サステナブルな社会に貢献する姿勢と行動を磨くために、菅野暁社長が社外の様々な分野の有識者をゲストに迎え、対話を通じて学びを重ねるシリーズ。第7回は、内科医で宇沢国際学館代表取締役の占部まりをゲストに迎えた。父で経済学者の宇沢弘文氏(故人)が提唱した「社会的共通資本」が示唆する、これからの資本主義経済のあり方とは。司会進行は、サステナビリティ推進室の小松みのり室長が務めた。
時代がようやく追いついた 宇沢弘文の経済理論
小松みのり(以下、小松):占部さんは内科医として医療に携わりながら、お父様の宇沢弘文先生の思想を現代に伝える活動をなさっています。宇沢先生は1950年代から利益重視の経済成長に疑問を抱き、人間と公益を重視した経済学理論を提唱し、米経済学者スティグリッツを指導したことでも知られています。まずは占部さんの現在のご活動についてお聞かせいただけますか。占部まり(以下、占部):生業としては内科医で主に横浜で地域医療に携わっています。父のことを伝える活動を始めたのは父が亡くなった後で、かれこれ9年ほどになります。父は数学的分析を駆使する数理経済学を専門としていて「私の理解できる範疇を超えた研究をしているのだろう」と思い込んでいたのですが、亡くなった後にあらためて著作を読み直してみると、これからの社会にとって重要な示唆が詰まっているなと。父が作った宇沢国際学館を引き継ぎ、代表として普及活動を行なっております。
普及と同時に理論の社会実装にも力を入れています。京都大学の「社会的共通資本と未来寄付研究部門」や、東京大学での寄附講座開設といった動きが出ていることをうれしく感じています。
菅野暁(以下、菅野):実は私は宇沢先生にお世話になった経験が三度あるんです。一度目は1979〜80年に東大の駒場キャンパスに通っていた学生時代。一般教養のマクロ経済の授業で、宇沢先生の講義を受けました。とても難解で、ついていくのに必死でした。先生が黒板に数式をひたすら2時間書き続けて、最後に「すまん、間違った。今日の講義は全部忘れてくれ」とおっしゃって授業を終えたときは驚きました(笑)
占部:その逸話は私も伝え聞いています。「講義内容は全てあらかじめ計画しなければならないのが今の大学教育です。自分でも答えが分からない設問を学生と共有できるとは、羨ましい時代でしたね」とおっしゃった方もいました。
菅野:二度目にお世話になったのは、バブル期にファンドマネジャーとして働いていたときです。利益を出すことだけを追求する資本主義に対して「本当にこれでいいのだろうか」と疑問を抱き、悩んだことがありました。そのときに思い出したのが、宇沢先生の『社会的共通資本』という本です。その後も、答えを求めるように『経済学は人びとを幸せにできるのか』などの著作を読みました。現職に就き、社会性と経済合理性を両立するESG投資の推進について深く考えるようになってからも、先生の本をめくる機会は多いです。
そして三度目のご縁というのは、実はプライベートな事情です。数学に苦手意識を持っていた私の娘に、先生が書いた『算数から数学へ』という本を買って読ませてみたら、たちまちのめり込んで。その後に受けた試験で「初めて全部解けた」と喜んで帰ってきたんですよ。
占部:うれしいです。あの本や、父が孫に算数を教えるときにも「社会を見つめる目」がありました。鶴亀算で鶴と亀の足の合計を奇数にしていたこともあります。常識では解答が無いのですが、「怪我をして足が3本の亀もいるかもしれない」ととぼけていました。前提条件を確認することや先入観や固定観念を取り払う多様性の視点を大切にしていたのでしょうね。
菅野:多様性といえば、占部さんは「最期の選択肢」を広げるための活動もなさっているそうですね。
占部:それも父を自宅で看取った経験がきっかけです。医療が進んだ今の時代において、誰しもが迎える死を医療者としてどのようにサポートできるかを考えたいと、一般社団法人日本メメント・モリ協会を立ち上げました。「メメント・モリ」とは、ラテン語で「死を想え」という意味です。
私自身は医師として病院のキャリアが長く、さまざまな死の選択肢があることを十分に知らなかったという反省があります。どんな最期を望むかはご本人やご家族の意思によりますが、幅広い選択肢を提示できることが医療の専門家としての役目ではないかと思うのです。
未来を「はぐくむ」 パーパスに込めた思い
