「優しさ」という特異性
しかしそれ以上に、本稿では「おにやんま君」の、他の防虫グッズとは異なる特異性に注目したい。それは「優しさ」だ。Forbes JAPANでは以前、界面活性剤水溶液で蚊の飛行能力を奪う花王の技術について取り上げた(「飛べない蚊はタダの虫」蚊が飛べなくなる花王の新発見 )。
念のため申し添えておくが、当該技術と「おにやんま君」の効果が同程度であると言いたいわけではない。ここではあくまでも「優しさ」にのみ焦点を絞っている。
私たちが蚊やハエ、種々の虫と正面で対峙してしまったとき、取る手段は一つ、駆除である。窓を開けて追い払おうとしたところで、相手方はそう簡単にはこちらの意図に乗ってくれない。必然、直接的な手段に出るほかない。舌打ちや悲鳴を交えながら殺虫剤を噴霧したり物理的に応戦したりする。向かえるのは悲劇的な結末である。悲しいが、それが私たちの生き方だ。
その点、界面活性剤水溶液や「おにやんま君」、もしくは流通している(殺虫剤ではない)虫除けは「そもそも虫と対峙しない」ことを目的としている点でずいぶんと「優しい」。殺虫成分や忌避成分(虫除けに使用されている成分)を一切含まない「おにやんま君」ともなれば、古き時代の蚊帳を彷彿とさせるような奥ゆかしささえ感じられる。私たちは害虫と平和的に訣別できるのだろうか。
直接手は下さないが──という驚くべき絶滅策
いや、そうではないだろう。ここで言う「優しさ」はあくまでも人間の都合でしかない。餌を奪われ、住み処を追われた虫たちは何処へ行くというのだろう。直接的に手を下さない、その究極的な方法が不妊虫放飼法だ。不妊化した虫を野に放ち、繁殖を妨げるのである。日本では沖縄のウリミバエに対しておこなわれ、約20年の歳月を経て完全な根絶に成功した。このとき放たれた不妊のウリミバエは、なんと530億匹にもなったという。
果たして私たちの「優しさ」は正しいのだろうか。もちろん、「私たちにとって正しい」。彼らは見た目だけでなく、殺傷能力や、病原菌を運搬する能力などを有しているからこそ害虫と呼ばれる。そうである以上、人間は取るべき手段を取らざるを得ないのだ。
とはいえ、個人と害虫が立ち向かう機会は、少なくなるに越したことはない。その意味で「おにやんま君」は実に有用であると言える。
「おにやんま君」の弱点とは?
ところで、「おにやんま君」には明確な弱点があるように思われる。既に察している人も多いだろうが、そもそも「おにやんま君」自体、虫嫌いにとっては目を背けたくなるほど精巧なフォルムをしているのだ。使用例として帽子への装着が推奨されているが、各々の適性を問われる使い方ではあるだろう。軒先に吊して、忘れてしまって翌朝、自分が仕掛けた罠に大声をあげて驚いてしまう醜態を晒してしまう可能性だってある。まさに「毒をもって毒を制す」、「肉を切らせて骨を断つ」精神が必要だということだ。
ここでも再び「優しさ」について考えさせられる。優しさの行使には、常に覚悟が要求されるのだ。
生きている限り暑さとの戦いは続く。害虫との戦いも続く。これからの時代、地球環境に対し、そして全ての生命に対して「優しく」ありたいものだ。もちろん、人間のできる範囲で。
松尾優人◎2012年より金融企業勤務。現在はライターとして、書評などを中心に執筆している。