化学の知見を基に、ものづくりの工程を変えていく——。
言葉にすると短いが、実際の道のりは長く、まだイノベーションは続いている。しかし、誰も越えたことのないマイルストーンのいくつかをすでに踏んできた。今、目の前に見えているのは希望だ。朧(おぼろ)げではない。大きな希望が鮮明に見えている。
マイクロ波加熱というイノベーションで、ものづくりが変わる
産業は熱源を必要としてきた。例えば、薬や食品から衣類や飛行機まで、さまざまな領域のメーカーに中間原料を提供している化学産業。
日本の製造業全体のエネルギー消費のうち、約30%が化学産業によるものだという。その化学産業で特に大量のエネルギーを必要とするのが、反応、分解、蒸留、乾燥といった加熱を伴う操作である。加熱操作には熱伝導、対流、熱放射の3種類があるが、共通しているのは「熱エネルギーを伝達するために加熱対象よりも高温の熱源が必要になる」ということだ。
「一方で、これらとは別の加熱手段として、マイクロ波加熱があります。電子レンジにも使われているマイクロ波は、加熱対象にエネルギーを直接的に伝えることができます。従来の加熱操作とは異なり、加熱対象より高い温度の熱源が不要です。そこには、これまでには得られなかったメリットが存在しています」
化学産業の製造プロセスにマイクロ波を適用し、効率的なエネルギー供給プロセスを実現する——。この世界初の快挙を成し遂げたのが大阪大学発ベンチャーのマイクロ波化学であり、その快挙を代表取締役社長CEOとして牽引してきたのが吉野巌である。
「これまでに私たちが実績として積み上げてきたマイクロ波を適用するメリットは、大きく分けると3つになります。1つ目は、反応時間や処理時間の短縮、設備の小型化、原料や触媒量の削減などによる『タイム・スペース・コストの低減効果』。2つ目は、『従来の加熱手段を用いた製造方法では簡単に実現できない新素材の製造・純度や色味と言った品質の向上』を可能にすること。そして3つ目には、『CO2排出量の削減効果』が挙げられます。これまで100年以上にわたって根本的に変わっていない化学産業の製造プロセスに『マイクロ波加熱というイノベーション』が浸透することは、CO2排出量の削減にも大きく貢献することにつながります」
日本の製造業全体によるCO2排出量のなかで、約17%を化学産業が占めているという。日本はもちろん、世界に「マイクロ波加熱というイノベーション」が拡がれば、未来は確実に変わる。
人の想いと想いがぶつかるとき、事業が始まる
イノベーションの主たる資源は、人がもち得た知識であり、勇気である。イノベーションが可能になるのは、知識や勇気によって誘発された変化が積み重なったときだ。これまでに吉野は自身の内と外にさまざまな変化を起こしてきた。
吉野は慶應大学法学部法律学科を卒業後、三井物産に入り、化学品本部でキャリアを積み重ねてきた。10年にわたって積み重ねてきた知識に勇気という変数を掛け合わせたとき、導き出された答えは「退職して渡米」という決断だった。
「新しいことにチャレンジしたいという気持ちがありました。少し向こう見ずではあったかもしれません。MBAの勉強をした後、そのまま米国でベンチャーやコンサルティングに従事している間に、『自分も起業したい』という意思が高まっていきました」
米国で知識も勇気も意思も高まった吉野は、2006年に帰国する。日本では必然的な出会いが待ち構えていた。大阪大学大学院工学研究科でマイクロ波加熱の研究をしていた塚原保徳を友人から紹介されたのだ。
「塚原は、私が過去に出会ってきた研究者とは違いました。誰よりも懸命な姿勢がありました。自分が研究してきたマイクロ波加熱のシーズで世界を変えたい——。そうした強い想いがありました。出会ってからの一年間、私と塚原は密に連絡を取り合いました。『世界中の化学産業を変革しよう』という揺るぎない想いが私と塚原の間で最高潮に高まったとき、私たちは会社を設立することにしました」
07年8月15日、「名は体を表す」という言葉どおりの社名を冠したマイクロ波化学がスタートした。
乗り越えた壁、拓けた未来
現在、マイクロ波化学はマイクロ波加熱の技術プラットフォームを確立しているが、これまでの道のりには複数の大きな壁があった。そのひとつが「大型化の壁」だ。「ものづくりの現場でマイクロ波による加熱プロセスを実用化するためには、装置を大型化することが必要条件となります。創業当時、化学業界では『マイクロ波の産業利用は困難である』という見解が常識となっていました。まずもって、大型化が困難なのです。私たちはその困難に挑み、少しずつ装置のスケールアップを実現していきました」
単に大型化がかなっただけでイノベーションは終わりではない。その装置が工場で求められる役割をしっかりと果たすためには、さまざまなデータを基に装置を制御していくシステムが確立されていなければならない。このシステムこそ、マイクロ波化学のみが成し得た知識体系の極みである。
「マイクロ波に関する化学で重要なことは、それぞれの化学物質がマイクロ波を吸収する強さを知ることです。その強さは、物質の温度や照射されるマイクロ波の周波数によって変化します。私たちは、温度と周波数の関数として測定したデータをライブラリ化しています。このデータを基に、もっとも効率よくマイクロ波のエネルギーを吸収できる温度条件やマイクロ波周波数を選定しているのです」
