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2020.06.22 16:00

ハードウェアの時代到来。技術力より大事な「スタートアップの勝ち筋」とは?

ライフロボティクスを創業した尹祐根

ロボットアームの世界的研究者は、いかにハードウェア・スタートアップをエグジットまで導いたのか。「スタートアップの先輩」が歩んだ13年の物語。


「スタートアップは厳しいので、あえてすすめませんよ」

冗談とも本気ともつかない口調でそう話すのは、尹祐根(ユン・ウグン)。ロボットアーム研究の世界的な第一人者であり、協働ロボット分野で先駆的なスタートアップとなったライフロボティクスの創業者でもある。

ソフトウェアよりも開発期間や資金がかかるハードウェア・スタートアップは、起業のハードルが高いと言われている。だが尹は2018年、産業用ロボット大手ファナックへの売却をもって、同社をエグジットまで導いた。かつては研究に専念したい一心で、大学院の助手職から産業技術総合研究所(産総研)へと転職したという彼が、なぜ起業したのか。

ピポットで未来が拓けた


きっかけは、産総研での介護ロボットのプロジェクトだった。その主担当者に任ぜられるまで、尹は利用者のターゲットが明確な介護領域を避けていたという。夢をふくらませる評価実験の協力者に、「いつ使えるようになるのか」と訊かれても、研究者の身では期待に応えられないからだ。

事業化までの責任を負わないのは倫理に反すると感じていた尹は、何らかの形で商品を出すことを前提に、そのプロジェクトに着手した。そして大小問わず企業を回り、商品化を打診するが、マーケットがないことなどを理由に断られる。まったく協力が得られず、やむなく自ら会社を起こすことを決意。「比較的後ろ向きな起業でした」という。

2007年、資本金400万円ほどで創業。当時はハードウェアスタートアップを理解する土壌がなく、投資自体がそもそも行われていなかった。翌年、さらにリーマンショックが襲う。コストを最低限に抑えた、地道な開発が7年間続いた。ビジネスの経験もなく、何もかもが暗中模索の厳しい状況だったが、あきらめなかった。

「だからよく『なぜやめなかったの?』と聞かれるのですが、やめる理由がなかったんです。固定費をあまりかけずに、少人数を雇っていただけなので」

状況が一転したのは、2014年。まず、それまでIT系に投資してきたベンチャーキャピタル(VC)が成功し、ハードウェア系にも目を向け始めた。VCも、日本の強みはむしろものづくりにあると気づいたのだ。この新たな動向に加えて、13年末に労働安全衛生法が改定され、出力80W以下のロボットでは安全柵で隔てる義務がなくなった。そのタイミングで、ライフロボティクスは介護ロボットから協働ロボットへ、つまりBtoBの製造業向けにビジネスモデルを転換させる。

「介護ロボットをずっとやってきましたが、マーケットの拡大に向け、うまく絵が描けなかった。一方、工場や店舗で人と協働するロボットが、欧米でムーブメントになり始めていて、僕らの狙いは“そこだ”と。ピボットして走り出すと、技術と市場を見込んだ投資家から同意が得られました」

数年後の16年には、総額15億円の資金調達を達成。量産が始まると、程なくしてファナックから買収話が舞い込む。「最後の方はあっという間」の展開だった。

「ITのスタートアップでは、マーケットに出しながら、うまくいくかどうかを見ていくことができる。けれども初期投資のかかるハードウェアの場合、マーケットがある程度見えるまでは、大きな勝負に出られない。僕らは長年ひたすらそれを探し続けて、確信を得たところで、一気に投資家も巻き込んでいきました」

イノベーションは手段でしかない


産総研発のスタートアップとしてつくば市に拠点を置いていたライフロボティクスは、事業拡大のため15年に都内へ移転した。投資を募るうえで、メリットは大きかったと尹は言う。

「東京はまず、お金と情報が集めやすい。公的な支援についても、やはり東京にいると近いので、その距離感は欠かせないと感じました」

都内にはソフトウェアの優秀なエンジニアも多いが、一方でハードウェアのエンジニア探しでは、全国各地を駆け回った。

「日本はものづくりの国なので、試作をしようと思ったら、請け負ってくれる会社が必ず国内のどこかにある。多くの中小企業が協力してくれましたが、信頼できる人を探すまでが大変でした」

