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2021.11.10 11:00

“お客様の幸せ創造力”がアフターコロナの外食産業を切り開く。和の文化を伝承するBYOの強い経営体質を読み解く

株式会社ビー・ワイ・オー代表取締役社長 中野 耕志

バイアウト投資によって投資先企業の価値向上と永続的な成長を支援するクレアシオン・キャピタルが「日本の宝」と評する企業を紹介する連載企画。今回は、このコロナ禍においても「食が生活を豊かにする」という信念に基づき、“いまあるべき”和食をつくり続けるビー・ワイ・オーの軌跡に迫る。


創作和食居酒屋という業態の先駆者


外食事業を展開するビー・ワイ・オーの創業は、1991年。現在、看板(運営ブランド)は15を数えており、業態は多岐にわたる。だしと手づくりにこだわる創作和食居酒屋「和食・酒 えん」、栄養バランスのよい手づくりの定食をカフェスタイルで提供する「おぼんdeごはん」、極上のだしでお茶漬けの概念を変えた「だし茶漬け えん」、ほかにも総菜店やグローサリーショップなどを手がけている。

経営理念として「和の文化を伝承する食の創造」を掲げているとおり、全ブランドに通底するのは和食への深い理解と愛情だ。その源泉を探ると、代表取締役社長の中野耕志にたどり着く。中野は、旧西ドイツ・デュッセルドルフの日本料理店で料理人としてのキャリアをスタートさせた。彼の師匠・伊藤文夫は、白洲次郎や東山魁夷などが通った銀座並木通りの寿司店で働いた後、1960年代にドイツにわたって欧州で寿司および和食の普及に努めてきた伝説の職人だ。

「そもそも鮮魚がない、炊飯器がないといった数多くの苦労を乗り越えてきた伊藤さんの挑戦力と創造力から私は多くを学びました。現地の食材で和食をつくり続けてきた経験により、クリエイティブの感性が磨かれたと思っています」

ビー・ワイ・オーの看板ブランドに育った「和食・酒 えん」は、現行の他ブランドに先駆けて1996年に始動している。同年に中野はビー・ワイ・オーに参画して、1号店の料理長として「クリエイティブの感性」を振るってきたのだ。

「当時の外食産業の地図には客単価の高いかっぽう店と低い大衆居酒屋はあっても、その中間エリアがなかったのです。私たちは、料理と空間にこだわることで“従来よりも客単価の高い居酒屋”という新たなビジネスモデルをスタートさせました。居酒屋ながらも、だしを引くところから料理をはじめ、オープンキッチンのスタイルで調理工程をお客様に見ていただき、お店の空間から料理の盛り付けに至るまで目に入るものすべてに情熱を注ぎ込みました」

こうして外食業界に「創作和食居酒屋」という新業態が誕生した。かっぽう店に通っていた層からは「ミディアム接待」で御用達になり、若い層からは「アッパーデート」に使われるなど、「和食・酒 えん」は各種の潜在的ニーズを掘り起こした。

ミディアム接待やアッパーデートであれば、店舗のロケーションはオフィス街や繁華街で、さらには店舗が入る建物自体にもブランド力があることが望ましい。現在、「和食・酒 えん」が関東圏で出店しているのは、ウィング高輪、池袋パルコ、虎ノ門ヒルズビジネスタワー、キュービックプラザ新横浜、相鉄ジョイナスなど。商業施設にあるレストラン街への出店戦略がブランドの定着を促進してきた側面も大きい。

コロナ禍であらためて自社の強みを知る


業種をバランスよく配する商業施設への出店戦略は、競合店対策においても奏功した。商業施設とのパートナーシップはビー・ワイ・オーの大きな強みのひとつと言えるだろう。そもそも、ブランドが15にまで増えたのは、商業施設からの出店要請に応じて、新たな業態を次々と開発したからでもある。「和食・酒 えん」の成功以来、中野直伝の“クリエイティブの感性”が組織に浸透したビー・ワイ・オーは、勝ち筋を見いだしてくれる会社として多様な商業施設からの厚い信頼を得ているのだ。

「私たちに必要なのは、時代の変化を敏感に察知すること。そして、常にお客様の幸せを第一に考えること。つまり、お客様の幸せに対して“クリエイティブの感性”を働かせることなのです」