また、装置からのマイクロ波の漏洩を防止するためには電磁場解析の技術が必須になるという。吉野は、電磁場解析も自社の揺るぎない根幹技術のひとつであると胸を張る。
11年には基本特許「化学反応装置、および化学反応方法」が成立した。しかし、確かに・安全に働く装置としてスケールアップできたとしても、まだ目の前には乗り越え難い壁が立ちはだかっていた。それが、「1号ラインの壁」だった。
「化学メーカーに営業をかけて『マイクロ波を使うと消費エネルギーを1/3、加熱時間を1/10、工場面積を1/5に削減できます』と説明すると、興味をもたない担当者はいません。しかし、『その技術を実際に使っているプラントは、どこにあるのですか?』と聞かれて、『御社が第1号になります』と答えると、そこで商談がストップしてしまうのです。私たちは前例がないことに取り組んでいるので、『1号ラインの壁』に直面するのは当たり前なのですが、これは永遠に乗り越えられないのではないかと思うほど、とても大きな壁でしたね」
まさに、存亡の危機だった。ここで吉野は、またしてももち前の勇気を振り絞った。
「『私たちがやってきたことは間違っていない』と証明するためには、私たち自身で工場を立ち上げるしかないと判断したのです。当然ながら、工場を建設するためには莫大な資金が必要になります。投資家からは反対され、反論を受けました。私たちがしようとしていることは、『スタートアップは得意分野にフォーカスすべきである』という原則から外れているように思えるからです。確かに、私たちの得意分野は研究開発であり、実際に稼働できる工場を建設することではありません。それでも、私は反対を押し切って、未来を大きく変えるための決断を下しました」
しかし、今回の決断は前職を退職し渡米を決意したときのように「向こう見ず」ではなかった。すでに吉野には実績があり、彼の胸の内には、確かな自信に基づく決意があったのだ。
「すでに私たちは、化学反応の装置および方法の特許を取得し、ラボスケール、ベンチスケール、パイロットスケール、実機というスケールアップのプロセスを経て、12年の段階で実製品の製造・納入実績を築いていました。私たちが手がけた実機を使ってインクの原料をつくり、印刷会社に納めていたのです。その最初の製品が出荷されていくのを見届けたとき——。そのときに私の胸の内から湧き上がってきた感情・感覚は、簡単に言葉にすることが難しいものでした」
あえて言葉にするなら、それが「アントレプレナーの幸福」というものなのだろう。「かつて味わったことのない喜び」が「反対されてもなお進み続ける勇気」に変わった。
前例がないもの、誰もつくったことがないものを自分たちでつくり、未来を変えていく。これこそ、アントレプレナーの面目躍如である。14年、吉野は自社の大阪事業所の敷地内に世界初の大規模マイクロ波化学工場を完成させた。それは、年産3,200トンの製造能力を有し、消防法もクリアした万全なる工場だった。
こうして「1号ラインの壁」は消えた。以降、さまざまな化学メーカーから引き合いの声が掛かるようになった。今、各社とのオープンイノベーションにより、それぞれの現場に則したマイクロ波加熱装置を共同研究開発している。
「現在は、さまざまなプロジェクトが進行中で、マイクロ波加熱装置の普及が一気に実現していくフェーズに入っています。世界の化学・エネルギー産業の市場は500兆円規模とされています。この1%をマイクロ波によるプロセスに置き換えることができれば、私たちの事業は5兆円のビジネスになります。まず、ここまでもっていくことが私たちの当面のマイルストーンです」
今、知識と勇気と自信と幸福を積み重ねてきたアントレプレナー吉野巌が率いるマイクロ波化学は、自分たちが切り拓いた事業分野のリーディングカンパニーとして世界を席巻している。また、化学のみならず、医薬、電子材料、食品といった国内外のさまざまな分野のメーカーや機関とも連携し、事業を拡大している。
Make Wave, Make World.
世界が知らない世界をつくれ
これが、マイクロ波化学によって掲げられたミッションである。これから先も吉野はさまざまなものを積み重ねながら、新たな波を起こし、新たな世界を創造していく。
よしの・いわお◎1990年、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業して三井物産に入社、化学品本部に配属となる。10年のキャリアを積んだ後に退職して渡米し、2002年にUCバークレー経営学修士を取得。ベンチャーやコンサルティングの実務を経て、06年に帰国。共同創業者となる塚原保徳との出会いを経て、07年にマイクロ波化学を設立し、代表取締役社長に就任。22年、東京証券取引所グロース市場に上場を果たす。
マイクロ波化学
本社/〒565-0871 大阪府吹田市山田丘2-1 フォトニクスセンター5階
登記上本店:大阪市住之江区平林南一丁目6-1
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