優が演じたことも記憶に新しいですし、『スターウォーズ』もシリーズを重ねる毎にアジア系など多様な人種が出演するようになっています。
多様性があることは大切です。ただ一方で、どんな場面にも出演者の多様性を求めるようになると、作品の意図やメッセージが伝わりづらくなってしまうのではとも思うんです。
西川:私もそのような映画しか存在してはならないという逆の圧力が過剰になるのは怖いと感じます。テーマや設定によっては、異性や多様な人種が居合わせられないような物語もありますよね。どの映画にも、すべての要素を含めなければならないとは、まったく考えていません。いろいろな映画があるべきだと思います。
大橋:多様性が制限になってはいけない。映画自体も多様であるべきだと。
西川:確かに、ハリウッド映画のように全世界が市場となる大作であれば、さまざまな人種の出演者をそろえたほうが受け手にとっても良いかもしれません。これまで一元的に作りすぎてきた、という映画界全体の反省もあるでしょう。そういった基準の意識を持つ一方で、多くの小規模の映画は、物語にあるべきキャスティングをして、いろんな映画が同時的に存在するのが本来の姿ではないでしょうか。
大橋:大作が多様性に配慮することで、小さな作品にもプレッシャーがかかることはありませんか? 「配給先を増やすために、多様性をもっと受け入れましょう」というような。
西川:日本の映画界は、残念ながらむしろほとんど意識してきていないと思います。これまで国内市場を中心にまかなってこれたこともあり、何に関しても恐ろしいほど世界基準から遅れをとってしまったようです。
実際、日本でもさまざまな人種が生活していますが、そうした動きは大きな映画会社よりもむしろインディペンデントの作り手が自発的にテーマを設定して、ジェンダーや人種を考慮したキャスティングをするほうが多いのではないでしょうか。
ちなみに、こんな例えで語る人もいます。アメリカにとって映画は「ビジネス」。ヨーロッパでは「アート」。韓国では「国策」。では、日本はというと、「趣味」だと。
大橋:趣味ですか。
西川:国からの助成金や補助金もあるものの、ヨーロッパほど文化として重んじられ、手厚く保護されてきたわけではありません。多くの作り手は専門的な映画教育を受ける土壌がありませんでしたし、ビジネスとしてもいまいち。それなのに、あらゆる映画が延々と作られ続けている。他の国からすると、奇妙に見えるようで。
しかし、このような状況でも、映画を作りたい若手がどんどん出てくるという、この不思議な「趣味性」のなかに、他の国の理屈からは出てこないものが眠っている可能性があるんですよね。
マイノリティとマジョリティを「フェア」にする
大橋:「観客」視点では、聴覚障害者や視覚障害者のようなマイノリティの方々に対する取り組みが徐々に始まっています。西川さんは『ディア・ドクター』で、視覚障害者向けガイダンスの監修に初めて携わったそうですね。監修してみて、気付いたことはありますか。西川:字幕や音声を付ける場に立ち会い、私がやろうとした表現と違うと感じたときは、アドバイスしました。でも、そのアドバイスが、当事者の方々にとってはズレていたことがあって。
例えば、真っ暗な部屋で登場人物が眠っているシーン。深夜の設定だったので、ガイダンスにも「深夜」と指示をしたのですが、「それは健常者も同じタイミングで深夜だと分かるんですか?」と指摘されたんですね。
そのカットでは時計の針も映っておらず、観客は、その場面で起きることを見ていく中で、次第に深夜だと察していく。だからガイダンスは、ただ「真っ暗な部屋」でいいんだと。勝手に「深夜」と情報を補足するのは、フェアではないのだと知りました。
大橋:似たような話を、日本を代表する映画字幕翻訳家の方から伺ったことがあります。字幕であまり意訳をしすぎてしまうと、字幕を必要とする人と、しない人で、異なるメッセージが伝わってしまうと。もともと字幕はマイノリティを補助するためのものなのに、意訳しすぎると、字幕を必要としない人をマイノリティにしてしまいかねない、と仰っていました。
西川:面白い話ですね。まさにこの時代に起きている変革に直結する話と感じます。マジョリティ側の人たちが「自分たちがマイノリティにされてしまう」と感じることが、多くなってきているのではないかと思うんです。
マジョリティ側が意識していなかった部分について、マイノリティ含め各所から声があがることで、「そんな痛みを感じていたのか」と驚いたり、「そんなこと言われたら何もできないよ」と窮屈さを感じたりしている。マジョリティ側がこうした違和感や居心地の悪さを実感したところから、もう1回、新しい在り方が探られてくるような気がしています。
大橋:マイノリティといえば、『すばらしき世界』で役所広司さんが演じた「三上」も、マイノリティの存在ですよね。13年ぶりに出所した元ヤクザが社会に復帰しようとするも、さまざまな困難に直面するという。
西川:みんなに人気がある完全無欠なキャラクターではなく、誰からも見過ごされているような人をモチーフに選ぶことが多いです。居場所のない人の視点でしか見えないものが、社会にはたくさんあるので。
大橋:この作品には、特に好きなシーンがあるんです。三上がチンピラ2人とケンカを起こして、仲野太賀さんと長澤まさみさんが演じるテレビクルーが、その様子をこっそり撮影しようとする。でも、途中で仲野太賀さんが怖くなって逃げ出すじゃないですか。
西川:はい、はい。
