11歳で車いすテニスを始め、21歳のときには最年少での年間グランドスラムを達成するなど、女子車いすテニス界を牽引するトップランナーとして走り続けてきた。
ロンドン2012大会以降、4回目のパラリンピックとなるパリ2024大会で、改めて感じたスポーツの面白さや人のあたたかさ、そして選手目線から感じたユニバーサルデザインの価値とは何か——話を聞いた。
人のあたたかさが街にバリアフリーをつくっていた
車いすテニス女子ダブルス、女子シングルスの2冠に輝き、上地選手が圧倒的な強さを見せつけたパリ2024パラリンピック。10代のころからトップ選手として活躍し続けてきた彼女は、パリでの闘いの日々を「人のあたたかさがより一層感じられた大会だった」と振り返る。「パラリンピックの試合は、全仏オープンの地であるローラン・ギャロスで行われました。慣れ親しんだ場所ですが、8月の暑い時期に行ったのは初めて。会場にはたくさんのお客様が詰めかけ、熱気にあふれていました。声援の大きさに、『いいプレーをしたい』とモチベーションが上がり、お客様にパフォーマンスの質を上げてもらった感覚がありました。大会に携わっているボランティアの方も含めて、みんなでパラリンピックの舞台をつくっていこうというあたたかさを、パリ2024大会ではとくに感じましたね」
印象的だったのは、シングルス2回戦で、地元フランスの18歳、クセニア・シャストー選手と対戦した試合だ。地元の声援を力に変えてプレーする様子に、「まだまだ負けていられない!」と刺激を受けたという。
「会場のほとんどはクセニア選手を応援していたのですが、試合が終わったあとは、『次からは、彼女に勝ったあなたを応援する!』と言ってくれる方いたり、大きな拍手を送ってくれたり。健闘した選手みんなをたたえるあたたかい雰囲気は、確実に私の背中を押してくれました」
パリ2024大会のテーマのひとつが、「環境に優しいサステナブルな大会を実現する」ものだった。各競技会場の95%は、ユネスコの世界遺産に登録された歴史的モニュメントを活用。大会のために新しい建物を作ることをせず、あるものを生かすという新たな試みだった。
バリアフリーという観点では、歴史的な建造物を活用するために、物理的に動きにくいシーンも少なくない。ただ、カバーできるところは人がする、というマインドが浸透しており、人の優しさを実感することが多くあったという。
「例えば凱旋門に行くには、周りが車道になっているため、地下に降りて地下道を移動する必要があります。でも、ある車いすの選手は、警察官が車道に誘導して車を止めてくれて、登ることができたそうです。普段の交通ルールを変えてまで、障がいのある方に配慮する試みは、ほかの大会で見聞きしたことがなかった。国をあげてパラリンピックを盛り上げようとしている、“おもてなし”の心を感じました」
パリは、そもそも地下鉄の乗り換えが階段移動であり、公共施設にエレベーターがあったとしても故障して乗れないこともある。不便さは否めないが、だからこそ、日常的に人々の助け合いの精神に触れることが多いという。
「例えば車いすで階段の前にいたら、どこからともなく人がやって来て、『大丈夫?』『手伝おうか?』と声をかけてくれます。できることがあるのなら助けてあげたい、という人々の気持ちがすごく伝わってくる。街自体はバリアフリーとは言えなくても、人々の優しさが街に散りばめられているから、どんどん出かけたいと思えます」
大会を通して、ボランティアスタッフの意識の高さにも助けられることが多かった。
「障がいがあるとかないとか、どこから来たかに関係なく、助けが必要な人みんなに手を差し伸べてくれる雰囲気があるんです。私は、助けてもらうことのほうが圧倒的に多いので、いつも笑顔で挨拶して、感謝の気持ちを言葉や振る舞いで伝えるように心がけていました」
次世代を担う選手にとっての身近な目標でありたい
オリンピック・パラリンピックのワールドワイドパートナーであるコカ・コーラ社とは、これまでさまざまな取り組みを行ってきた。とくに忘れられないのは、2023年末にスペインで開催されたマスターズの大会へ、車いすテニスのジュニア(18歳以下)メンバー2人を連れて行ったことだ。「後輩を海外に連れて行くことは、ずっと私の夢でした。選手生活をしながらでは、なかなか行動に移せなかったことを、コカ・コーラさんと一緒だったから実現できました」
