三菱UFJ銀行(以下、MUFG)などが運営する「観光・インバウンドの課題解決を目指すオープンイノベーション拠点」MUICが挑む、新しい観光事業の可能性とはーー。
「訪日客、大阪から「手ぶら」で帰国 荷物配送2025年に」(2023年11月6日、日本経済新聞関西版)
その日の朝、日経朝刊の1面に自分の名前入りで大きく掲載された記事を見て、MUIC Kansai(一般社団法人関西イノベーションセンター)シニアマネージャーの林勇太(はやし・ゆうた)は「ついにここまで来ることができたか」と、深い感慨を覚えた。それは2025年の大阪万博を見すえ、林が東京のスタートアップ、株式会社Airporterと一緒に1年以上にわたって構想を練ってきたインバウンド(訪日外国人)観光客向けの手荷物配送サービス、「シティチェックイン」の実証実験を行ったことを伝える記事だった。
「記事を見た吉村大阪府知事をはじめ、さまざまな方がSNS上で反応してくれました。それを見て、『シティチェックインはこの世界に必要とされている』という思いが確信に変わりました」
シティチェックインは、インバウンド観光客が、帰国日の朝に荷物をホテルに預けることで、「手ぶら」で旅行の最終日を楽しむことを可能にするサービスだ。荷物はAirporterが午前中にホテルから回収し、空港へと送り届け、手荷物チェックインまで代行してくれる。
旅行者は自分で荷物を預ける手間がなく飛行機に搭乗でき、目的地の空港に到着すると、ターンテーブルで荷物を受け取ることができるという仕組みだ。新型コロナのパンデミックが終息して間もなく、日本を訪れるインバウンド観光客は急増した。とくに関西の大阪、京都の人気観光スポットでは、路上が海外の人々で埋め尽くされるほどになった。
「それにともない、路線バスや電車などの公共交通機関では、観光客が運ぶ大きなスーツケースや荷物がスペースを塞いで、混雑の要因となってきました」
近年、海外観光客が増えすぎたことで、地域住民の生活に悪影響を与える「オーバーツーリズム(観光公害)」が話題だが、「シティチェックインはその改善に大きく貢献できる」と林は語る。手ぶらで気軽に移動できれば、大型ロッカーや荷物が預けられるホテルがある主要観光スポットだけでなく、周辺地域にも人流が分散されるからだ。
大手旅行会社の昨年度の調査では、京都市内の観光地で、臨時手荷物預かり所を利用した外国人をふくむ観光客の90%以上が、「手荷物を預けたことで行動範囲が拡大した」と回答している。この結果からも「手ぶら観光」が、観光客にとって快適で利便性の向上に寄与し、結果としてより広い範囲の観光を可能にすることがわかる。
「旅行客にとって最終日に荷物をホテルに預けられれば、フライトに間に合う時間まで観光を楽しむことができます。観光客がショッピングや食事で地域に落としてくれるお金も増えますし、荷物を受け入れる空港側も受付カウンターの長蛇の列の緩和につながると考えます。まさに『三方よし』の、誰にとってもメリットしかないサービスなのです」
構想の原点は「爆買いのニュース」
林は2021年設立のMUIC Kansaiが立ち上がる以前からこの組織に関わる、もっとも「古参」のメンバーである。「銀行の行員は2〜3年おきに部署や勤務地をローテーションするのがふつうです。私の同期の多くはもう5場所ぐらい経験していますが、私はここが2場所目なので、かなり変わった経歴なんです」
林が銀行員としては異例なほど長い間、MUIC Kansaiで働いているのは、それだけこの組織に対する思い入れが強いことが理由だ。始まりは5年半前、2019年にMUFG丸の内本社の戦略調査部(現 産業リサーチ&プロデュース部)で働いていた林に、「関西で、観光をテーマにするイノベーションの拠点を立ち上げる計画がある」と上司が伝えたことだった。
「立ち上げプロジェクトを推進する中で、『京都や関西エリアに貢献できる仕事ができるかもしれない』と思い、上司に直談判して運営メンバーに加わることを決めたんです」
林が生まれたのは「小京都」と呼ばれる石川県の金沢市だ。古い歴史を持つ金沢で育った林は、高校時代に全国模試の日本史で1位をとるほど歴史に興味を持つようになった。歴史への関心から「大学生活はぜひ京都で送りたい」と考えるようになり、京都大学へと進学する。「学生の街」とも呼ばれる古都で過ごした4年間で、さらに京都への愛情は深まった。卒業後は、大阪中之島支店での勤務後、東京の本店で数年間働いている間も、「いずれは京都の近くに戻りたい」と考えていたという。
