民間企業として世界初となるランダー(月着陸船)での月面着陸に挑んだispace。2023年4月、惜しくも着陸体制に入る直前で通信が途絶えたが、民間企業として着陸成功を目指し最も月面に近づくという大きな実績を残した。
宇宙事業は、解明されていないことが多い環境下でのトライ&エラーの連続だ。失敗を重ねるほど成功確率が上がると言われている領域だが、ステークホルダーをはじめ周囲の期待は大きいだけに、失敗はスタッフの心身の疲弊を招くはず──そんな一般的なイメージをよそに、ispace代表取締役CEOの袴田武史は、淡々と目の前の課題に取り組む。しかし、その心の中では、幼少期から志した宇宙への情熱を燃やし続けている。
宇宙船に憧れた少年が、宇宙のエコシステム構築を志す
袴田が宇宙に興味を抱いたきっかけは、幼少期に観た映画『スター・ウォーズ』シリーズだ。「いつか宇宙船を作りたい」──その夢に突き進む過程で、夢のスケールが広がっていった人生だ。
中高生時代はロボットやロボットコンテストに関心を抱いたものの、大学受験期になると宇宙への思いが再燃し、航空宇宙工学を学ぶことを決意する。ところが日本には航空宇宙を学べる大学が少なく、狭き門だ。袴田は、2年をかけて名古屋大学へようやく入学した。モチベーションを維持するのは大変だっただろうと思いきや、本人は「自分は、やりたいと思ったらとことん集中するタイプ。浪人期間も苦に感じなかった」と笑いながら振り返る。
大学で念願の航空宇宙学を学んだが、当時の日本の大学では各専門分野のエキスパートを目指すような構造になっていると袴田は感じた。「宇宙船を作る」という目標に立ち返ったとき、俯瞰して設計の最適化を学べる研究室が乏しいことに、もどかしさを感じた。
「日本の仕組みの中では、特定専門分野を極めた人がロケット設計の意思決定層に入ることができます。でも本来、設計には材料工学や化学、数学などさまざまな分野が関わるため、全体の最適化を考えられる人が入るべきです。加えて、ロケットや機体を作るためには、複数の分野を統合したシステムを作り上げることが必要。必然的に、そうした知識を磨ける環境として、海外を意識するようになりました」
同時期、宇宙航空研究開発機構(JAXA)らが作ったH-IIAロケットが、相次いで打ち上げに失敗。そのニュースを目の当たりにした袴田は、アメリカのジョージア工科大学大学院への進学の決意を固め、海を渡った。
宇宙船を作るにはそもそも莫大な資金が必要なうえ、エンジニアの視点だけでは高コストになり、国やごく一部の富裕層しか使えないものになる。かねてから経済にも興味をもっていた袴田は、宇宙船設計の初期段階から経済合理性の観点を入れるべきだと考えるようになった。
ちょうどそのころに、民間人向けの宇宙旅行を可能とする企業が誕生し、話題となった。民間による宇宙産業が花開くと感じた袴田は、宇宙産業には経営視点が必須になると考え、大学院後には経営コンサルティング企業に就職。宇宙ビジネスという高コスト産業に身を置いていたこともあり、「民間企業ではどのようにコスト削減をしているのかを知りたかった」という。
だが、その就職先でもっとも学んだことは、コスト削減のノウハウではなく、「恐れていてもしかたがない」というマインドだったと笑う。成功報酬型なので成果を出さなければならない一方、小さな会社だったこともあり入社直後から現場に配属され、自分で責任を持ってやり切ることの連続だった。
前を見て、トラブルに冷静に対処する
この時期、袴田は本業と並行して宇宙に関わり始める。ホワイトレーベルスペース・ジャパン代表に就任し、民間による月面無人探査を競うコンテスト「Google Lunar XPRIZE」にボランティアメンバーとともに参加していた。
ホワイトレーベルスペース・ジャパン時代は、苦労の連続だった。最大の困難は、資金調達だ。宇宙ビジネスは技術力があっても資金がなければ前に進めない。ところが、2010年頃の日本はIT業界でさえスタートアップにほぼ投資されなかった時代。袴田は資金調達に奔走したが、最初の3年ほどは資金がほとんど集まらなかったという。
