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2023.12.12 11:00

環境と経済、両方を追求する。「循環商社」が挑む“ものづくり”と社会システムの再構築

2023年春、商業施設やマンションのエントランスなど、人が往来する場所に登場し始めた「PASSTO(パスト)」の青い箱。これは、指定された不要品ならいつでも誰でも入れることができ、次の人へ(もしくは物へ)つなぐことができるサービスだ。PASSTOをつくったのは、鹿児島発のベンチャー企業「ECOMMIT」。22歳で創業した川野輝之は、新たなバリューチェーンで社会のインフラに革命を起こそうとしている。


「循環商社」という言葉をネットで検索すると、株式会社ECOMMITの名称がずらりと並ぶ。「地球にコミットする循環商社」を謳う同社の事業形態から定義した、川野の造語だからだ。ECOMMITの事業は、単なる廃棄物回収やリユース・リサイクルにとどまらない。

「不要品と呼ばれるものをあらゆるルートから回収し、もう一度リユース品として販売する、あるいは加工し再生素材としてもう一度製造の現場に戻していく仕組みづくりをしています。同時に、テクノロジーの力でその過程を効率化・見える化できるITシステムの開発を並行して行っています」

経済活動を、体内をめぐる血液になぞらえると、天然資源を加工してものを製造する「動脈産業」に対して、それらが消費され廃棄されたあとの物を集め、再販売・再加工して再び社会に流通させることを「静脈産業」という。

血液が動脈を通って全身をめぐり、静脈から再び心臓へ戻るように、つくられたものが販売・消費された後、不要となったものを回収・選別して再び流通させる。あるいはものづくりの原点になる素材へ戻していく。こうした、経済循環を新たに生み出す企業を目指すことから「循環商社」という言葉が生まれた。

「ものが循環するインフラをつくることが、弊社のミッションです。昨今はSDGsに注目が集まり、多くの企業がさまざまな取り組みを行っています。しかし、“ごみを減らす”や“リサイクル”だけに力を入れても解決しない課題がある。もっと川上に上がって、ものづくりそのものから変えないといけない。バリューチェーン自体を変えていかなければ、根本的な解決にはなりません」

ECOMMITが目指す「循環するインフラつくり」とはどういったものなのか。さかのぼること、15年前。社会システム全体の変革に挑むこととなる会社が、鹿児島県薩摩川内市で生まれていた。まずは、その軌跡をたどっていこう。

スケートボードへ注いだ情熱と挫折


1984年大阪生まれの川野が、中高生時代に熱中したのがスケートボードだ。東京の高校へ進学し、選手として競技会等にも参加。一時期はスポーツショップのスポンサーがつくまでになった。一方で大人たちから「不良のスポーツ」と眉をひそめられることが不満だった。

「これほど素晴らしいスポーツなのに、なぜ認めてもらえないのか?」その価値を伝えるためにもプロを目指し、PR・普及活動にも自発的に動いた。そんな川野が突発性の難病を発症し、右耳の聴力を失ったことでスケートボードを引退したのが17歳。熱中していたものを奪われた川野だったが、“仕事”に就いたことで再び熱を取り戻していった。

「スケートボードで活動する間に知り合った中古品輸出販売業の会社でアルバイトをはじめました。農業機械や建設機械などを扱う会社で、ハードな肉体労働でしたが、当時は打ち込めるものがあるだけでありがたかった」

ある時、輸出販売先のベトナムへ連れて行ってもらえることになった。自分たちが回収した中古品が現地でどうなっているのだろう。そこで見た景色が、川野を晴れやかな気分にさせてくれた。

「ピカピカに生まれ変わった機械を、遠くから何日もかけて農家の家族が買い取りに来ました。年収の何倍もするような農機具を手に入れて、誇らしげな父親、涙を流す母親、うれしそうな子どもたち…。日本で捨てられた不要品が、こんなにも人を幸せにしていたんです」

日本では「産廃業者」の地位は低く見られがちで、同情されることもあったが、川野はベトナムでの光景を目の当たりにして「なんていい仕事なんだ」と誇りに感じた。あの頃、スケートボードの地位向上を目指していた時と同じ情熱が湧き上がってくる。スケートボードでは叶わなかったが、この仕事の価値をもっと広めたい──。