菅野:その分野の専門家として、果たすべき役割を問い続ける姿勢は、ビジネスにおいても重要性を増していると感じています。当社の場合、ここ数年で力を入れてきたのは「パーパス経営」です。資産運用会社として果たすべき役割とは何だろうかと社内で議論を重ねた結果、「投資の力で未来をはぐくむ」という言葉に集約してパーパスが定まりました。これはサステナビリティ推進室の小松室長がリーダーシップをとって皆で練ってくれた言葉でして、なかなかいい言葉だなと私も気に入っています。ポイントは「未来をつくる」ではなく「未来をはぐくむ」と表現した点です。「つくる」というと、どこか押し付けがましいというか、私たちが完成させたものをお客様に渡して終わりというニュアンスがありますが、「はぐくむ」なら一緒につくり上げていくというメッセージも込められるなと。
「未来」には、「お客様にとっての未来」と「社会にとっての未来」という二重の意味をかけています。お客様からお預かりしたお金に適切なリターンを発生させてお返し、お客様の人生のウェルビーイング(人生の充実度)を高めていく。同時に、社会全体の未来も持続可能なあり方を目指す。言うは易しで、この二重の未来の実現は決して簡単ではありません。悩みながらも一歩ずつ歩みを進めているところです。
占部:素晴らしいパーパスだと思います。
菅野:ありがとうございます。では、具体的にどのようにして投資の力で持続可能な社会を実現していくか。パーパスに紐づくアクションとして作成したのが、当社独自の「マテリアリティ・マップ」です。
我々はお客様の大切な資産をお預かりしていますので、運用益はしっかりと出さないといけません。ファイナンシャルリターンを横軸に、ソーシャルリターンを縦軸にとって、両軸のスコアが高い分野を明らかにし、投資先を決める上での参考にしようという試みです。
両軸のスコアが高い「右上」を占める9つの分野──気候変動、生物多様性、健康とウェルビーイング、ダイバーシティ&インクルージョン、水資源、サーキュラーエコノミー、持続可能なフードシステム、大気・水質・土壌汚染、ビジネスと人権──これらのマテリアリティについて優先的に取り組む方針を全社で共有しています。
資本主義の特性を生かしながら問題に向き合い続ける
菅野:投資家という立場の私たちができるのは、「投資をする」あるいは「投資をしない」という意思表示です。例えばある企業が望ましい方向に進んでいないと判断したときには、株主総会で取締役の選任に関する議案で「NO」を突きつけることができる。ソーシャル×ファイナンシャルのマテリアリティに基づいた意思表示を積極的に行うことが、「投資の力」を持つ私たちの役割であろうと考えています。こうした両軸のバランスを取ろうとする考え方は、まさに宇沢先生の「社会的共通資本」に通じるのではないでしょうか。ようやく時代が追いついたとも言えますね。
占部:父は極端な前提条件で考えるのが好きでした。「投資で得た利益に関しては、100%課税してもいい」とも言っていて。その理由は「投資をした結果、投資先の企業が成長したことへの喜びやリターンを得たという喜びだけで十分に満たされるだろう」と(笑)。そんな極端な主張もしていましたが、同時に資本主義が人間の特性に合うシステムであることも理解していたのだと思います。
医療の分野でも、資本主義というアクセルがあったからこそ、医薬品の開発が進み、公衆衛生の改善で乳幼児死亡率が下がり、食品の保存性が高まって食中毒が減るといった発展につながったのですよね。まさに資本主義の恩恵です。
「自分がつくった商品が売れてうれしい」という素直な人間の喜びがそのまま金銭的な成果と連動するのも、資本主義経済の良さです。父はそういった資本主義の特性を尊重しながら、「ただし、それは社会にどういう影響があるのかは常に考えなければならない」という両輪の思考を大事にしていました。
小松:ここであらためて「社会的共通資本」の定義を紐解くと、「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」であると宇沢先生は説明しています(『社会的共通資本』より)。大気や森林などの「自然環境」、道路や電力などの「社会的インフラストラクチャー」、教育や医療などの「制度資本」の3つに分けられるとも。
占部:父は金融も社会的共通資本であると提示していました。そして、常々主張していたのは、「各分野の専門家集団が、専門家としての倫理観に基づいた規範をもって運営すべきである」という点です。
これからの金融の規範をどうするべきかについて、金融業界に身を置く人たちがあれこれと意見を闘わせながら考えていくプロセスそのものが、社会的共通資本としての金融の価値を上げていくのだと思います。
