サイエンス

2025.06.14 17:00

たった数十年で消え去った米国の「どこにでもいた鳥」、ヒースヘン絶滅の教訓

現生のソウゲンライチョウの求愛(Shutterstock.com)

現生のソウゲンライチョウの求愛(Shutterstock.com)

すでに絶滅した「ヒースヘン」(heath hen。学名はTympanuchus cupido cupido、和名はニューイングランドソウゲンライチョウ)という鳥は、さまざまな理由により、歴史的に興味深い種となっている。

こうした理由のうち第1に挙げられるものは、17世紀初頭に英国から新大陸に渡った清教徒たち「ピルグリム・ファーザーズ」が初めて迎えた感謝祭の食卓に供された鳥だと推測されている点だ。

この推測は納得がいくものだ。清教徒たちが到着した1600年代には、ヒースヘンは、現在の米国北東部にあたる地域の海沿いに数多く生息していたからだ。当時であれば、野生の七面鳥よりも、ヒースヘンを何羽か捕まえてディナーに供する方が簡単だった可能性が高い(とはいえ七面鳥も、捕まえるのにそれほど労力は必要なかったはずだが)。

実際、18世紀になると、ヒースヘンは「貧者の食料」として知られるようになった。それだけ安価で、ふんだんに供給されていたということだ。

しかし1932年までに、この種は絶滅してしまった。ヒースヘンの物語は、生態学における重要な論点を裏付ける。それは、ある種の個体数が非常に多いとしても、絶滅の可能性がゼロになるわけではない、ということだ。

その典型例が、北米大陸の東岸に生息していたリョコウバトだ。かつては地球上で最も個体数が多い鳥類であり、1800年代にはその群れがあまりに巨大で、何時間も空を覆い尽くして真っ暗になるほどだった。しかし1914年までに、こちらも絶滅してしまった。絶え間ない乱獲と、広範な生態系の喪失によって、地球上から消え去ってしまったのだ。

(余談:人類は多くの鳥類の種を絶滅に追いやってきたが、時には逆に、鳥類が人間を攻撃することもある。こちらの記事では、人間を攻撃することで知られた4つの鳥類の種を紹介している。そのうち2つの種は、人の命を奪った事例もあるほどだ。)

では、ヒースヘンの不幸な物語と、これほど急速に絶滅への道をたどった理由について、以下に解説していこう。

「どこにでもいる鳥」が、数十年で絶滅に至るまで

ニューイングランドソウゲンライチョウ(C. Horwitz, fiancee of Steven G. Johnson (permission granted to SGJ to upload under GFDL and CC-BY-SA) )
絶滅した「ヒースヘン」ことニューイングランドソウゲンライチョウ(C. Horwitz, fiancee of Steven G. Johnson (permission granted to SGJ to upload under GFDL and CC-BY-SA) )

ソウゲンライチョウの亜種の一つとされるヒースヘンは、かつてはメイン州からバージニア州にかけての、低木が茂る海岸沿いの平地に数多く生息していた。その外観で何より特徴的なのは「角」だが、これは実際には、オスが求愛ディスプレイの際に立てることがある飾り羽だった。

春になると、オスのヒースヘンはレック(ライチョウなどの鳥が集まって求愛行動をする場所)に集まり、派手な踊りを披露する。その際には、首の両側にあるオレンジ色の気嚢を膨らませ、足を踏み鳴らして、自らの優越性と活力をアピールする。

こうしたディスプレイ行動が行われる場所は、しばしば「ブーミング・グラウンド」と呼ばれ、数世代、時には1世紀にわたって同じ場所が用いられるケースもある。生息域の一部では、鳥たちの見せる華やかな求愛行動が人目を引き、観光客が集まるほどだった。

ヒースヘンは、ソウゲンライチョウ属(Tympanuchus)に属するなかで、ニューイングランド地方を中心とする北米東海岸に生息する唯一の種という、他にない特徴を備えていた(他のソウゲンライチョウは、中西部のプレーリーに生息している)。このように地理的に隔絶された環境に生息していた彼らは、他のソウゲンライチョウと比べると小型で、体色がより赤いという、遺伝的に異なる集団を形成していた。

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翻訳=長谷睦/ガリレオ

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