都市全体をアーティストの表現の場所にする
黒澤:杉山さんがチームラボとやる! という決め手は何だったのでしょうか。
杉山:僕は学生のころ、アーティストとして活動していました。もう20年前のことです。いまでは当たり前のようにインタラクティブな映像作品は沢山ありますが、当時はまだ人の動きを記録するセンサーがなかったものですから、カメラを使って人の動きに連動して自動追尾するプログラムを自分でつくり、この技術の特許も取得しました。いろいろなアートイベントに参加していて、隣で齋藤精一さん(パノラマティクス)と真鍋大度さん(ライゾマティクス)が展示していたり、猪子さんをはじめ、チームラボのメンバーたちとも同世代で昔からの遊び仲間という関係でした。
そのころから、街全体がアーティストの表現の場所になるっていうことに可能性を感じていました。しかしアーティストは、勝手に街を使うことはできません。街のルールが沢山あるからです。それを調整する労力が、とてつもなく多いことに絶望したんです。これだったら、アートの表現の場所として街って使えないじゃん、と。でも、街をアーティストの表現の場所にすることをあきらめきれませんでした。そのとき、それまでのアーティスト活動を辞め、街側の人間になることで、尊敬する仲間たちと一緒に彼らの表現を受け止める役割になろうと思い、森ビルへの入社を決意しました。
僕自身もメディアアートをつくっていた経験があるので、アートをビジネスにすることは本当に難しいことを知っています。だからこそ、アートで集客し、世界中から喜ばれる作品をつくり続けているチームラボを心の底から尊敬しています。だから最初にチームラボからこの話しが来たときに、これをやらなかったら将来、絶対に後悔すると思って、どうしても実現させたかったんです。
このころ、僕は六本木ヒルズで新しいアートイベント「Media Ambition Tokyo」(最先端のテクノロジーカルチャーを実験的なアプローチで都市実装するリアルショーケース)をライゾマティクスのメンバーたちと一緒に立ち上げていました。都市をアート表現の場に変え、世の中に出していく仕組みをつくりたかったんです。13年から毎年続け、このイベントから多くのアーティストが誕生しています。森ビルに入って15年掛かりましたが、やっと同世代の同じ志をもった仲間と一緒に街を使ってアート活動ができるようになりました。
黒澤:ゴールデンエイジですね。いま、若い世代が目標にできるアーティストが世の中に、目の前にいるということが人々に伝わるというのは、杉山さんみたいなプロデュースに回ってくださる人がいたから。スキルが違う人たちの協働がうまくいっているということが、街を表現に使うゴールデンエイジたちの成功のひとつの理由かもしれないですね。そして、日本だけじゃなくて世界にも彼らの活躍が届くというのも素晴らしいことだと思います。
4年間の開館中にコロナ禍の影響も受けましたね。そのころはどんなことをお考えでしたか。
杉山:いまは便利なネットがあるから自分がそこの場所に行かなくても、あたかもその場所にいるような体験ができる。欲しいものがあったら買い物に出かけるよりも効率的に買えるし、行きたい場所に最短距離で行けるという時代。でも、「teamLab Borderless」は、あえてあの場所に行って自分の体を使わないと得られないフィジカルな価値を提供するものでした。
コロナ禍で、海外からの渡航制限や、人と人が会わないような日常になりさまざまな分断が起こりましたが、一方で、人間らしさ、生きる喜びとは何か、世界中の人々が立ち止まって考えるようになりました。コロナ禍でも「teamLab Borderless」が初年度と同水準の来場者数に戻ったことをみると、いかに友だちや家族と一緒に、体を使ったドキドキするような体験を多くの人たちは求めているのかを改めて実感させられます。
『Chased and the Chasing Crows are Destined to be Chased as well, Transcending Space - Floating Nest』──建築的に最も工夫をこらした作品なので、個人的に思い入れがあります。床面を網状(ネスト)にすることで、浮遊感をつくりだすことに成功しました(杉山)