専門家が自ら考えることで 社会的共通資本は磨かれる
菅野:外側から与えられたり、上から降ってきたりするものではなく、自分たちで考えなさいと。占部:父に「じゃあ、医療者はどうすればいいの?」と聞いたことがあるのですが、「それは医療者が自分たちで考えるべきなんだ」と返ってきました。全く無責任だなとその時は不満でしたが、やはり内部の人間から生まれた必要性や納得感を共有しながら、話し合うプロセスが重要になるのだと今は分かります。つまり、絶えず進化し続けることを前提としているのです。
菅野:たしかに時間はかかりますね。私たちもパーパスやマテリアリティを決めるにあたって、いろんな部門のメンバーを集めてきて議論をしましたが、一筋縄にはいかないなと実感しました。しかし、それでいいということですね。
占部:そう思います。社会的共通資本はそのコミュニティを構成するみんなにとって大切な欠かせないものであると同時に、「あることが当たり前」になりがち。なくして初めてその価値に気づくという側面も大いにあると思います。
例えば、コロナ禍で医療が逼迫した状況下に置かれて初めて、「いつでも医療にかかれる」という資本の重要性を感じた方は多いのではないでしょうか。
転換期にある日本の医療 カギは「かかりつけ医」
菅野:コロナ禍では「医療崩壊」に対する危機感が高まりましたし、地域で懸命に医療活動を行う医療者と国の施策にズレが生じる制度的欠陥も浮き彫りになったように思います。この状況だけを見ると、「はたして日本の医療は、社会的共通資本としての役割を果たせているのか?」という疑問も生まれてしまうのですが、占部さんのご意見はいかがでしょうか。占部:今は大きな転換期に来ていると私は思います。もともとは結核や赤痢などの感染症を広げないことを主な目的に医療制度はつくられてきました。診断と治療がほぼ1対1対応の時代です。ですから、患者ひとりひとりに対応できるシステムが前提として備わっていないんです。今のような多様な状況に対応できない。また、「患者を元気にするほど収入なくなる」という構造があるので、患者さんの健康や幸せを考えて治療を提供するインセンティブが働きにくいという問題もあります。
転換のカギになるのは「かかりつけ医」だと私は思います。担当の患者さんのみならず「地域の健康を責任持って守っていく」という使命感を持った医師が、その地域の特性に合った創意工夫をしやすい仕組みが整っていけば、ポジティブな流れが生まれるのではないかと期待しています。
菅野:かかりつけ医制度はイギリスが早くから導入していますよね。
占部:イギリスには面白い事例があるんです。医療保証制度にも組み込まれるようになった、人とのつながりを処方する「社会的処方」と呼ばれる活動です。30年ほど前に、アンドリュー・モーソンという牧師さんが「何か困っていることはないですか」と地域を回っているうちにコミュニティが生まれ、麻薬の注射針が地面に埋まっていたような公園が市民の憩いの場へと変わっていった。市民の心身の健康が向上したことで、救急車の搬送回数が減り、医療コストの削減につながったそうです。
つまり、地域の人のつながりをつくることが、コミュニティ全体のサステナビリティを向上させるということ。うつなどの精神症状がある人を投薬だけの治療にとどまらず、カウンセリングなどケアしながら地域のコミュニティで自分を癒やす力を育てるほうが、医療費は抑えられるという考え方は、少しずつ広まっています。このように、地域社会にとって医療が貢献できることは何かと考え続け、試行錯誤を重ねることが、「社会的共通資本」としての医療の価値を高めるのではないかと思います。
一番大切なものはお金に換算できない
菅野:気候変動に関する世界の動きについては、どうご覧になっていますか。炭素税を各国でどう負担するのが公平かという議論の中で、「ここまで地球温暖化を進めた先進国が負担すべきだ」という論調から、「先進国も途上国も、自国の排出量に応じて負担するのが公平だ」という考え方が主流になりつつあります。一方で、気候変動の影響による洪水など自然災害の被害を補填するためのファンドを設立する動きも生まれています。宇沢先生が提唱していた「比例的炭素税」や「大気安定化国際基金」の構想がようやく形になってきたのではないかと感じます。
占部:ありがとうございます。父の強みは、そういった構想を数式で残している点ですね。数式は言語や時代を超えて伝わるという意味で、パワフルなメッセージになります。
小松:数式で実証しながらも「一番大切なものはお金に換算できない」ともおっしゃっていたというところにも感銘を受けます。気候変動や土地利用の変更によって失われた生物の命の価値はお金には換えられない。