周囲の反対を押し切って“起業”を選んだ理由

ECOMMIT代表取締役CEO 川野輝之

ECOMMIT代表取締役CEO 川野輝之


高校卒業後、アルバイトから社員として正式に入社。4年勤めた頃に、会社がM&Aされることになった。新しい会社で働くこともできたが、川野は独立・起業の道を選ぶ。22歳の時だった。九州に出向していたこともあり、つながりが深くなっていた鹿児島県薩摩川内市に移住した。

「家族や会社の先輩など周囲の人たちに大反対されました。若いし、まだ社会的に価値を認められていない業種を地の利のない鹿児島でやるなんてハードルが高すぎる、と。でも、昔から『できない』と言われると、より挑戦したくなるタイプなんです(笑)。『自分だったらやれるだろう』という自信もありました」

熱中するものに全力を捧げていたスケートボーダー時代の経験が、どこかで自分への信頼となっていた。トラック1台を購入し、雇用した社員を守るために川野はとにかく必死に働いた。

その頃、世界的な原油高騰に始まる資源高が到来。当時、家電品スクラップを大量に買い取って中国系の会社に販売するビジネスが国内に広がり、ECOMMITも着手した。会社を支える売り上げの要となったが、続けていくうちに疑問が湧いてきた。

「当時、鉄スクラップが30円/kgだったのに対し、家電スクラップは35〜40円/kg。なぜ、こんなごみみたいなものが高く売買されるのか不思議でした」

違和感を覚えた川野は、創業して3年が経つ頃、買い取り相手の中国企業に頼んで現地視察に出向いた。そこで“リサイクル=エコ”の実態を目の当たりにすることになる。

中国・グイユで見た“リサイクル”の実態


案内されたのは中国のリサイクル産業の街、グイユ。降り立つと鼻を突く悪臭が漂い、どこもかしこも汚い。川野は訪れた2011年頃の様子を、今もこう詳細に描写する。

「家電ごみがトラックから集積場に下ろされると、すごい埃が舞い上がり、人がアリのように群がってくる。拾ったごみをリヤカーに乗せ、ブロック造りの粗末なバラックでそれらを解体して、中から電子基板を取り出す。集めた基板を大きな鍋で煮て、浮いてきた金をザルですくい、沈殿した鉛を集める。それ以外の廃液は、そのあたりに無造作に流している…。そこにいるのはほとんど女性や子どもで、ごみには『製造国日本』の文字が刻まれていた。あの光景を見たときに、こんなことのために会社をつくったのかとやるせなくなったんです」

ひどい労働環境に自分が加担してしまっていることへの罪悪感と、世の中全体がこの状況に目をつむり、誰かが莫大な富を得ていることへの嫌悪感。見過ごせなかった。川野が環境問題に目覚めた瞬間だった。

目にした惨状を社員に話し、「お金は欲しいけれど、やっぱりやっちゃダメだ。この仕事はやめよう」と告げた。売り上げが大幅に落ちることは間違いなく、反対の声も上がったが「自分の家族がそこで働くことを想像してほしい」と説得した。

事業の方向転換をはかり、不要品の回収からリユース・リサイクルに地道に取り組んだ結果、コンテナを使った商社的な海外取引も増えていった。回収品は自社工場に運んで手作業で仕分けする必要があるが、だからこそ効率よく行えるように、テクノロジー面の開発にも力を注いだ。

『儲からない』はあり得ない──環境ベンチャーの挑戦


国内の顧客からもリサイクルや廃棄物処理に関するオーダーが入るようになった。“廃棄物の回収とリサイクルのセット”自体に需要が生まれ、ECOMMITは次第に総合的な事業へと広がりをみせていく。

「産廃業界は長年、目方で金額を決めて伝票を切るというようなオールドスタイル。ここに改革を起こそうとすると莫大な手間と時間を要するので、IT系スタートアップの参入も難しい。これをやれるのは自社しかない、チャンスだと思いました。

