引いた視点からものごとを観察することにより、ようやく解ることがある。それは人生もしかり、地球もしかりである。
引いた視点から継続的に地球を観察するためには、宇宙からの目、つまり衛星が必要になる。さらには人々の役に立つ情報を得たいのであれば、そうした役割を果たせる衛星を開発できる高度な技術がなければ何も始まらない。
「本との出会い」と「たった一人での挑戦」
福岡県福岡市で2005年に創業したQPS研究所は、株式会社らしからぬ社名に思えるだろう。QPSとは「Q-shu Pioneers of Space (九州の宇宙の先駆者)」を意味している。同社は、経営理念にも先駆者としての矜持を篤く盛り込んでいる。世界を驚かそうぜ。そして世界をより良くしようぜ。
SHAKE THE WORLD. CHANGE THE WORLD.
気高き理念を掲げるQPS研究所で代表取締役社長 CEOを務めているのが、大西俊輔だ。彼の「原体験」は運命の導きと言えるし、必定だったと言える。
「あれは小学校低学年のときだったと思います。学校で開催されたバザーで宇宙の図鑑を手に入れました。その本には、ブラックホールのことがまだ何だかよくわからないものとして説明されていました。私は、その『何だかよくわからない』という無限の拡がりに心を奪われてしまったのです」
「おそらくその本に掲載されていたのは、当時からしても古い情報で本の出版年そのものが古かったのかもしれません」と大西は振り返る。しかし、この出会いが彼のアントレプレナー人生のスタート地になった。
「はじめて手にした宇宙の本に、こと細かな情報が載っていたなら、それは単なる知識として私の頭のなかに収まっていただけかもしれません。しかし、『何だかよくわからない』とされていた衝撃は、私の心を激しく揺さぶったのです」
私の心——。それはすなわち、好奇心や探究心の類いだろう。本との出会いが原初の揺さぶりとなった数年後、彼の好奇心や探究心は、具体的なアクションを起こすことになる。
「学校で『ペットボトルロケット教室』が開催されて、ワクワクしながら参加したのですが、自分がつくったロケットは飛びませんでした。それが、とても悔しくて——。その後も自分なりに工夫して、(専用のキットは買い方が分からないので使わずに)薬品のゴム栓だったり、自転車の空気入れだったりを使いながらつくり、いかに遠くに飛ばすかということを一人で黙々とやっていました」
成功するための条件のひとつが失敗だ。失敗しても諦めず、粘り強く、たった一人でもやり続ける——。そうした挑戦をせずにはいられなかったところに、彼のアントレプレナー的才幹(起業家として物事を成し遂げる知恵や能力)の萌芽がある。
恩師や地場企業の想いを知りQPS研究所へ
大西は母校・九州大学の恩師であり、日本の宇宙開発を先駆してきた頭脳であり、QPS研究所の創業者の一人である八坂哲雄の想いを継いで、14年4月に代表取締役社長 CEOに就いている。「QPS研究所は現・九州大学名誉教授の八坂哲雄と桜井晃、そして三菱重工のロケット開発者だった舩越国弘によって05年に創業されました。八坂は東京大学でロケット開発を行い、宇宙航空研究所助手を経て、日本電信電話公社(現在のNTT)で大型の通信衛星を開発した後、1995年に九州大学工学部教授に就任しています。これまで60年以上も宇宙に携わってきた『日本の宇宙開発の先駆者』です。
九州にはロケットの射場である種子島や内之浦というインフラがありながら、衛星やロケットを開発する宇宙産業がありませんでした。九州各所をまわって約200の企業に対し、それぞれの企業がもつ素晴らしい技術を宇宙産業に生かさないかと呼びかけたのが、九州における宇宙産業クラスターの始まりです。その結果、さまざまな企業が参加を表明し、八坂が大学で立ち上げた衛星プロジェクトを通して一緒に開発を行ってきました。そうした活動と協力企業との関係を絶やさないために、05年にQPS研究所を立ち上げたのです」