「戦略調査部のときには、三菱UFJリサーチ&コンサルティング(MURC)に半年間出向して、大企業のお客さまを対象にイノベーションを生み出すための戦略提案を行う仕事に従事しました。そのときに、まったく新しい事業を生み出すやりがいや面白さを実感し、そこで学んだことをMUICで実践してみたいと思ったんです」
MUICに赴任してから最初に林が考えたのが、「家電量販店などで買ったテレビ等の大きな買い物を、免税品扱いで空港を経由して自国に送れるサービスができないか」というアイディアだった。
「コロナ前から、中国人観光客の『爆買い』がニュースになっていました。私の上司も中国に赴任していたときに、『大きな買い物が直接店から自国に発送できる仕組みがあれば便利なのに』と感じたことがあると聞き、潜在的なニーズがありそうだと考えました」
その構想を具体化しようとしていたときに、紹介を受けたのが株式会社Airporterだった。同社はすでに、旅行客が到着した空港とホテル間の荷物の配送を実現していた。
Airporterのサービスを利用した外国人観光客のアンケートには、「小さな子どもを連れた旅行だったので、手荷物を空港まで届けてくれて本当に助かった」「移動中、両手が空くので、より多くの場所でたくさんの買い物ができた」といった多数の絶賛の声が書かれていた。
林が「買った品物を空港経由で他国に送れるサービスを考えている」とAirporterの経営陣に伝えると、彼らは「私たちはそれを、旅行客の手荷物でやれたらいいのに、と思っていました」と林に伝えた。
「彼らは東京に本社があるのですが、『まずは関西で実現したい』というこちらの希望に全面的に賛成してくれました」
昨年には実証実験も
シティチェックインの構想は、そうしてスタートした。サービス実現のために一番の課題となったのが、預ける人と、その荷物を別々にチェックインすることに対して、セキュリティ面の万全な体制を求められたことだった。「シティチェックインは昨年7月にJALのバンコク便で実証実験を行って、オペレーション上の課題を洗い出しました。航空会社が厳重に定めている安全上のルールを守りながら、何とか万博までに、一つの航空会社とだけでも運用を開始できることを目指しています」
シティチェックインは、すでに海外のいくつかの国で実現されている。韓国や台湾、香港では主要駅に手荷物預け入れのカウンターが設置されており、旅行者はそこに手荷物を預けて帰国先の空港で受け取ることができる。
じつはかつて日本でも、東京と大阪の空港へと向かうリムジンバスのターミナルでは、旅客の手荷物の受け入れを行っていた。だが2001年のアメリカで発生した同時多発テロの後に、航空業界全体のセキュリティレベルが向上したことに伴い廃止された経緯がある。それはつまり、日本でセキュリティの問題さえクリアできれば、多くの人に待ち望まれているサービスであることを意味する。
「日本の駅に今から、海外のようなインバウンド観光客が列をなすカウンターを新たに設置するのは非現実的です。観光客の多くは出発時間まで宿泊先のホテルに手荷物を預けています。
ホテルのバックヤードはスペースが狭く、夕方のチェックイン対応で忙しいときに荷物を取りに帰ってきた観光客に対応するのも大変なので、配送業者が空港まで運んでくれるのはとても助かると聞いています。デジタルの力も活用して手荷物と旅行客を紐づけ、安全・確実に海外空港まで送れる仕組みを構築していきます」
2025年4月までにシティチェックインの実現を目指すのに加えて、最近、林が考え始めているのが、「大阪万博が終わってから、MUICは何を目指していくべきか」ということだ。
「シティチェックインも社会への実装はこれからですが、MUICがなければ、いまの段階で構想自体この国に存在しなかったかもしれません。MUICがあるからこそ生まれる価値、それを万博後の未来に向けて、考えていきたいと思います」と林は笑顔でいう。
イノベーションへの挑戦は、まだまだ続きそうだ。
はやし・ゆうた◎一般社団法人関西イノベーションセンター シニアマネージャー。1992年石川県出身。2015年京都大学卒業後、三菱東京UFJ銀行(当時)入社。中之島支社で中小企業の法人担当、戦略調査部(現 産業リサーチ&プロデュース部)を経て、2019年8月より現事業に参画。
実績:空港施設DX化プロジェクト、宿泊施設における睡眠関連サービス導入事業、シティチェックインプロジェクト(手ぶら観光と手荷物預けのDX化)、など
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