そして、やるからには絶対に利益を出そうと決めました。ごみ削減・環境保全という社会課題をビジネスで解決する環境ベンチャーになるために、どうしたら採算を合わせられるのかを必死に考える日々でしたね。『儲からない』はあり得ないし、儲かっても環境に悪いことは絶対にやりたくなかった」

「環境を保全しながら儲かる仕組み」を提唱しはじめた当初は、どこにも相手にされなかった。しかし、サーキュラーエコノミーの登場やSDGsなど、リサイクルやリユースが話題になるタイミングが訪れる度に、川野は少しずつ環境への意識や社会の変化を感じている。

「再生原料はコストがかかるため天然原料より高くなる。以前は『そんな高いもの誰が使うのか』と言われましたが、今は『高くてもいいから安定的にほしい』と、環境にいいものが売れる時代に変わりつつある。投資家や銀行、大企業も話を聞いてくれない人はもういません」

ECOMMITは原料の回収から追跡が可能なトレーサビリティーを自社で開発、活用しており、作り手はその再生素材を使うことでどれだけCO2の削減になるか、明確なデータをキャッチできる。カーボンニュートラルに取り組む企業が注目する理由はここにもある。

こうして今まさに時代の追い風に乗って、ECOMMITのビジネスは加速しているのだ。

日本だけではなく世界へ、国際循環を広げていく

鹿児島本社のほかに、東京、兵庫、福岡、群馬、広島に事業所を持つECOMMIT。各事業所の目利きたちの手によって、集まった不要品はそのものの価値がもっとも活かされるルートに振り分けられる。

鹿児島本社のほかに、東京、群馬、兵庫、広島、福岡に事業所を持つECOMMIT(2023年10月時点)。各事業所の目利きたちの手によって、集まった不要品はそのものの価値がもっとも活かされるルートに振り分けられる。

不要品を回収するECOMMITオリジナルのサービス「PASSTO」を通して、商業ディベロッパーや大手不動産会社、日本郵便や自治体と連携することで、ここ数年で回収拠点は国内3,000箇所を超えた。不要品は回収され、リユース・リサイクルを選別され、再生原料へと生まれ変わるインフラづくりがいよいよ始まっている。

「これでもまだ、やっとスタートラインに立てたところです。ものづくりの現場はすでに海外に移行しているので、国際的にものを循環させなければ『循環商社』としての本当の価値にならないと考えています」

国内で流通し消費・廃棄されるものの多くが中国やASEAN諸国で作られている今、「国際循環」を目指すことこそが重要だと川野は語る。

「日本と中国、ASEAN諸国でものの国際循環をつくり、そのノウハウをヨーロッパとアフリカ、あるいはアメリカと南米などに移植して、同じ循環をつくり、広げていく。そうすれば、日本が世界のものづくりカンパニーになった時のような、産業の盛り上がりがきっとまた起きるはずです」

そのために、ECOMMITは今後どう動くのか。

「まずは、旧態依然の社会システムをここ数年のうちに変えていかなければなりません。弊社では特に衣類に力を入れているのですが、ここで一つ前例を作れたら、ほかの分野でも協力者が現れるはずなので、そのポジションは直近3年で確立したい。

過去70年間のものづくりは『利便性』と『経済性』を追求することで儲かるシステムだったので、『環境』が置き去りにされてしまった。今度は『環境』と『経済』を追求することで儲かる世の中を作っていきたい」

ものの循環が当たり前の社会に──。ECOMMITが思い描く「捨てるより誰かにPASSする社会の形」の実現に向けて、川野の滑走は続いていく。


川野輝之
ECOMMIT代表取締役CEO。1984年、大阪府に生まれ高校から東京へ。高校卒業後に中古品輸出企業に就職し、4年間の修業期間を経て22歳でECOMMITを創業。創業後、中国に輸出された日本の電子ごみによる環境負荷を目の当たりにし、トレースできない中古品の海外輸出を一切停止し、環境問題に改めて向き合う。現在は、自社開発システムを主軸に企業や自治体のサーキュラーエコノミー推進事業を全国に展開する。

ECOMMIT
本社/鹿児島県薩摩川内市神田町2-30
URL/https://www.ecommit.jp/
従業員/130人(2023年1月時点)

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