悠久の時を経てもなお響く
賢帝の金言を胸に秘めて
ソロメオ村で暮らすブルネロ・クチネリ氏とその家族たち。家族は社会の核であり、愛と助け合い、団結の心の拠り所と捉えるクチネリ氏は、家族と過ごす時間をなによりも大切と考える。
「私は、世界の美に責任を感じた」
ブルネロ クチネリ社が拠点とする、美しい自然に囲まれたイタリア中部の小村ソロメオの石垣には、こんな言葉を記した銘板が掲げられている。それは平和的な治世によって古代ローマ帝国の五賢帝に数えられ、1800年以上の年月を経た現在も残る美しい宮殿や神殿を欧州各地に造営した、第14代ローマ皇帝ハドリアヌスのものである。その言葉は同社のファウンダーであり、現会長兼クリエイティブ ディレクターであるブルネロ・クチネリ氏の信念を象徴しているのだ。
イタリア中部ウンブリア州ペルージャ県の農村カステル・リゴーネにて、1953年に誕生したブルネロ・クチネリ氏。当時クチネリ家は農業を営んでおり、自然と共に生き、豊かな大地から糧を得る農民として過ごした幼少期の暮らしは、氏の人生の基盤となった。そして青年へと成長したとき、人生を左右する出来事が起こる。ペルージャ郊外に引越した一家を支えるべく、工場勤務を始めた父ウンベルトが、劣悪な労働環境と侮辱的な処遇に打ちのめされ、家族の前で涙を流したのだ。その姿は脳裏に焼き付き、のちのブルネロ クチネリ社の経営理念「人間主義的資本主義」へと結実するのである。
やがて測量士になるための高校を経て大学の工学部へ進学したクチネリ氏は、その間にのちの妻となる女性フェデリカ・ベンダと出会う。彼女もまた氏にインスピレーションを与える存在であった。彼女自身が生まれ育ったソロメオ村の近郊で彼女が営んでいた小さな服飾店を訪れた氏は、ファッションに興味を抱くようになり、とりわけペルージャの伝統産業であるニットにビジネス的な可能性を見出す。そして大学を中退して、1978年にニット製造会社を起業したのだ。ほどなくして高級素材のカシミアがシックな色の男性向け商品ばかりなことに気づき、当時画期的だった鮮やかな女性向けのカシミアニットを開発。これが好評を博し、会社は早くも軌道に乗った。そして1982年フェデリカとの結婚を機にソロメオへと移住し、3年後には古城を買い取って手狭となった本社を移す。ファッションビジネスの定石とは真逆とも言える、都会ではなく郊外の小村への移転には、長年温めてきた夢とアイデア、そして哲学が込められていた。
ソロメオ村で暮らすブルネロ・クチネリ氏とその家族たち。家族は社会の核であり、愛と助け合い、団結の心の拠り所と捉えるクチネリ氏は、家族と過ごす時間をなによりも大切と考える。