YNKには人間味溢れる物語がある
東京建物は、明治29年(1896)に、旧安田財閥の創始者である安田善次郎により設立された総合不動産会社である。創業以来、一貫して東京駅前の八重洲エリアに本社を置き、周辺地区も含めまちづくりを進めてきた。「八重洲・日本橋・京橋エリアは、我々にとって地元そのもの。地元の発展が当社の発展につながる」と野村均社長は強調する。そもそも同社が“地元”と呼び、愛着と敬意を抱くYNKとはどのようなまちなのか。そこには3つの特徴があると野村は言う。
まずは、圧倒的な「交通利便性の高さ」。
江戸時代に五街道の起点となった日本橋と京橋を結ぶ中央通りを挟んで東西に広がるこのエリアは、過去も現在も交通の要衝。現在、鉄道6駅26路線(新幹線を含む)を利用可能で、都内・地方へのアクセスもさることながら、羽田・成田直結の鉄道・バスの存在が世界との距離も近くしている。
「このエリアの開発は、単発ではなく複数が連坦して面的に進められているので、今よりもっと回遊性が高まるだろう。このエリアのオフィス立地としての価値は、いわば富士山の頂上に匹敵する。」というのが野村の見立てだ。
次に、江戸城下の一大商業地であったYNKには「起業のまち」というDNAが内在する。
全国各地から商人・職人が集まり、開店・起業をして、全国へと拡大、もしくは現代に残る老舗・企業は枚挙にいとまがない。「安田財閥を含むいくつもの巨大財閥がこのエリアで育ちましたが、これらはその時代においてはGAFAのような存在だったのでは」と野村は言う。
東京建物ではYNKにスタートアップを誘致すべくさまざまなインキュベーション施設を開設・運営しており、実際に多くの起業家が集まる魅力的な磁場が形成されつつある。
そして3つめが、まちに息づく「歴史に裏打ちされた文化」だ。
日本橋川沿いの魚河岸からは多彩な食文化が発展し、すし、そば、うなぎ、割烹などの名店がいまなお特色となって地域を賑わせている。また京橋川沿いの竹河岸に日本全国から集まった物資は畳・襖・武具甲冑などに加工され、できた襖に絵を画く狩野派や歌川広重などの絵師も住み着いた。その歴史的文脈は、画廊や古美術品店が集積する骨董通りに受け継がれている。
「表通りに大店や企業が本社を構える一方、裏路地に面して庶民的な店も多く、気取らない雰囲気があるし、『人の顔』が見える。再開発においては、それらの人間味溢れるまちの物語に寄り添い、皆さまの思いをかたちにしていくことが地元デベロッパーの責務であると考えます。
そしてその実現へと努力する過程において、我々は多くの経験とノウハウを積み重ねると同時に、従業員一人ひとりの人間力を高めることができるのではないかと考えています。
理想は、『不動産のことなら東京建物のこの人に相談したい』と思っていただき、一個人の人間力を束ねることで大きな企業力を生み、社会課題解決に資する事業を積み重ねていくこと。創業以来の世紀を超える信頼を次の100年につなげていくためにも、この姿勢は変えてはいけないと思っています」
一緒につくるサステナブルな未来
東京建物は、事業を通じて「社会課題の解決」と「企業としての成長」をより高い次元で両立する「次世代デベロッパーへ」を長期ビジョンとして掲げている。その言葉に込めた思いを野村はこう説明する。「『デベロップ』という言葉は土地や建物などのハード面を『開発する』という意味のほかに、ソフト面から『発展させる』『進展させる』という意味があります。『次世代デベロッパーへ』には、単に建物を建てるだけではなく、ソフト面においても高いサービスを提供し、ハード面と合わせて社会課題を解決しながら『場』の価値を高めていくという思いを込めています」
すでに具体的なプロジェクトがいくつも進んでいる。
