毎回のホストを務めるのは、菅野暁社長。今回は日本のCSR分野を牽引してきた河口眞理子をゲストに迎えた。2020年3月に大和総研から転じ、現在は不二製油グループ本社CEO補佐として、食の分野で「企業が社会的責任をどう果たすか」という課題に取り組んでいる。ESG投資やSDGsが急速に注目を集める現在の状況をどう見るのか、早期からこのテーマに着目してきた専門家の観点から話を聞いた。
司会進行は、サステナビリティ推進室の小松みのり室長が務めた。
(本記事はアセットマネジメントOneのホームページに掲載された記事の転載です。)
ESG推進の流れは加速、一方で温度差も
小松:河口先生は1986年に大和証券に入社後、今日に至るまで一貫して日本のCSRやESG分野を牽引してきた第一人者です。2021年9月に当社に新たに設置したサステナビリティ諮問会議にも外部アドバイザとしてご参加いただくなど、当社のサステナビリティ経営推進にもご助言をいただいています。ESG投資への関心が急速に高まる現在の状況をどう見ていらっしゃいますか。
河口:熱心な企業が増えてきたのは素晴らしいことですね。これまで見向きもしなかった方々が「うちの会社も始めなければ」と意識を向けるようになったのは大きな変化だと思いますし、これまで取り組んできた企業もいよいよ本腰を入れ始めた感があります。三井住友トラストやニッセイアセットに続き、御社や野村グループが積極姿勢を示されるなど、金融機関も大きく動き始めていますね。
菅野:2020年12月、「Net Zero Asset Managers initiative(NZAM)」(2050年までに運用先企業の温暖化ガス排出量実質ゼロを目指す。世界の大手運用会社30社の共同設立)への参加を国内で最初に発表したところ、当社に続く形でニッセイアセット、三井住友トラストアセットも参加を表明しました(10月15日現在)。業界の流れを促進する口火を切れたことを誇りに感じています。
河口:さまざまな業界で変化は起き始めています。ある鉄鋼メーカーは5年前には「石炭は鉄鋼業にとり燃料ではなく原料なので、原料を変えることは困難、簡単にCO2を減らせるわけない」といわれてましたが、つい先日に話を聞くと「2050年までにCO2排出量ゼロを目指します」と具体的かつ野心的な計画を示していました。
原料を石炭から水素に変える技術のめどが見えてきて全社を挙げて経営課題として取り組むという意気込みがみられます。一方で、温度差はあります。「担当者レベルでなんとかうまくやってよ」という表面的な姿勢が透けて見え経営層が真剣に向き合ってない会社もまだまだ多いのが現状です。やはりトップダウンで推進しなければ、変化を起こすのは難しいでしょう。
菅野:組織の中でもどうしても温度差は生じてしまいますね。当社ではかなり力を入れてSX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)を進めているつもりですが、従業員全員が腹落ちしているかというとそうではないと思います。ESG投資には長期的視点が欠かせませんが、強い責任感を持って運用に携わっている現場のファンドマネジャーは「そうは言っても今期のパフォーマンスも上げなければいけないのに」とジレンマを感じているようです。短期的なパフォーマンスと中長期的な社会的責任、このどちらも両立させていくのが経営の知恵の絞りどころだと感じています。
河口:自動車だって「低燃費だったら、すぐ壊れてもいい」というわけにはいきませんものね。「環境に良ければ性能が悪くてもいい」という考えでは世の中に浸透しませんし、逆に「基本性能さえ備えていれば、環境配慮はオマケ程度でいい」という考えも世の中には受け入れられなくなっていくでしょう。
菅野:河口先生がいらっしゃる食品業界も大きく変わろうとしているのではないでしょうか。
河口:おっしゃるとおりで、食のシステムそのものを転換しようという波は確実に大きくなっています。当社も大豆を使った大豆ミートなど新商品開発に力を入れているところですが、ネスレなどのグローバル企業は代替肉の開発に巨額の投資をしていますね。肉はたんぱく源ですから、代替肉へのシフトとは植物由来のたんぱく源に置き換えるということになります。
家畜の環境負荷は植物に比べて環境負荷が大きいためです。海外の投資家の間では、食品会社の指標として、動物性たんぱく質から植物性たんぱく質にどのくらい置き換えているかという「プロテイン指標」を測る動きも活発です。2050年までにたんぱく質製品の6割が代替プロテインになるという予想もあります。代替肉に切り替えること自体が環境対策になるのです。これまでオプションだった環境対策が製品の基本性能の中に入り込んできているのが、今のステージだと思います。そして、そのスピードは予想以上に早い。御社もこの5年で一気にアクセルを踏んでいますよね。