さらにこの時期、一緒にプロジェクトを進めていた海外のチームが宇宙事業から撤退するなど、不可抗力による壁が幾度も立ちはだかる。しかしながら、袴田に精神的なダメージはなかったという。
「自分は前しか見ない人間。起こってしまったことに対して、次に何ができるかを常に考えています。海外のチームが離れることは薄々感じていたので、そうなったら自分たちはどう生き残るかを議論していたんです」
そんな袴田も、宇宙事業をやめようかと思ったことが一度だけあるという。報酬のないボランティアとして活動する中、エンジェル投資家から出資の話をもらったときだ。その投資家から、「袴田さんは、宇宙船を作りたいのではなく宇宙産業を手がけたいはず。そのために投資します」と言われた。
この話を受けるなら、いよいよ自分の人生を賭けてコミットしなければならなくなる。
「一緒に活動していた仲間に、『投資の話をもらっているが、悩んでいる』と正直な気持ちを打ち明けるメールを送りました。ただ、今思えば、メールを書いた瞬間に宇宙事業に100%集中すると決断していたのでしょう。書くことで、区切りをつけたんだと思います」
経営コンサルタント時代に学んだ、恐れていても仕方がないという姿勢が人生の転機に再び現れたのだ。袴田は、13年にispaceを設立して資金調達を受けた。
新しい宇宙産業の姿を目指して
22年12月には、民間初となる月面着陸に挑戦するためにランダー(月着陸船)を打ち上げ、約5ヶ月間かけて機体や環境を整え、23年4月に着陸態勢へ。着陸目前にして通信が途絶えるという結果になったものの、民間企業としては世界で最も月面着陸成功にに近づくという偉大な結果を残した。
「月面着陸に至らなかったものの、このミッションでは大きな成果を残せました。重要なのは、一度の失敗で事業が継続できないほどのリスクは負わないこと。宇宙事業は高コストなので、一回のチャレンジに必要な金額しか調達できないこともあります。ただ、我々はシリーズA で約100億円の調達ができていたので、今回のミッションに失敗しても学びを得て次のチャレンジができる。この環境を作ることは大事だと思います」
ispaceの現在における最大のミッションは、ランダーの月面着陸を可能にし、顧客の荷物を月に運ぶこと(ペイロード)、そして月面のデータを収集・活用すること。しかし、事業計画はそこに留まらない。
「人類が宇宙活動を活発化させる未来において、月はエネルギーやロジティクスの面でも大きな可能性を持っています。月が独立して発展するわけではなく、かならず地球とコネクトする。そのエコシステムを構築し、人類の接続的な宇宙活動・居住などを見据えた事業を展開していきたい」
民間企業初の月面着陸にもっとも近い場所にいる袴田、しかし自らを「まだ成功していない人間」と評する。それでも壮大な夢を抱き続けられるのは、常に長期的なゴールを意識しているからと自己分析する。長期視点に立つと、目の前の壁はステップでしかなくなるという。
「成功に至る道はひとつだけではありません。一回の行動で全てが決まるわけでもないし、最終的なゴールも変わらない。だったら、一歩を踏み出すしかないと思うんです」
そう語る袴田は冷静ながらも、確かな情熱に支えられていた。その昔『スター・ウォーズ』に魅せられた少年は、宇宙船の夢も飛び越え、これからは自分も想像すらしない新しい社会の未来図を描いていくのだろう。
袴田武史
1979年生まれ。大学受験で東京工業大学に複数回チャレンジするも不合格となり、他大学の機械工学科に進学。しかし、宇宙への思いから再受験し、名古屋大学工学部機械・航空工学科に入学。ジョージア工科大学大学院へ進学し、航空宇宙工学修士取得。帰国後は外資系経営コンサルティングファームに入社。2010年ホワイトレーベルスペース・ジャパンを設立し、代表に就任。同年よりGoogle Lunar XPRIZEにチーム「HAKUTO」を率いて参加。2013年ispaceを設立、代表取締役に就任。
ispace
東京オフィス/東京都中央区日本橋浜町3丁目42-3 住友不動産浜町ビル3F
URL/https://ispace-inc.com/
従業員/276名(2023年9月25日時点)
>>EOY Japan 特設サイトはこちら