しかしながら、やはりお金にできなければ企業はなかなか動きづらい。金融機関である私たちは常にお金に換算することで対話をするアプローチを取るわけですが、何か大切なものを取りこぼしていないだろうかと不安になることもあります。
占部:グラデーションなのだと思います。ある側面ではしっかりとお金にしなければいけないし、父もできる限りお金に換算することで世の中に提示する挑戦をしてきました。命をお金に換えることはできないけれど、命が失われない社会にするためにどれだけのコストがかかるのかを分析して数字で示す。それが父なりの解だったのかなと思います。
菅野:なるほど。もう一つ、我々が直面する悩みを吐露しますと、「意識をどう変えていくか」という問題があります。先ほど投資家として意思表示をするという話をしましたが、そもそも私たちがお預かりしている資産のアセットオーナーの意識が変わらなければ、私たちの行動も変えられない。アセットオーナーの意識が変わるのを待つのではなく、意識をこちらから変える働きかけを試みていますが、簡単には変わりませんね。
年金基金の受益者にとっては「自分の年金が減っちゃ困る」という気持ちが一番強いので、いくら「地球のためには、こっちに投資するほうがいい」と言ったところで響かない。ここをどう打ち破ろうかと苦労をしています。この壁を破るヒントはありますか。
占部:やはり今のようなジレンマについて受益者が考えたことがないというのが問題の根幹でしょう。金融機関も受益者に対して「一緒に考えましょうよ」と言ってはいけないという空気がある。この空気を変えるために重要なのは教育ですよね。
あとは、楽しむ気持ち。悲壮感たっぷりに訴えるより、「こっちの未来のほうが楽しいですよ」と指し示すほうが、きっと仲間は多く集まりますよね。
菅野:おっしゃるとおりですね。眉間に皺を寄せて難しい顔をするのではなく、希望を言葉にしていくスタイルがいいと私も思います。
パーパスは北極星 軌道はジグザグでもいい
占部:その意味であらためて、「投資の力で未来をはぐくむ」というパーパスの響きはいいですね。なぜパーパスを定めようと考えたのですか。菅野:みんなで心を一つにして動くための北極星のようなものが必要だと思ったからです。この会社は6年半前に4つの会社が合併してできた会社でして、合併の1年半後に私が社長に就任した当時も、まだギクシャクした雰囲気が感じられました。
ひとりひとりが行動を決める軸にできる言葉、自分ごととして日々の仕事に落とし込める言葉をつくり、しっかり浸透させていくことが必要だと思いました。決まるまでにも紆余曲折あり、そのプロセスで会社の問題点が表面化するような場面もありましたが、そういった部分の共有も大事な経験だったのだと、今日の占部さんのお話で腑に落ちました。
占部:素晴らしいですね。シンプルな言葉だからこそ、皆さんがそれぞれに自分なりのイメージを持ちながら、お客様や取引先に伝えていけるのでしょうね。
菅野:定義は細かく規定していませんので、社員の皆さんそれぞれが自分なりの意味づけをしていただきたいのです。「だったら何をするべきだろうか」と考えて生まれる行動が多様であることも、また価値だと思います。
小松:何がきっかけでスイッチが入るかも、人によって違いますよね。最後に、資産運用会社である私たちへのご期待があれば教えてください。
占部:やはり、「投資の力で未来をはぐくむ」の実践に期待しています。社会をパワフルに進める原動力は投資だと思いますので、ぜひ頑張っていただきたいです。
菅野:資本主義における社会的共通資本を担っていることを自覚して、ファイナンシャルリターンとソーシャルリターンの両軸でのインパクトを出せるようにチャレンジを続けたいと思います。
目標が高ければ、到達するまでの多少のジグザグは「失敗」ではなく「軌道」でしかない。自らの果たすべき役割をしっかりと握りながら、目指す方向を見失わずに進んでいきたいと思います。
占部まり(うらべ・まり)◎内科医/宇沢国際学館代表取締役
東京慈恵会医科大卒。東大名誉教授などを歴任した経済学者、宇沢弘文氏の長女。同氏の逝去に伴い、宇沢国際学館代表取締役に就任。終末期を考える日本メメント・モリ協会を2017年に設立し、代表理事。現在は地域医療に従事するかたわら、宇沢氏の「社会的共通資本」をより多くの人に知ってもらうための活動を行う。
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