当時の人事制度では、それは、「二度とクリエイティブ局には戻れない」ことを意味していたので、とてもショックでした。そのことを、宝酒造の仕事で一緒だった太田さんにこぼしていました。
その数日後。編集終わりに、上司の部長と太田さんと恵比寿の焼き鳥屋さんに行きました。当時は、仕事終わりにご飯を食べながら仕事の話で盛り上がるのが当たり前の時代。先輩の話からは、自分とは違ったアングルでの物の見方、自分よりも深い思考を得られる貴重な機会でもありました。(時代の流れとはいえ、今、こういう機会が減っているのは、もったいない気もします。)
3人で座ったカウンターで、私の気持ちを代弁するかのように、太田さんが上司の部長に言ってくれたのです。
「松尾さんは大丈夫ですよ。ちゃんと面白いこと考えようとしてるから」
太田さんは一目置かれた存在だったので、その声は、部長の評価にも影響したと思います。その後、3年ほど、私は何度か異動の候補者に挙げられるのですが、その度に、他の先輩の方々から助け舟を出して頂いたおかげで、今があります。
時は経ち、プレゼンの絵コンテづくりを任されるようになったある日。京都の宝酒造本社で、プレゼンが始まる前の待ち時間にした太田さんとの会話です。
松尾:こういう、まさにプレゼン直前に、もっと良いコピーを思いついたら、太田さんはどうしますか?
太田:この場で、書き直して出すわよ。
松尾:でも、(ワープロ打ちの文字で)キレイに仕上げた絵コンテを、手書き文字で修正したら、ミスを見つけて、今、慌てて修正したみたいで、印象が悪くなりませんか?
太田:『たった今、もっと良いコピーを思いつきました!』って、うれしそうに言えば良いだけじゃない。
松尾:信じてもらえますかね?
太田:新しいコピーの方が良いんだから、信じてもらえるわよ。
松尾:でも、競合プレゼンの時だと、さすがに、そんな手書き修正はしないですよね?
太田:あのね、松尾さん。より良い案を思いついたら、いつでも直すべきなのよ。私たちの仕事で大事なのは、コンテの見栄えなんかじゃないの。そして、プレゼンで終わりじゃないし、撮影して、編集して、納品が終わるまで、安心しちゃいけないの。私たちには、ずっと考え続ける責任があるのよ。
セリフやト書きをMacで打ち、綺麗で見栄えの良いコンテをつくることで先輩に褒められ、重宝もされはじめていたのですが、自分の居場所をつくることばかりを考えて、この仕事の本質を忘れていた自分が恥ずかしくなりました。
モーゼが海を割って一本の道が現れたように、私の前に明確な指針ができた瞬間でした。そして、この指針のおかげで、数年後、私はカンヌ国際広告賞で日本勢として唯一受賞をすることになります(それは、また別のところで)。
太田さんと仕事をできたおかげで、今の私はあります。太田さん、ありがとうございます。
連載:無能だった私を変えてくれた凄い人たち
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