例えば、女性の社会進出がさらに進めば、「おいしくて体に優しいごはんをひとりでも安心して食べられる店」の需要が増えると予測できる。そこに対して創造力を働かせたのが「おぼんdeごはん」という定食業態だ。

「私たちは流行のお店ではなく、長く愛されるお店をつくりたいと考えています。効率を求めることは経営判断として大事ですが、そのためにお客様の幸せが損なわれてしまうと本末転倒です。だから、ビー・ワイ・オーはセントラルキッチン方式を採用していません」

工場で大量に調理したものを各店に配送して、店舗で機械的なオペレーションを行うのは、流儀ではないという。

「おかげさまで長く続いてきた店舗の多さが、ビー・ワイ・オーの経営基盤を強くしています。昨年来のコロナ禍では、酒類提供に頼らない業態も多いことで収益減が最小限に抑えられました。つまり、“クリエイティブの感性”“お客様に長く愛されるブランド”“多様な業態を揃えたポートフォリオ”といった強みが、創業以来最大のピンチを退けてくれたのです。アフターコロナの外食産業は、これまでよりもシビアにお客様から質の部分が見定められるようになるでしょう。私たちはそのための準備を進めています。また、すでに台湾に出店していますが、ビー・ワイ・オーはこれからも積極的に和食という優れたコンテンツを海外にまで届けていきます」

2020年にアフターコロナを見据えて、国際色豊かな東京・日本橋エリアに出店した「KINZA」は、和の文化を世界へ発信していく試金石となる店舗だ。さらに、今後は外食事業に加えてコントラクト事業も成長のエンジンにしていく。社員食堂やホテル併設レストランなどの運営を受託して、限られた条件下でもお客様の期待を超えた創造性を発揮するノウハウを注ぐ。


(左)株式会社ビー・ワイ・オー代表取締役社長 中野 耕志 (右)クレアシオン・キャピタル 常務執行役員 最高投資責任者 辻 智史

「実は、今年の株式上場を目指して従前から準備していました。15年に資本提携で合意したクレアシオン・キャピタルとの二人三脚で、コロナ禍以前は過去最高益を更新し続けてきました。その過程においては、上場企業に求められる強い経営基盤を構築する数々の学びがありました。上場のスケジュールはいったん延期になりましたが、このコロナ禍は私たちの強みを再認識する機会となりました。組織経営の基盤は整い、受託ビジネスは成長エンジンとして確実な成果を出し始めています。今後、さらにさまざまな業態で和食のある豊かな生活を提案し、お客様の幸せを創造し、必ず上場を果たします」


投資ファンドの目線

この業態開発力こそ日本の宝




時代のニーズをとらえ、新たな店舗というかたちでプラットフォーム化していく力に長けているのがビー・ワイ・オーです。弊社が2015年に投資させていただく以前から、長年にわたって特徴的な業態の開発を続けてきました。ただし、さらなる成長に向けては「組織的な意思決定の仕組み」や「組織を支える管理体制」の構築を通じ、経営ステージを「家業」から「企業」へと昇華させることが必要でした。20年のIPOを目標に5カ年計画で経営インフラを整えてきたのです。弊社の理念は、「『日本の宝』への投資」。いまあるべき和食の姿を創造してやまないビー・ワイ・オーは、まさに日本の宝です。アフターコロナの攻勢に期待しています。

クレアシオン・キャピタル
常務執行役員 最高投資責任者
辻 智史


▶︎クレアシオン・キャピタル WEBメディア「Go Beyond_」

なかの・こうじ◎ビー・ワイ・オー 代表取締役社長。高校卒業後、国内で料理人修業を経て渡独。現地の日本料理店で研さんを積む。帰国後の1996年、ビー・ワイ・オーに参画。同社が和食を中心にして業態数・店舗数を拡大していくなかで、料理長、常務取締役を務める。2021年6月、創業者の跡を継いで代表取締役社長に就任。

つじ・さとし◎クレアシオン・キャピタル常務執行役員/最高投資責任者。野村総合研究所、ローランド・ベルガーにおいて事業戦略立案や業務改革等のコンサルティングに従事。その後、J-STARの創立メンバーとしてプライベートエクイティ投資、事業会社でのマネジメント経験を経て2015年に当社参画。京都大学大学院工学研究科修了


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Promoted by クレアシオン・キャピタル / text by Kiyoto Kuniryo / photographs by Shuji Goto / edit by Akio Takashiro