環境の問題は気候変動だけではない
菅野:世の中の関心も急速に高まってきていますので、社会の期待に応えるという意味でも急ぐ必要があると考えています。
河口:「サステナビリティとかESGって最近急に出てきたよね」と言われる場面も多々見受けられるのですが、決してそんなことはありません。昔から環境問題、人権問題を指摘する人たちはいました。が注目されていなかっただけです。今ESGというと気候変動の問題に議論が偏っていますが、気候変動はあくまで環境問題の一部。環境問題はもともとは1960年代の化学物質の管理問題から始まったんです。アメリカの生物学者で『沈黙の春』の著者でもあるレイチェル・カーソンによる問題提起は有名ですね。
菅野:環境問題のそもそもの成り立ちについては、正確に知られていないかもしれません。
河口:そう思います。以後は日本でも公害が社会問題となり、「合成洗剤か、石鹸か」といった消費者の議論も活発になりました。90年代以降は資源リサイクルの問題が話題の中心になり、2000年代はじめにさまざまな消費財のリサイクル法が成立。90年代にはISO14001の制度ができ、「環境マネジメント」という言葉も生まれた経緯があります。
こういった流れを理解した上で「環境問題」を語ろうとすると、気候変動だけでなく、化学物質管理や循環型社会、生物多様性の、合わせて四本柱となるわけです。こういった構造で語れる専門家は少ないように思います。
「なかったことにしよう」が許せなかった
小松:あらためて、河口先生がなぜこの分野を専門にするに至ったのか、問題意識の原点からお聞かせいただけますか。
河口:原点まで遡ると、私の親が自然食を取り入れることに熱心で、物心ついたときから農薬や化学物質に対して敏感な家庭環境で育ったというベースがあります。経済に興味を持って一橋大学に進学したのですが、マーケットメカニズムの基礎を学ぶ中で大きな矛盾を知り、衝撃を受けました。
すなわち、すべての経済活動の情報は需要曲線と供給曲線に入っているからその交点が最適な解である市場メカニズムによってすべて説明できるのだとテキストに書かれてあったのですが、最後に補足として付け足すようにして「例外としてこれらの曲線の中に入らない現象もあります。公害問題などがそれで外部不経済という」という記述があって。
どう解決するのだろうかと読み進めると、最後まで解決策は提示されず「計算式に入れられないので、ここではなかったことにします」と書かれて終わっていたんです。愕然としました。「え? なかったことにするってどういうこと? これって大問題じゃない!」と憤りのような感情を覚えたのが、最初のきっかけでした。20歳の頃ですね。
菅野:早いですね。
河口:結構、筋金入りなんですよ。当時、一橋大にいた室田武先生のゼミに入っていて、静岡の山中で水車小屋を借りて循環型農業に取り組んだり、実際に手足を動かしながらエネルギー計算をする研究にも参加していました。大学院では外部不経済を内部化する手段として環境税と排出権取引をテーマで論文を書きましたが、「数学文法をいくら突き詰めても、実社会の問題が改善されないと意味がない」という問題意識が沸いてきまして。
実社会のリアリティを学ぶ最適な職場として、株式市場に最も近い証券会社に就職しました。でも実は、これは、〝キレイな理由〟でして、本当の理由は証券会社くらいしか院卒女性を採用してくれなかったからです。私が社会に出た1986年というのはそういう時代でした。私の大学同期の女性は、銀行に入って数カ月は毎日コピー取りの仕事しか与えられなかったそうです。女性だけが制服を着せられて「大学まで出て、どうしてこんな罰ゲームを受けないといけないのか」と思っていましたよ。
小松:女性にとって厳しい時代を歩んできた河口先生は、今の働く女性たちを取り巻く現状をどう感じていますか。
河口:まだ問題はあり、十分ではないですが、かなり改善されているのも事実です。女性を一定割合登用するクオーター制について批判的な意見もあるようですが、私からすると「私の入社時の大卒は男性が98%のクオーター制だったんだけど?」と言いたいですね。古い価値観が刷り込まれた世代はなかなか変わらないかもしれませんが、希望になるのは若い世代ですね。
今の40代前半以下の世代は、義務教育の家庭科を男女平等に受けてきたので、「男子は技術科、女性は家庭科」と分かれて教育を受けてきた世代とはまったくジェンダー観が違うんですね。ラジオを組み立てるのが得意な女子や、卵焼きを作るのが得意な男子がいるのが普通だった世代です。性別関係なく活躍できる職場環境は、彼ら彼女らがつくってくれるのだと期待しています。
これからは本物だけが生き残る
菅野:日本の環境問題を30年見てこられたお立場として、今後の企業が直面するサステナビリティ経営にはどんな展開が待っていると予測されますか?