「八重洲プロジェクト」においては、このまちのもつ「文化」面をさらにアップデートすべく劇場の整備や外国人対応の医療施設を誘致し、ソフト面では「巡る、活きる、ウェルビーイング」をコンセプトにオフィスワーカーがウェルビーイングを感じられる取り組みを多数実施。「呉服橋プロジェクト」では日本橋川の上空を走る高速道路が撤去され、まちの人々の夢であった日本橋川に空を取り戻すとともに、潤いある水辺空間に面して賑わいも創出。
「京橋三丁目プロジェクト」では、隣接する東京高速道路が歩行者空間に生まれ変わる「Tokyo Sky Corridor」の整備に協力するほか、国際水準のホテルも誘致し、銀座との結節点として賑わいの連続性を実現する。
「プロジェクトの進捗と並行して、まちの一員として、江戸時代から続く山王祭でお神輿を担がせていただいたり、近隣企業も巻き込んでまちの清掃活動を実施するほか、まち全体のPR活動や町会活動のお手伝いをしたりと幅広く地元の皆さまとまちづくり活動をさせていただいています。最近では、このまちにスタートアップやクリエイターを呼び込み、既存の大企業とオープンイノベーションを図っていくイノベーション・エコシステムの構築などにも取り組んでいます」
再開発というのは永きに渡り存続するハードをつくるという点で、デベロッパーもビルの権利者も周辺地域の住民もひとつの運命共同体といえる。50年、100年、ずっと一緒にまちを育て、価値を高め続けるというスタンスを地道に遂行していくことが、これからのまちづくりの要諦であり、同業他社も含め、地元の方々とともに心を砕いてつくりあげるまちの集積体が、東京の国際競争力を高め、日本全体の底上げにつながっていくというのが、野村の考えだ。
「持続可能な未来へ向け、東京建物はあらゆるステークホルダーとともに社会課題の解決に取り組み、まちと人が内面から輝きを放つことのできる新たな価値の創造に尽力していきます」
「DO for Sustainability. with 東京建物」プロジェクトに込められた思い
SDGsの社会への浸透とともに、不動産事業においても「持続可能なまちづくり」が重視されるようになってきている。東京建物では、長期ビジョン「次世代デベロッパーへ」を掲げる他、21年7月に14のマテリアリティ(重要課題)を特定。さらに、22年9月には、それらの活動促進と発信強化を目的として「DO for Sustainability. with 東京建物」プロジェクトをスタート。さまざまな取り組みを通じて「サステナブルなまちづくり」に貢献していく方針を明らかにした。プロジェクトでは、東京建物の「人やまちに寄り添う」という姿勢に共鳴したAIさんが、企業CM「まちと、あなたと、次の物語を。」篇のために書き下ろした楽曲『BE WITH YOU』とともに「DO for Sustainability. with 東京建物」のコンセプトムービーに出演。インタビュー動画のなかでAIさんは、「まちづくりですべての人に寄り添うのは不可能だけれど、そこに挑戦しようとする熱意に心が動かされた。信用できるからこそ、人は一緒に未来をつくろうと思えるし、一緒に前へ進むことができる」と、胸の内を話してくれた。
AIさんや子どもたちをはじめ多様な人びとが描いた「未来のまちの絵」で彩られた巨大モニュメントが夜空に輝きを放ち立ち上がっていくムービーは、観る者に感動と勇気を与える。直近では、日本全国から「未来のまちの絵」を集め、思いとアイデアを集録した「みらいディクショナリー」の制作も進む。「DO for Sustainability. with 東京建物」の取り組みは、未来を育む夢の共有にも一役買っているようだ。
DO for Sustainability. with 東京建物
https://tatemono.com/doforsustainability/
野村均(のむら・ひとし)◎1958年東京都出身。早稲田大学商学部卒業。81年東京建物入社。法人仲介、分譲住宅開発、ビル事業の3分野で営業職を経験。常務取締役ビル事業本部長などを経て2017年に代表取締役社長執行役員に就任。