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2020.03.24

米「プレイボーイ」が廃刊、メディアのデジタル移行鮮明に

プレイボーイ創業者のヒュー・ヘフナー(Photo by Charley Gallay/Getty Images for Playboy)

新型コロナウイルスの感染拡大の新たな犠牲者となったのが、1953年創刊の米国を代表する男性誌の「プレイボーイ」だ。同社は3月18日、今春発売の号をもってプリント版の発行を停止すると宣言した。

「新型コロナウイルスの感染拡大がコンテンツ制作やサプライチェーンに打撃をもたらすなかで、当社が抱える問題の深刻さも増してきた。課題となったのは、当社のプロダクトを、いかにして消費者の好みに適合させていくかだった」と、プレイボーイCEOのBen Kohnは述べた。

プレイボーイは他の出版物と同様に、デジタル時代への適合に苦慮してきた。広告主らは近年、読者とのエンゲージメントを測定しやすいデジタル広告への予算を増大させている。一方で、雑誌広告市場は減少が続いており、eMarketerによると2019年の雑誌広告の出稿費用は前年比19%のマイナスだった。

プレイボーイは売上を開示していないが、Kohnはいくつかの前向きな指標を示している。インスタグラムにおいて、プレイボーイは直近の1カ月で400万人の新規フォロワーを獲得していた。しかし、ソーシャルメディアを意味のあるマネタイズにつなげるのは、かなり難しいのが現実だ。

Kohnはまた、動画のサブスクリプション会員が昨年、30%増加したと述べ、Eコマース部門が100万人近いアクティブユーザーを抱えていることも明かした。プレイボーイは将来的に、不定期のスペシャルエディションとしてプリント版を発行することも検討中という。

「プリント版はプレイボーイのルーツであり、常に当社の事業の一角を占めてきた」とKohnは述べた。

プレイボーイは1953年にヒュー・ヘフナーによって創業された。当時27歳のヘフナーは、エスクァイアでコピーライターを務めていたが、5ドルの賃上げを拒絶され、自身で雑誌社を立ち上げたという。創刊号の制作コストは8000ドルだったが、ヘフナーはそのうち1000ドルを母親からの借金でまかない、5万4000部を売り切った。

その後、プレイボーイは米国を代表する雑誌に成長し、最盛期の部数は100万部を突破した。

「プレイボーイはパーソナルな出版物だ。私にとって大事なのは、アイデアであり、売上ではない」とヘフナーは1971年のフォーブスのインタビューで述べていた。

プレイボーイは1971年に上場を果たしたが、2011年に評価額2億700万ドル(約230億円)で、投資家グループに買収された。現在の同社の企業価値は、当時を大きく下回るとみられている。

編集=上田裕資

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