河口:今はやや過熱状態で、ESGを論じる専門家も玉石混交です。おそらく揺り戻しもあるでしょう。ただし、マクロトレンドとしてどちらの方向へ行くかと考えると、間違いなくESG推進ですし、そうするべきです。今出ている不満をきちんと解消した上で進めていくプロセスが重要だと思います。国をあげて足並みを揃えていくことも重要です。
ヨーロッパ諸国は国策としてしっかりと計画を立てて、政策を打ち出しているから動きも早い。日本は戦術は得意ですが、ビジョンや戦略は苦手。縦割り行政を打破して横断的な環境ビジョンと戦略を作り、しっかり現場に落とし込んでもらいたいです。欧州の投げた球を獲りに行くだけでなくて。
菅野:あまり楽観視はできないということでしょうか。
河口:現実は厳しいですし、強い意志を持ってサステナビリティ経営を推進していくことは必要です。ただ、多くの人の意識が高まっていることはポジティブな流れです。その背景には、誰にとっても明らかな異常気象によって危機感を抱かざるを得ないという状況があるわけですが、環境とビジネスを結びつけて語る議論が山のように出てきているのは好機です。
これから金融の世界でもESGの情報開示がすすみますが、これから先はある意味「淘汰」の時代が来るでしょう。「そもそも、環境にいいとはどういうことか?」といった本質的な議論も生まれ、競争によってまともなプレーヤーだけが生き残っていくと予想しています。
菅野:2000年代前半のITバブルとその後の淘汰に近いのかもしれませんね。ITブームの中でいかがわしいプレーヤーもたくさん生まれましたが、その後淘汰されていった。同時期に生まれたAmazonやGoogleは今や巨大企業として世界の経済を左右する存在になった。同じように、サステナビリティやESGに関しても今はバブル状態になりつつあり、ここから先は本物だけが生き残る時代になっていくのでしょうね。
河口:問題の難易度は上がっています。解決すべきは気候変動だけでなく、同時に生物多様性にも向き合わないといけない。気候変動も生物多様性も私たちは地球の恩恵によって生かされているといメッセージです。「CO2さえ減らせば森林を伐採してもいい」ではなく、「生物多様性を守るためには森林も残さなければ」とバランスが重視されるようになっています。より本気が試される時代ですね。
菅野:まさにそこが難しいポイントだと思っています。我々もマテリアリティ・マップを独自につくり、投資先企業のエンゲージメントに生かそうとしていますが、両立が難しい複数の問題に対して、限られた資本をどう振り分けていくかを一緒に考えていく必要があります。以前、この相談を河口先生にした際に、「トレードオフではない。レーダーチャートのようにバランスを取ることが大事だ」とご指摘をいただいたことが指針となっています。
河口:難題ですが、ぜひ挑んでいただきたいです。業種ごとに得意分野を分けてメリハリをつけていくといいのかもしれませんね。農業は生物多様性に寄った施策、鉄鋼はCO2削減に寄った施策というふうに、その業種ごとの〝持ち場〟に優先順位をつけながら、社会全体のデザインを描く。そんなイニシアティブを取れるのが運用会社の役割なのではないでしょうか。
菅野:おっしゃるとおりです。産業ごとのモデルをつくることができれば、投資先の取り組みを評価する基準にもなり、ESG投資を推進しやすくなるはずです。
河口:意識が追いついていない会社は、問題にすら気づいていない可能性があります。御社のような影響力の大きい運用会社がイニシアティブを取って、「この産業ではこの課題を解消する努力をしなければならないんです」と促していけば、社会全体の動きが一気に加速しますよ。アナリストはこれまで以上に情報を取る必要がありますから、一層高度なスキルが求められると思いますが。
菅野:データ分析も然り、NGOの知見も聞き取る努力も必要ですし、やるべきことは満載ですね。決して簡単ではないと覚悟しないといけません。しかしながら、ここに本気で取り組んで突き抜けることができれば、資産運用会社としての差別化につながりますし、これからの競争優位性を高めるのではないかと確信しています。
河口:間違いないと思います。御社の素晴らしいところは、やはりトップの強力なコミットメントでサステナビリティ経営を推進している点です。社会全体の流れを変える気概で取り組んでいただけることを、これからも期待しています。
菅野:ありがとうございます。河口先生に参加いただいているサステナビリティ諮問会議も、取締役会の直属の位置付けにしています。経営と密接に結びつく戦略として、ESG投資を推進し、私たち自身も変わる努力をし続けていきたいと思います。
左から山内麻衣子(サステナビリティ推進室)、宮本恵理子(担当ライター)、安齋雄輝(サステナビリティ推進室)、小松みのり(サステナビリティ推進室長)菅野暁(社長)、河口眞理子
河口 眞理子(かわぐち まりこ)◎立教大学21世紀社会デザイン研究科特任教授/不二製油グループ本社CEO補佐/大和総研特別アドバイザー
2020年3月まで大和総研にてサステナビリティの諸課題について、CSRやESG投資、エシカル消費の分野で20年以上調査研究、提言活動を行なってきた。現職ではサステナビリティの教育と、エシカル消費、食品会社のエシカル経営に携わる。国連グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン理事、NPO法人日本サステナブル投資フォーラム理事、エシカル推進協議会理事、サステナビリティ日本フォーラム評議委員、WWFジャパン理事、環境省中央環境審議会臨時委員など。
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