大西は大学院を修了した後の13年10月、当時はまだ有限会社だったQPS研究所に主任研究員として入社した。
「私は、大学院で航空宇宙工学を専攻していた時代から複数の小型人工衛星開発プロジェクトに参加してきました。九州大学のプロジェクトはもちろん、外部(他の大学など)のプロジェクトを応援するために九州から離れることもありました。そのため、10数件の衛星開発プロジェクトで研鑽を積むことができました。さまざまな地域の衛星プロジェクトを手伝いに日本各地を飛び回っていた私は、20を超える地場企業が宇宙産業に参入し始めている北部九州がとても稀有な場所であることを体感していました」
また、大西は一緒に衛星開発を行っている地場企業の危機感も共有していた。
「今、日本の製造業が次々と海外に移転してしまっている。あるいは、せっかくいい技術をもっている会社でも次々と倒産している。当時、そうした話を企業の方々から聞いていました。私は『恩師たちが培ってきた土台をもとに、この九州の地に宇宙産業を発展させたい。この地であれば、強靭な宇宙産業クラスターを築けるはずだ』と考えて、QPS研究所への入社を決意したのです。そして、『自分の力で稼げるようになることが必須。加えて会社を継いで社長になる覚悟があるなら』という条件のもとで入社し、半年後に認めてもらうことができ、14年4月に代表取締役社長になりました」
世界でも不可能とされていた小型SAR衛星を開発
今、QPS研究所の事業は、創業者たちが宇宙技術を伝承し、育成してきた北部九州を中心とする全国25社以上のパートナー企業に力強く支えられている。それは、大西が代表取締役社長 CEOに就いた後の15年からスタートした「QPS-SARプロジェクト」の成果である。「地球を観測する衛星には、おもに2種類が存在しています。『光学(カメラ)衛星』と『SAR(合成開口レーダー)衛星』です。カメラなどで地球を観測する光学衛星には可視光が必要なので、夜間は撮影できず、加えて悪天候時には雲に遮られて地表が観測できません。実際、地球の約75%は夜間あるいは雲に覆われているといわれ、光学衛星だけでは地上で発生している事象をいつでも観測できるわけではないのです。しかし、電波を使用するSAR衛星であれば、闇夜も雲もお構いなしで観測を可能にします」
ところが、SAR衛星には難点がある。観測に大きなアンテナを必要とし、多大な電力を消費するため、小型化が非常に困難なのである。
「そのため、従来のSAR衛星は質量が数トンにも及ぶ大型かつ高コスト(1機あたり数百億円)のものが主流で、宇宙開発を行う国でも1~2機程度の保有が現実的なものでした。この困難を逆に勝機と考えた私は、『小型で低コストなSAR衛星の開発』に着手しました。15年当時、その開発は世界でも不可能とされていました」
挑戦の結果として、QPS研究所は従来のSAR衛星と比べて1/20の質量である100kg級の小型SAR衛星「QPS-SAR」を開発し、コストも従来の1/100ほどに抑えることに成功した。19年12月にQPS-SAR1号機、21年1月に2号機を打上げ、この2機の実証機を経て、現在は3機の商用機を運用している(2024年10月現在)。
当然ながら、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。
「小型のSAR衛星開発における最大のブレイクスルーは、軽量で、なおかつ打ち上げ時にコンパクトに折りたたむことができる高い収納性を備えた小型衛星用大型アンテナの開発です。バネメーカーや部品加工企業、縫製業などの企業と共に何百回も試験を重ねて実現させました。私は学生時代から、失敗は学べるチャンスととらえる八坂のもとで開発を行い続けていたので、困難に思えても、高いハードルを超えるための挑戦は喜びで、楽しく、その過程において地場企業との連携もさらに強くなったと感じています。宇宙は、まだまだ未知のことばかりです。この世界でのものづくりは、失敗しなければ限界値がわからない。どこまでやれば壊れるかを如何に地上での試験や検証で確認するか、それができるからこそ強い構造を有した衛星をつくれるのです」