そんな“夢”の背景には、10代で海外に出た経験が今の自分をつくっているという、確固たる思いがある。
「11歳で車いすテニスを始めて、日本の選手が海外に出ていく姿を目の当たりにしました。自分も行ってみたい!と思うようになり、世界で初めて見る景色に触れさせてもらいました。ジュニアのうちに経験したこと、見た景色は、その後の人生選択に大きな影響を与えるはずです。これからどんな道を選んでいくかは分からないけれど、『あのとき、あの場所でこんなものを見たな』『世界は広いんだな』と思える経験を、後輩たちにもたくさん重ねてもらいたい。いまだに、その2人には『連れていってくれてありがとうございました』と言われるのですが、私こそ、コカ・コーラさんに『私の夢を叶えてくれてありがとう』と伝えたいです」
次世代を担う選手にとって、上地はどんな存在でいたいのか。聞くと、「上地くらいにならなれるかな、と思ってもらえるような存在」と笑う。
「車いすテニス界には国枝(慎吾)さんというレジェンドがいて、多くの選手にとって憧れの存在です。それに対して私は、もう少し身近な目標というか、『上地ができるなら自分もできる』と思ってもらいたい。年齢や競技歴、出ている大会の大きさは違っても、やりたいといえば一緒にテニスしてくれる人、くらいの距離感でいたいんです。今は新たに小田凱人選手の存在も大きいですが、私の立ち位置は変わらずにありたいと思っています」
パリ2024大会後には、引退を考えていたという大学4年生の選手から「パリでの上地さんのプレーを見て、もう少し続けてみようと思った」という手紙をもらったという。
「メディアに取り上げていただける機会も増えて、自分の発信の影響力を考えることも多くなりました。でも実際に『心動かされた』と言ってくれる子が本当にいるんだ、ということを実感できて、本当にうれしかったんです。これからも、自分だから伝えられることを、自分の言葉で伝えられるような人間でありたいと思っています」
コカ・コーラがDE&Iで目指す未来
上地との取り組みのように、コカ・コーラ社はオリンピック・パラリンピックを通じた多彩なアスリートの支援も含めて、オリンピック・パラリンピックのワールドワイドパートナーとして大会を基点とするDE&Iに継続的に取り組んできた。そもそも、コカ・コーラ社には、1934年には大企業として初めて取締役に女性を任命したり、1960年には「米国雇用差別禁止法の支持」を公に宣言した最初の企業となるなど、企業の文化としてもDE&Iの土壌が根付いている。コカ・コーラ社のDE&Iの考え方について、日本コカ・コーラ社広報・渉外&サスティナビリティー推進本部副社長の田中美代子はこう話す。
「DE&Iは、私たちの価値観と成長戦略の中心にあり、会社の成功に重要な役割を果たしています。私たちの目標は、事業を展開する地域社会の多様性を反映するだけでなく、より良い未来を築くリーダーとして先導し、影響を与えることです。
日本の社会においても、米国コカ・コーラ財団を通じて、社会的に弱い立場にある方々の経済的地位の向上を目指した助成金の提供など、積極的に取り組んでいます。多様な社員がそれぞれの能力を十分に発揮できる職場環境の実現に向けて、今後もDE&Iの取り組みを推進していきます」
「ダイバーシティにおけるグローバル・リーダー」であり続ける。それは、ただ行動するだけでなく、文化として根付かせてこそなし得ることであることをコカ・コーラ社はこれまで体現してきた。変化を起こすために、取り組み続けること。その精神は、上地が向かい合い続けてきたテニスへの思いにも通じるものがあるのだろう。
上地結衣(かみじ・ゆい)◎11歳で車いすテニスを始め、高校3年生でロンドン2012パラリンピックに出場。シングルス、ダブルスともにベスト8進出する。2014年、全仏オープン、全米オープンで初優勝。同年5月に初めて世界ランキング1位を記録した。
ダブルスでは日本人女子選手初となる年間グランドスラムを達成し、「女子車いすテニス最年少年間グランドスラム」のギネス記録に認定される。2度目のパラリンピック出場となったリオデジャネイロ2016パラリンピックでは、シングルスで銅メダルを獲得。1年の延期を経て2021年に開催された東京2020パラリンピックでは、シングルス銀メダル、ダブルスで銅メダルと、前回大会を上回る活躍を見せた。パリ2024パラリンピックでは、シングルス金メダル・ダブルス金メダル。