人づてでも情報を聞いて回ったが、特に役立ったのは大企業から紹介された、ものづくり企業のネットワークだった。さらに大企業との関わりは、そのつながりを借りることにとどまらなかった。ハードウェアのスタートアップが困難となるのは、組織づくりだ。試作から量産設計、耐久試験、調達、メンテナンスまで、必要となる機能のリストは続く。それらをすべて自前で揃えるのではなく、大企業にサポートを求めたのだ。

「なので僕らは、大企業と戦うというより、大企業にたくさん助けてもらいましたね」

では、スタートアップのゴールはどうか。エグジットや上場、海外進出など、スタートアップにはさまざまな事業展開のモデルがある。やはり日本のスタートアップも、世界を目指すべきだろうか。尹は、「やりたいビジネスのマーケットは、どこにあるのか」を明確にすることが先決だ、と指摘する。そのうえで共感するのは香川大学発のベンチャー、未来機械のような企業だ。ソーラーパネルを掃除するロボットを製造する同社は、雨量の少ない中東地域などで事業を展開している。

他方、日本のものづくりは、これまで高品質を売りにしてきた。だが、いまやどの国の製品もレベルが上がり、品質のみで優位に立つことは難しくなりつつある。だからこそ、「“それで何ができるのか”というところを差別化していかなければならない」と尹は言う。例えば、ハードウェアとソフトウェアの融合はそのひとつの鍵となる。ハードにソフトのサービスを付随させるのだ。

「よく日本でもiPhoneを作れたはずだ、と言われている。でもiTunesやApp Storeを組み合わせて、iPhoneを中心としたエコシステムを生み出すことは、誰も思い描けなかったですよね。ハードウェアは、ある世界観を実現するデバイスです。最近では車で似たような展開が見られますが、そうしたビジョンを描けることが重要なポイントなのではないかと」

技術もイノベーションも、目的ではなく、手段でしかないと尹は強調する。「こんな技術がありますけど、誰か使ってくれませんか」と言っても、ビジネスでは見向きもされない。大事なのは、「自分たちの目指す世界はどのようなものなのか」を見極めること──そしてその“半歩先くらい”を行くビジョンをいまの時代とリンクさせ、実現に必要となる技術をそこから導き出すのだ。

「そういう世界を作ることにワクワクする人にとって、スタートアップはとても楽しい。半歩先だったら実現していけるので、たとえ前が見えなくても辛くないんです。私も長い間投資を得られなかったり、しんどいことはたくさんありました。けれども、もう一回やりたいなって思うぐらい、やはり楽しかった」

そこで冒頭の発言だ。スタートアップ経営はあまりに辛い場面もあるので、人には勧めない。だが、「それでもやりたいという方はぜひ。応援します」と、尹は朗らかに話し続ける。

「スタートアップで成功する秘訣なんて、誰にもわかりません。ただ、『こうすると失敗してしまうという明確な落とし穴』はあるので、それは僕も含めて先輩方に聞いてください。みなさん親切に教えてくれるはずです」

先達たちは皆、苦労し辛い目にも遭ってきた。そしてそういう時、必ず誰かに助けられた経験ももっているという。スタートアップ界隈の支え合いやエンジェル投資といった文化は、こうして育まれていくのだ。

「私自身、助けてもらったメンターに恩返しの話をしたら、『僕ではなくて、次の人たちに返してあげて』と言われたことがあるんです。『そうすればエコシステムが回っていくから』と。ノウハウは包み隠さず伝えた方が、自分も周りも豊かになる。そういう感覚もしっかり共有されているのだと思いますね」

最後に尹はこう締めくくる。「スタートアップに挑むと、人としての厚みというのは圧倒的に増すと思うんです。それだけ過酷な経験をするわけですから」。乗り越えてこそ、大きな喜びがある。スタートアップの厳しさとは、喜びと表裏一体なのかもしれない。

── Tokyo Startup BEAMプロジェクト ──
「BEAM」は、Build up、Ecosystem、Accelerator、Monozukuriの頭文字。
本記事は、東京都の特設サイトからの転載であり、尹祐根もハードウェアスタートアップの先輩としてプロジェクトを応援している。

本事業に関する詳細は特設サイトから

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