大西が15年から指揮してきた「QPS-SARプロジェクト」は今、地球規模での高頻度観測を実現する段階へと移行している。
「圧倒的な低コスト化の実現により、複数の衛星を打ち上げることが可能になりました。4つの軌道にそれぞれ9機の衛星を配置して地球を取り囲む36機のコンステレーション(ひとつの目的のために複数の衛星を使って組むシステム)が完成すれば、地球上のほぼどこでも約10分間隔で観測を行うことができる体制が整います。この準リアルタイム観測システムは世界初の新しいインフラになり得るものであり、そのデータの利活用は、これまで見えなかった事象を可視化し、世界のあり方や未来を変える可能性を秘めています。例えば、観測地点の天候や時刻に左右されないSAR衛星の特性は、災害時における被災地の状況確認など防災・減災の観点から、災害大国と呼ばれる日本において人々が安心して暮らすために欠かせない価値の創出を期待されています。また、他のデータと組み合わせることで、より高精度な将来予測なども可能になるでしょう」
挑戦を続けるクラスターと共にさらに遠くへ
これまでの歩みとこれから先の希望を語ってもらったところで、現在の大西に「自身のアントレプレナーとしての最高の幸せとは?」という質問を投げかけてみた。「それは例えば、これまで教えを受けたり、共に働いてきた皆さんの笑顔を見ることです。その笑顔はただ楽しい瞬間に浮かぶものではなく、試行錯誤を重ねながら課題に挑戦し、その苦労の先に達成感を味わった結果として自然に現れるものなのです。今、QPS研究所では20代から80代までの年齢層や複数の国籍をもつ多様なプロフェッショナルが集まっています。開発の現場では多くの挑戦を乗り越えた者にしか得られない充実感があり、それが社員一人ひとりのやりがいや誇りとなって笑顔に現れます。全社員の笑顔、この地の宇宙産業クラスターに関わっているすべての企業の人たちの笑顔を見ながら、好きな仕事を懸命にできること。これこそが、アントレプレナーとしての私の幸福だと感じています。さらに、今後、私たちの衛星によるデータが役に立ち、見えなかったことによる不安を取り除いて世界中の方々を笑顔にできるのであれば最高ですね」
人間の本質は変わらない。いや、ときを経て磨かれ、さらなる輝きを放つ。かつて夢中になってペットボトルロケットを飛ばそうとしていた少年の目に宿っていた光は今、自信や確信という熱量を帯びて、その輝度が増した。かつては一人で挑んでいたが、今は違う。恩師から学び続け、同じ会社の仲間と切磋琢磨し、九州21社(全国で25社以上)のイノベーターと夢を追っている。大西の目に宿る自信や確信に満ちた情熱の光は、あらゆる共創者の笑顔を照らすチカラを得た。他者との関係性によってアントレプレナー起点の情熱は増幅し、大きな作用を及ぼすことになるのだ。
人類の旅(グレートジャーニー)の起点となったアフリカには、こんなことわざがある。
「早く行きたくば一人で行け。遠くへ行きたくば共に行け」
しかし、宇宙に取り組む大西は皆と共に、早く、そして遠くへ行こうとしている。アントレプレナー大西俊輔の旅、その壮大なサーガ(冒険譚)は、まだ始まったばかりだ。
おおにし・しゅんすけ◎1986年、佐賀県生まれ。九州大学大学院工学府航空宇宙工学専攻博士課程修了。大学院修了後の2013年10 月、QPS研究所に主任研究員として入社。その半年後の14年4月、代表取締役社長に就任。19年12月にQPS-SAR1号機「イザナギ」の打ち上げに成功し、九州から世界の宇宙産業に大きなインパクトを与える。23年12月、衛星分野の宇宙ベンチャーとしては全国でもはじめて東京証券取引所グロース市場に上場。
QPS研究所
本社/福岡県福岡市中央区天神1-15-35 レンゴー福岡天神ビル6F
URL/https://i-qps.net
従業員/61人(2024年11月1日時点)
>>EOY Japan 特設サイトはこちら