古来、気高くも美しい輝きで私たちを魅了してきた「金」。普遍的な価値の象徴として経済と深く結びつく一方で、人々の生活に根付き、文化的側面も彩ってきた。私たちはいかに「金」と付き合っていくべきか。渡欧中のブリオン・ジャパン代表取締役CEOの平井政光に同行し、ロンドン、ウイーンへ。後編では、ウィーンにその答えを求め旅に出た──。(前編はこちら)
「金」の保管所の需要が増大している
平井は「金」にひもづくトークンを運用するにあたって、以前から信頼のおける保管所との提携の重要性を指摘していた。オーナーの所有する「金」の安全を担保することが何よりも大切であることは言うまでもない。そして、そのひとつとして平井が自ら足を運び提携を決めたのが、業界大手のGVSだった。
平井に同行してGVSのウイーン本社を訪問した私たちに、同社CEOのヘルムート・ズースはこう語る。
「インターネットの時代にあって、意外に思うかもしれませんが、クライアントとのフェイス・トゥ・フェイスの付き合いと情報の共有が重要なのです」
近年、ヨーロッパでは「金」の保管需要が増大している。それはヨーロッパの人々が資産の“安心・安全”な保管を強く求めていることの表れだという。
ズースは、オーストリア人の意識を例に挙げてその理由を分析してくれた。ポイントは3つの不信感だった。
「1つ目は銀行に対する不信感。2008年に発生した世界金融危機のときに、オーストリアの銀行では自動化が進み、顧客との直接の接点が減りました。そのため、顧客はあまり銀行を信頼していないのです。2つ目は政府への不信感。日本と同じく第二次世界大戦で敗戦したオーストリア人は、敗戦によって多くの財産を失っています。そして3つ目は貨幣価値に対する不信感。1999年にユーロが導入された当時、同国の貨幣(オーストリア・シリング)の実質価値は大幅に下落しました。
弊社を訪れるお客様のなかには、国の政策や不測の事態などによって人生をかけて築いた資産を奪われるのではないかと心配している方がたくさんいます。GVSではそのような心配を軽減し自分の資産をどうするかという選択の自由を提供しているのです」
ズースはだからこそ、クライアントとの親密なコミュニケーションを通じた信頼関係の構築が大切なのだと言う。
金貨の真偽を瞬時に確実に判別することが、信用へつながる。GVSが独自で開発した「ブリオン・テスター」の実力を披露するズースCEO(右)と平井社長(左)。この分析は、決して他人事ではない。日本でも想定し得る示唆に富んだ指摘だと平井は受け止める。そして、そのソリューションとして「金」の需要が高まっている点に着目する。
「有事の『金』であれば、世界のどこででも価値を保つことができるということです。さらに分散して保管することで、何か問題があったとき、例えばある国で時の権力者に資金調達のために奪われたとしても、被害は限定的に抑えることができる。プロフェショナルな機関であれば、保険をかけられる場合もあります」
ズースは平井に同意し、世界にネットワークをもつCVSであればそれが実現できるという。そしてさらにヨーロッパの人々のボーダレスな意識についても教えてくれた。
「私どものお客様にも分散投資はとてもメジャーな考え方です。特に、世界を飛び回るビジネスパーソンは、世界のさまざまな場所に資産を分散することを好まれます。それによって、資産管理の安全性はさらに担保されますし、場合によっては税制面での優遇も受けられるからです」
GVSの金庫は安全性に定評があるWertheim社製。保管庫は24時間体制のセキュリティーを完備し、定期的に監査が入る。(写真提供:GVS Bullion Group)
「金」は文化的側面にも深く根付いている翌日平井は、ウイーンの街を案内してくれた。ヨーロッパの『金』と結びついた文化的側面にも触れてほしいというのだ。奇しくも2018年は画家のグスタフ・クリムト(1862~1918)、エゴン・シーレ(1890~1918)、コロマン・モーザー(1868~1918)、さらには建築家オットー・ヴァーグナー(1841~1918)の没後100年にあたる年。オーストリアの誇る偉大なるアーティストたちを偲ぶ空気が、街中のいたるところで流れていた。
彼らが活躍した19世紀末は、「ウイーン・ルネサンス」とも呼ばれた時代。世紀末という終焉への閉塞感と次世代への期待感とが入り混じった時代の空気に後押しされ、きら星のごとき才能が登場した。それは、ウイーン史上最も文化・芸術の開花をみた、まさに黄金の時代だった。
そのなかで、とりわけ「金」を作品に好んで使用したのが、クリムトだ。彼の経歴をたどると、自由と革新を求め、さまざまな様式を貪欲に作品に昇華したことがよくわかる。
劇場の装飾壁画家としてキャリアをスタートさせるも、その後古典主義的美術とは決別し、新しい造形表現を主張する分離派(ゼツェッション)を結成。創始者として初代会長に就任している。その目的は、純粋な芸術的視点からの展覧会の開催と諸外国の美術との活発な触れ合いだった。作風においては、伝統にとらわれない芸術表現を求め、ユーゲント・シュティール(アール・ヌーヴォー)やビザンティン様式、さらには日本の琳派からも着想を得たとされている。
そして、きらびやかな「黄金様式」の時代にたどり着く。まばゆいばかりの金色は、エロス(性)とタナトス(死)を象徴する色彩として彼の作品の多くを彩った。ベルベデーレ宮殿でクリムトの当時の傑作「接吻」を前に、平井はこう語りかける。
「百聞は一見に如かず。実物を前にするとただただ圧倒されますね。金地の装飾文様が人物を包み込んで光り輝く様は、見事のひと言に尽きます」
分離派会館の館内には交響曲九番をテーマにしたクリムトの大作「ベートーヴェン・フリーズ」(1901〜02)が常設されている。現在はオーストリアで2番目に大きな美術館となっているベルベデーレ宮殿。クリムトの黄金様式の時代の傑作「接吻」(1907〜08)はここで鑑賞できる。クリムトに遅れること2年後に分離派に合流したヴァーグナーも自身の作品に「金」の配色・装飾を多用した建築家だ。「ウイーン近代建築の父」とも称される彼のモットーは、「芸術の唯一の師は必要性である」だった。代表作のアム・シュタインホーフ教会クリムトを筆頭として、モーザー、シーレ、ヴァーグナー、さらにはルドルフ・フォン・アルト(1812~1905)やヨーゼフ・ホフマン(1870~1956)などそうそうたるアーティストが活動の拠点とした分離派会館。ここにもまた、金色を効果的に用いた彫刻が施されている。ファサード上部に象徴的に輝くのは「黄金のキャベツ」と別名のついた金色の月桂樹。そして正面玄関の壁には、批評家ルートヴィヒ・ヘヴェジー(1843~1910)の言葉が金文字でこう刻まれている。
「時代にはその時代にふさわしい芸術を、芸術には芸術にふさわしい自由を」
慣習に縛られず、自由を求めて広い世界へ目を向けよう。そう訴えかけているようだ。
「やはり、『金』が導いてくれるのですね」
自らの覚悟を再確認するかのように、平井はほほ笑んだ。
平井政光◎北海道生まれ。法政大学卒業後、船井総合研究所で金融商品企画コンサルティングに従事した後、マレーシア資本の投資助言会社CEO兼日本株運用責任者として勤務。ブリオン・ジャパンのマーケティング担当副社長を経て、現職。