「ものが燃える」とは、可燃物と支燃物(可燃物に結びついて可燃物を燃やす酸素など)が着火源から熱をもらうことにより、高温で高速の発熱反応を起こし、熱と光のエネルギーに変換される現象を指す。すなわち、燃焼が起こるには「可燃物」「支燃物(酸素)」「着火エネルギー」の3つが必要だ。
神谷栄治のアントレプレナー人生における「燃焼の3要素」とは、
・可燃物=「自身のなかで9歳のころから発現していた『プログラミングが好きだ』という熱烈なる気持ち」
・支燃物(酸素)=「まるで空気のように常態化した努力。『好き』という気持ちが『正しい努力』という『濃厚な酸素』を吸い続けること」
・着火エネルギー=「高いレベルの技術者をはじめとする会社の仲間、『ibisPaint愛』に溢れるユーザー、アイビスの成長を信じてやまない株主といったすべてのステークホルダーたち」
である。
その燃焼の炎は、幼きころに立ち昇った
絵筆や絵の具といった画材を必要とせず、わかりやすく・研ぎ澄まされたユーザーインターフェースのもと、世界中の誰もがモバイル画面に指で絵を描いていけるペイントアプリ「ibisPaint(アイビスペイント)」。
このいわゆる”神アプリ”を生み出し、育ててきたアイビスの創業者が神谷栄治だ。彼がアントレプレナー人生の入り口に立ったのは、小学校3年生のときだった。
「私は、1973年に愛知県名古屋市で生まれました。松下電器のJR-100(1981年11月に発売されたパーソナルコンピューター。当時の定価は54,800円。松下通信工業が独自に作成したBASICインタプリタJR-BASICを搭載)を購入して、プログラミングを学び始めたのは9歳のときです。プログラミングを知っている大人が周りにいなかったので、地元の図書館に通いながら、ひたすら独りで学ぶ生活でしたね」
その当時から、神谷にとってプログラミングは、まさに「生活」だった。周囲の小学生がはまる「趣味」や「息抜き」といったレベルではなかった。小学生の高学年を迎えるころには、毎週末に徹夜してゲームを開発していたという。
アントレプレナーは、自身の発火点を見極める。「木が燃えるのは、その中に燃える要素をもっているからだ」とゲーテは言う。時間を忘れてパソコンの画面と向き合う神谷は、小学生にしてすでに情熱の炎を燃やしていた。
「名古屋工業大学電気情報工学科に入るころには、将来は起業したいと考えるようになっていました。その根底にあったのは、『自分が手がけたソフトウェアを多くの人々に使ってもらいたい』という想いです。入学時には、在学期間に達成すべき目標として『情報科学のスキルを最高レベルまで上げること』『会社設立のための資本金を用意すること』『一緒に創業する仲間を見つけること』の3つを自分に課しました」
授業が終わったあと、遊ぶ時間はもちろんのこと睡眠時間まで削ってプログラムを書き続け、情報科学の技術書を読み耽る生活。彼は「社会人が仕事で1日8時間プログラムを書くのであれば、自分はその倍の16時間書いてやる」という自らとの約束を守り抜いた成果として、在学中にいくつかのゲームやツールを開発し、リリースできた。実際に、日本製として初のホームページ公開専用FTPソフト「小次郎」のヒットなどにより、学生時代に資本金を用意することがかなっている。
「イノベーション」という概念を生みだして、独自の経済発展理論を展開した経済学者のヨーゼフ・アロイス・シュンペーターは、「理性で制御できないほどの創造欲求、激しい情熱こそが、イノベーションを起こす唯一の原動力なのだ」と提唱している。プログラミングという、いかにも理性的に思える人間の営みも、実は非常に陶酔的・創造的・激情的なものではないだろうか。小学生のころからおさまることなく拡がり続けた神谷の情熱の炎が、その証拠になっている。
夢想のあと、世界のユーザーに想いが伝わった
神谷が遂に自身の会社としてアイビスを創業したのは、2000年5月のことだった。
「私は、創業時に3つの経営理念を掲げました。一つめが『高い技術とスピードのアイビス』です。ここで言う『スピード』には、『ソフトウェアの動作速度が速い』、そして『意思決定と実行が速い』という二つの意味があります。二つめが『顧客第一主義』です。お客様に対して丁寧な仕事をして、一つひとつ信用を積み上げていきます。三つめが『大きくなってもベンチャー魂』です。会社が成長しても保守的になることなく、チャレンジ精神を発揮し続けたいと考えています」
神谷は、経営理念の第一に「技術とスピードへのこだわり」を挙げている。彼は、デバイスの性能を100%引き出し、高速で動作するプログラムを書くことに燃えるのだ。サクサク動作するソフトウェアでなければ、自分自身が納得できない。また、会社がいかなる成長ステージにあっても大企業病になることなく、意思決定と実行をスピーディに行いたいという想いも強い。
そうした彼の理念は2005年11月、フィーチャーフォン(ガラケー)用フルブラウザアプリ「ibisBrowserDX」のリリースにつながった。
「当時のガラケーでWebを閲覧するための日本製アプリとしては、最速の動作を実現できたと自負しています。私は、00年の創業時に「モバイルデバイスでサクサク動作するアプリ」をアイビスの強みとすることを決めていました。世界のどこにいてもモバイルデバイスで人々が密接につながり合う時代を予見していたからです。予見というよりも、それは想像であり、夢想であったとも言えるのですが(笑)」
1982年からプログラミングを学び始め、2000年にはいち早くモバイルデバイス向けのアプリに傾倒していった神谷のアドバンテージは大きかった。いつの世もイノベーションの第一歩は情熱であり、夢想である。「ibisBrowserDX」のヒットによって事業基盤の安定を得た神谷は、10年から「ibisPaint」の企画・設計に着手した。