大橋:そのあと、追いついた長澤まさみさんに「撮らないなら割って入って止めなさいよ、止めないなら撮って人に伝えなさいよ!」と怒鳴られて、ビデオカメラを投げつけられる。あの場面から、日本らしさを感じました。
西川:その感想は初めて聞きました。
大橋:「ケンカを止める」「撮影を続ける」は、どちらもリスキーな行動ですが、リスクを取らないと次には進めません。それなのに、チャレンジせずに「逃げる」という第3の選択肢を選ぶとは思わなくて。
対峙せず、輪の中にも入らず、逃げるところが「あぁ、日本の社会だな」と。日本は欧米のように常にアイデンティティを問われることもなく、何事にも「自分は関係ない」というスタンスで生きていける、ある意味すごく好都合な社会構造になっていますから。
西川:そうした社会構造の中では、チャレンジする人が増えないでしょうね。
大橋:その通りです。仮にリスクを取ったとして、間違ってしまうと叩かれるのも日本社会の特徴ですね。
西川:まさかあのシーンに日本らしさが詰まっているとは……。でも、お話を聞いて腑に落ちました。
一人で考えることには限界がある
大橋:こうしてお話を伺っていると、お互いの共通点がたくさんありますね。先ほど、「消極的なデビュー」と仰っていましたが、私も代表になると思ってもみなくて。西川:そうなんですか。
大橋:コロナ禍にあった2020年4月に代表になったんです。フルリモート体制のなか、どうやって全員に同じ方向を向いてもらうのか、すごく悩みました。必ずしもトップダウンで物事は動きません。たまたま私が「代表」という帽子をかぶっているだけ。それぞれの意向を尊重しながら、みんなで手を取り合っていく難しさを感じています。
西川:例えば、黒澤明さんのように全ての統率を取れるトップダウン型もおられると思いますが、私は「どういう方法がありますか」と周りに意見を聞きながら進むことも多いです。一人で考えることには限界がありますから。
大橋:多様な意見を取り入れていくのは大切ですよね。
西川:俳優や助監督、カメラマンなどいろいろな立場の人と話すと、意外な発見や広がりが生まれることも多いですね。「そっちでやってみましょう」と進んでみたり、「ちょっと違ったのでこっちに直しましょう」と戻したり。そうやって作り上げていくのが、私の撮影スタイルですね。
大橋:経営コンサルティングも、ここ10〜20年で「お客様の経営課題を解決するためには、幅広い考え方が必要だ」と考えるようになりました。我々のお客様は決して経営者だけではなくて、その企業の株主や社員、社員の家族、地域社会に至るまで多岐に渡るのだと。そうした方々にも納得いただける提案をするには、多様な視点を取り入れることが欠かせません。
ただし、多様性は絶対に必要であると思う一方で、我々らしさであるとか、メッセージ性みたいなものが薄れてしまうようにも思うんですね。
西川:どういうことでしょうか?
大橋:コンサルティングファームにもさまざまなタイプがあり、例えばM&Aに特化したファームもあるんです。そうしたファームには「M&Aに強い」という強いメッセージ性が宿るわけですね。
私たちが目指すのは「経営参謀」であり、お客様が抱えるすべての課題に対して支援できるようになりたいんです。M&Aも、企業変革も、マーケティングも解決したいので、幅広い人材を集め、多様性を高めるわけですが、特化したものがない分「我々は一体何者なんだろう?」と迷いが出るというか。
西川:特色が外から見えづらくなってしまう?
大橋:ひと口に言えば「社長の悩み相談窓口です」といったことになりますが、そこにメッセージ性はあるのかと。存在意義をどこに見出していくかが、我々欧州系ファームの難しさだと感じています。
西川:でも、すごく魅力的だなと感じました。今の日本映画界が持っている長所は、「いろいろなものをいろいろな人が作っている」ことだと思うんです。
流行っているとか、観客が入りやすいとか、そういう理屈だけではなくて、作り手たちが「まだ世の中に作られていないもの」を探り続けている。そして、それは観る人が求めるものでもあるんですね。既視感があるものより、「見たことがないものを見た」が満足感につながることもありますから。
ですので、最初から何かに特化したものよりも、映画だったら観ているうちに、コンサルティングであれば話し合いを進めていくうちに、そのユニークな点や良い部分に気付かされるもののほうが、より魅力的なのではないかなと思いました。私もぜひ、相談相手になってもらいたいです(笑)。
大橋:ありがとうございます。いつでもお待ちしております(笑)。
対談を終えて 大橋 譲
今回の対談を通して、西川さんのトップダウン型ではない映画監督のあり方とご経験は、真のダイバーシティの捉え方に関しても、非常に感銘を受けるものであった。
1. 女性の自然な参加が男性社会の価値観に普遍性をもたらす
2. 多様性は“制限”ではない。基準にとらわれず、本質を捉える
3. マイノリティがマジョリティを映す鏡となり、新たな気づきや関係性が生まれる
4. 立場を越えたコミュニケーションが発見や広がりをもたらす
5. “多様性”とは容易には捉えにくいもの、コミュニケーションや関わりの過程で、より深い魅力や可能性を知ることができるもの
今多くの企業で取り組まれているダイバーシティとは、重職への女性の登用や女性比率など、傍目に分かりやすいことが重視されがちである。しかし、本来ダイバーシティ(多様性)とは、ひとえには捉えにくいものであり、それゆえに多くの可能性も秘めている。そのためには、改めて本質を捉え考え抜くことが不可欠であると再認識した。