東京都が展開する「未来を拓くイノベーション TOKYO プロジェクト」は都内ベンチャー・中小企業等が、事業会社等とのオープンイノベーションにより事業化する製品等の開発、改良、実証実験及び販路開拓を行うために必要な経費の一部を東京都が補助するとともに、事業化に向けたハンズオン支援を行う事業だ。
2022年度に採択されたLIFESCAPESは、脳卒中後の麻痺患者に向けたリハビリテーション機器の開発に取り組んでいる。同事業について、技術開発部長(CTO)の森川幸治に話を聞いた。
脳卒中による麻痺患者に向けたBMI技術

「廃用手」という言葉をご存じだろうか。脳卒中に罹患し、「生活の中で機能的に使うことができない」と判断された手のことをそう呼ぶのだという。日本国内での患者数は約170万人以上におよぶ脳卒中。その約3割の患者にはこうした重度の片麻痺が残り、これまでできていたボタンかけや、字を書くといった簡単な行為ができなくなってしまう。
「脳卒中は、脳の血管が詰まったり、破れたりすることで発生する疾患です。血液が正常に流れなくなると神経細胞が損傷し、脳が発する運動の指令が筋肉に伝達されなくなってしまいます。これまでのリハビリでは中等度から軽度の麻痺に対しての訓練方法が主で、重度麻痺に対するアプローチの仕方がなかった。そうした現状に対して我々が開発したのが、BMI(Brain-Machine Interface)によるリハビリテーション機器です」
そう語るのは、LIFESCAPESで製品開発の責任者を務める森川幸治。画期的なリハビリテーション医療機器「LIFESCAPES 医療用BMI(手指タイプ)」の開発を押し進めた中心人物だ。森川は「これまでのリハビリは、電気刺激療法や手指の課題指向型訓練など麻痺した“身体そのもの”に働きかけていましたが、私たちが開発を進めているBMI技術は“脳”にアプローチしているのが特徴です」と言う。
医療用BMI機器は、ヘッドセット(ウェアラブル生体信号センサ)と制御用コンピュータ、電動装具、制御ボックスの4点で構成される。
まず、ヘッドセットによって頭皮上から神経活動を反映した生体信号を検出し、分析ソフトを搭載する制御用コンピュータによって生体信号をリアルタイムに分析する。そして運動意図に関する生体信号を察知したタイミングで電動装具を駆動させる仕組みだ。
これまで、同様の機構を使って行われた国内外の学術研究によると、脳卒中によって神経細胞が損傷してしまっても微かに残っている神経活動はあり、脳神経からすれば「指よ、動け!」と念じたタイミングでそのとおりに指が動くことになる。これを続けることで代償的な神経回路の活性化を促す可能性があると議論されている。

在宅でも使用できる簡易BMIデバイス
「脳というのは何歳になっても可塑性と呼ばれる『変化する力』を持っているんです。BMI技術によってその可能性に働きかけていきたい。麻痺に対しては電動装具を常時装着して日常的な動作をアシストするようなアプローチもありますが、私たちの医療用BMIは、一定期間リハビリ訓練で使ったあとは、機器を外した状態でも手を動かせるようになる可能性があるのが重要なポイントです。これによって重度麻痺であった人も、中等度や軽度の麻痺を対象にした従来的なリハビリ訓練に移行できるよう促すことがわれわれの目的です」
「LIFESCAPES医療用BMI(手指タイプ)」は医療機器認証を取得したのち、2024年6月に販売開始され、北海道から鹿児島まで回復期リハビリテーション病院を中心に全国数十の病院で導入が進んでいる。これまでに400症例以上の臨床使用実績があり、導入初期の病院への納品時にはテレビ局4社、新聞社2社が取材に訪れた。
このように認知度が高まるなか、LIFESCAPESはさらにその先のビジョンを見据えていた。それは、自宅でも使える簡易BMIデバイスの開発だ。医療従事者でなくてもヘッドセットの装着と脳波の測定ができるように、ヘッドフォン型の脳波計とタブレットを用いたモデルの開発を進めている。
「脳卒中の後遺症に対するリハビリ治療については、発症後最大6か月で退院を余儀なくされているのが現状です。そうするとその後は、在宅での自主訓練か、自費でリハビリ外来に通うぐらいしか選択肢がありません。我々はそうした状況を鑑み、医療機関で療法士が手助けせずとも、ヘルスケア、機能訓練の一環として在宅でも使用できる簡易的なBMIデバイスの開発を進めています」

海外展開、そして認知を拡大していくために

脳卒中の麻痺患者は運動機能の回復や維持のために、生涯にわたる訓練が必要になる。それを阻む現状の課題に対して、「生涯にわたり支援するサービスを実現する」ために取り組んでいるのが「ヘッドフォンBMI」だ。この事業が「未来を拓くイノベーションTOKYOプロジェクト」に採択されたことで、多くのことがクリアになり、外部試験機関による非臨床評価段階間近というところまで進行している。
「我々のようなスタートアップの場合、実現したいことがあっても資金力が壁となって時間がかかってしまうおそれがありました。そんななか、新しいBMI機器の設計や試験品の開発におけるコストをカバーいただけたのは心強いサポートでした。また、医療用BMIについては海外展開に向けた準備も進めており、国際規格への対応や海外でのサイバーセキュリティを担保するためにも資金的な余裕が不可欠で、大きな力添えをいただけたと思っています」
海外展開という言葉が出たように、重度麻痺で悩む患者の多さからすれば、LIFESCAPESが実現したい夢はまだ始まったばかりと言えるかもしれない。まずは国内で多くの病院に導入してもらうために、より安価で治療を受けられるように保険適用を目指している。現在導入が進んでいる医療機関での一つひとつの臨床実績が、今後のスケールアップの鍵になるはずだ。
「このBMI技術は、脳卒中だけでなく他の神経由来の病気への応用も見込めます。また、病気の治療以外にも、例えばスポーツにおけるトレーニングといった一般用途にも活用が期待されます。今後はそうした分野への展開も考えつつ、我々が開発したBMI技術の認知を広げていきたい。その先に、病気で悩む多くの患者さんを救う未来があると信じています」
未来を拓くイノベーションTOKYOプロジェクト
都内のベンチャー企業や中小企業等が、事業会社等とのオープンイノベーションにより事業化する革新的なプロジェクトを対象に、その経費の一部を補助することにより、大きな波及効果を持つ新たなビジネスの創出と産業の活性化を図る事業。
LIFESCAPES
2018年設立。慶應義塾大学理工学部 牛場潤一教授の研究室のBMI技術の研究成果を応用したリハビリテーション機器の開発・製造・販売を行う。BMIをコア技術とした革新的な医療機器により、脳卒中患者を取り巻く課題の解決と、QOL向上に貢献することを目指している。
森川幸治(もりかわ・こうじ)
株式会社LIFESCAPES、CTO(Chief Technical Officer)。名古屋大学大学院工学研究科博士後期課程修了、博士(工学)。パナソニックの先端技術開発部門にて、人工知能技術、脳波をはじめとする生体信号応用技術に関する研究開発を推進。2020年6月より現職。
一般社団法人 人工知能学会 理事、副会長、監事を歴任。