「当時は、スマートフォン(iPhone、Android)の普及率が10%を下回っていて、ガラケーがメインの時代でした。また、初代iPadが発売されたばかりで、出荷台数も少ない状況だったと記憶しています。つまり、当時はまだ、モバイルデバイスの黎明期でした。そこからさらにさかのぼること2年前、私はドワンゴのプラットフォーム『ニコニコ動画』で『描いてみた』というジャンルの動画が流行っていることをニュース記事で知りました。しかし、その動画を公開するためには、絵師がパソコン、ペイントソフト、筆圧対応ペンタブレット、動画録画ソフト、動画編集ソフトといったフルセットを購入し、何時間もかけて描いた絵を手間隙かけて動画編集してから、アップロードしなければなりませんでした。私はさまざまな機材やソフトを購入したり、動画を編集したりする必要がないiPhoneやiPad用のペイントアプリを開発したいと考えたのです」
この画期的なアプリがブレイクの日を迎えたのは、11年のリリースから5年ほどが経ったころだった。日英対応だけだった言語を19言語対応にして、YouTubeの動画にも海外向けに字幕をつけるなどして、海外ユーザーの獲得に注力したことが奏功したのだ。
「ブレイクまでの下地として、私たちは日本とアメリカを中心とした熱心なユーザーの声に真摯に耳を傾けながら、より使いやすいアプリに育てていく努力を怠りませんでした。そのおかけで得られるようになった利益を、より広範囲な海外マーケティングに振り向けていったのです。結果として今、『ibisPaint』の累計ダウンロード数は、3億5,000万を超えています(2023年9月末日時点)。その内、93.0%が海外からのダウンロードになります。世界200以上の国と地域にユーザーが拡がったのです」
そして、アントレプレナー人生は続いていく
今、ほぼすべての機能を無料で提供している「ibisPaint」は、Z世代を中心として世界中のユーザーに愛されてやまない。日本製のアプリとして、21年には世界のダウンロード数で1位を獲得した。また、月間アクティブユーザー数は3,700万人にのぼり、日本製アプリのなかではコミュニケーションアプリ「LINE」に次いで2位となっている。
さらには、「ibisPaint」独自のオンラインギャラリーであり、コミュニティサイトでもある「ibispaint.com」も盛況だ。作画工程を記録した動画(タイムラプス動画)がアップロードされ、世界中のユーザーが絵を描く技法を共有し、学び合い、さまざまな交流が活発に行われている。
23年前に神谷が夢想したとおり、現在ではモバイルデバイスがあることにより、誰もが世界とつながり、何かを発信できる世の中になった。創造したい欲求、自分が創造したものを発信したい欲求、単純に(それゆえに深く・強く)誰かとつながりたい欲求――。これらの「湧き上がって止むことのない欲求」は「ibisPaint」と出合ったときに満たされる。それは、ある種の達成感や充足感、さらには自己の実現といった「生きる喜びそのもの」だ。なかには、「自分はibisPaintによって救われた」と感じているユーザーもいる。そう感じるユーザーは、これからも増え続けるだろう。コミュニティサイトには、今この瞬間にも「ibisPaint、すごい!」「ibisPaint、ありがとう!」といった感嘆・感謝の声が世界中から届き続けている。
この感嘆・感謝の声に触れたときに、神谷はアントレプレナーとしての幸せを感じるという。世界のユーザーに喜びを届けて、「ありがとう!」の言葉を返してもらい、それによって自身も幸せになる。アントレプレナーとしてこれ以上の幸福の好循環はないのではないだろうか。
ときにアントレプレナーは自身のもち得る才能と意欲と時間を捧げ尽くすことにより、この世界に「幸せの好循環」を生み出す。しかし、それは一朝一夕には生まれない。神谷の場合、創業時からこれまでに23年、パソコンでプログラミングを学び始めた小学校3年時から数えると41年を経ている。
その41年目の2023年3月23日、アイビスは東証グロース市場に上場した。神谷にしてみれば、幼い時分からの夢がかなったともいえる状況だ。しかし、「上場はマイルストーンの一つに過ぎない」と彼は語る。なにしろ、この上場によって、神谷のアントレプレナー人生には本稿の冒頭で示した「燃焼の3要素」がまさに完璧に揃ったところなのだから。
神谷にとって、アントレプレナー人生は「永遠に到達すべき場所」と「永遠に回帰すべき場所」という幸福な二重構造になっている。そのなかで神谷は、これからも幸せに燃え続けていくのだろう。
神谷栄治
1973年、愛知県生まれ。名古屋工業大学電気情報工学科を卒業後、あえて社員50名のITベンチャーに入社し、2年間ほどで「会社の仕組み」を知り、「スタートアップのダイナミズム」を体感してから、2000年5月にアイビスを設立。2023年3月23日、東証グロース市場に上場を果たした。
アイビス
本社/名古屋本社
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4階(モバイル事業部・ソリューション事業部 名古屋システム部)
7階(管理部門)
東京本社
東京都中央区八丁堀一丁目9番9号 セイコー八重洲通ビル8階
URL/https://www.ibis.ne.jp
従業員/300名(2023年09月30日現在、アルバイト含む)
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