音楽

2026.10.30 09:37

ライブ音楽の真の課題:グローバルツアーは一度も「グローバル」ではなかった

Adobe Stock

Adobe Stock

BRANDVOICE | Paid Program

もっと見る>

ライブミュージックが誰のためのもので、どこに存在し、どこに存在しないのかを見つめ直す。そうすれば、我々が取り組むべき真の課題が見えてくる。

2024年8月、アデルはミュンヘンに建設された特設スタジアムで10公演を行い、73万人以上のファンが彼女の姿を見るためにドイツ南部へと足を運んだ。ハリー・スタイルズも同様の構想を追求し、18都市を訪れた「Together, Together Tour」の一環として、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンとロンドンのウェンブリー・スタジアムで計30夜の公演を分担して開催した。そして今度はオアシスの番だ。彼らの2027年のツアーは2大陸11都市を巡るが、全公演の4分の1は地元マンチェスターで開催される。こうした動きにより、特にトップアーティストの間では、レジデンシー公演(公演開催地を減らして回数を増やす手法)がツアーの未来であると見なす人が増えている。

これには多くの理由があり、いずれも妥当なものだ。広範囲に及ぶツアーは膨大な温室効果ガスの排出を伴う。同時に、ガソリンや軽油の価格高騰、保険料の急増は利益率を圧迫する。さらに、移動先が減れば、出演者やクルーのメンタルヘルスもより良好にサポートできる。より優れた演出セットを構築して繰り返し利用できるため、より一貫性のあるクオリティを提供することも可能だ。しかし、これらの潜在的なメリットの一方で、デメリットも存在する。お気に入りのアーティストが公演を行う都市の近くに住んでいないファンが増えるため、ファンにかかる負担が大きくなる。ファンの移動に伴う排出量は、ツアー側の排出削減効果を相殺してしまう。そして、たとえ制作コストが効率化されたとしても、チケット価格が安くなることはない。

しかし、これがライブツアーの本質を変えつつあるという主張は誤解を招くものだ。ツアー市場のトップ層は、それを実行する資金や手段を持っているため、自らの選択でやりたいことを選ぶことができる。起きているのは変化というよりも、以前から常に事実であったことへの認識に過ぎない。グローバルツアーは、これまで一度もグローバルであったことなどないのだ。そして、我々が過剰にスーパースターのレジデンシー公演に捉われるのではなく、焦点を当てて解決に取り組むべきなのは、まさにこの問題なのである。

これこそが真の問題だ

これはアーティストのせいでもなければ、あえて言えば、ライブミュージック業界の大部分のせいでもない。問題は、ライブミュージックが経済財としてどのように理解されているか、なぜ存在するのか、そして重要なことに、誰のためのものであるかという点にある。反論があるかもしれないが、人々が暮らす大部分の場所において、ライブミュージックは「娯楽」として捉えられている。エンターテインメントであり、「あれば嬉しいもの」なのだ。我々は生活必需品の支払いを済ませた後に、そのために貯金する。それは一時的な逃避や体験であり、始まって終われば、我々は元の日常に戻る。

アウトプット(提供されるもの)はそうかもしれないが、インプット(投入される要素)は正反対だ。ライブミュージックとは、インフラであり、雇用であり、スキルや職業であり、それらすべてが数時間に広がる一連の瞬間に凝縮されたものなのだ。インフラ支援や優遇税制、その他の権利でライブミュージックを後押ししている米国や英国のような国々においてさえ、依然としてリスクを伴うビジネスである。しかし、それは一つのビジネスであり、一部の人々にとっては繁栄している事業だ。それにもかかわらず、人々が暮らす大部分の場所を含む他のほとんどの国々では、そもそもリスクを取るべきビジネス自体がほとんど存在しない。

確かに、どの国にもサッカーリーグがあるように、多くの場所でスタジアムコンサートや体験イベントは存在する。しかし、ライブミュージックを取り巻く持続可能でロングテールなビジネスとは、それ以上のものだ。サッカーチームを持っていることがチャンピオンズリーグへの出場を保証するわけではないのと同じである。ライブであれ何であれ、音楽を中心としたビジネスを生み出すには、普段我々が意識することのない舞台裏で、多くのものが存在し、正しく機能していなければならない。ライブミュージックを梯子(はしご)に例えてみよう。最初は教会の奥の部屋やパブから始まり、最終的にスタジアムに到達するかもしれないが、一段一段登っていくためには、その下の段が存在していなければならない。重要なのはその「踏み段」だ。あらゆる規模の会場(特に草の根レベルのコミュニティ会場)、警備、設営、輸送、物流、会計、舗装された道路と信頼できる電力網、そして税制、税関、ビザ、就労許可に関する明確で予測可能なルール。これらの踏み段がつながって初めて、アーティストは階段を登り、ツアーのルートが組めるようになる。

探求や投資ができないのであれば、誰も投資しないのではないか。ライブミュージックが行われていないというわけではない。当然、毎晩のようにあらゆる場所で行われている。しかし、ツアーを行う機会を生み出す相互のつながりが欠如しているのだ。このことが原因で、例えばナイジェリア人アーティストが米国でアリーナツアーを行えても、理論的には可能であるにもかかわらず、自国ナイジェリアでのツアーを行わないという状況が生まれる。ツアーを促進するのではなく、意欲を削ぐような仕組みが存在しているため、インセンティブがほとんどないのだ。

欠如しているのはデータだ

こうした状況は、データの欠如によってさらに拍車がかかっている。世界の大半の国において、海外アーティストだけでなく国内アーティストに関しても、ライブミュージックの可能性を示す検証可能なデータが存在しない。数字が存在する場所でも、その規模は小さい。PwCによると、アフリカ大陸で最もライブ市場が発達している南アフリカの2024年のライブミュージックチケット売上高は7600万ドル(約120億円)だった。これに対し、テイラー・スウィフトの「Eras Tour」は全149公演で20億7000万ドル(約3270億円)以上の興行収入を記録した。これは単一のツアーだけで、南アフリカの年間ライブミュージック市場全体の約27倍に相当する。

舗装された道路、安定した電力、安全・安心な会場、そして真面目な努力が報われる税制や税関システムを、我々が気づかないところで繰り返し機能させるためには、これらが構築する価値のあるシステムであると全員が合意する必要がある。これこそがインフラの役割であり、インフラ投資を加速させる上で音楽が極めて強力なユースケースとなる理由だ。レジデンシー公演の増加が温室効果ガス排出の負担を観客側に転嫁することは確かだが、より広く平準化されたツアーインフラ(より多くの場所でのツアー開催)が整えば、単純に地理的な要因からその影響を軽減できる可能性がある。そうなれば、音楽が成長するために必要な要素や、数時間の娯楽を楽しむこと以上にインフラ構築がなぜ重要なのかに対して、努力と投資が注がれるようになるだろう。そうすれば、レジデンシー公演の拡大を批判することが無意味な行為であることに気づくはずだ。

ライブミュージックをインフラとして再考する必要がある

この状況を変えるには、ライブミュージックをインフラ、あるいは開発の一形態として捉える必要がある。ライブミュージックの未来がどうあるべきかを問い直し、その未来はあらゆる場所に存在しなければならないと認識すべきだ。しかし、これが実現するのは、ライブミュージックを「やりたいことを何でもできる手段を持つアーティストによって変化させられているもの」としてではなく、「インフラ問題に対する解決策」と位置付けた場合のみである。そうすることで、我々はオアシスの公演が見られないことを憂慮する時間を減らし、なぜ近所に本来あるべき会場が存在しないのかを考えることにもっと時間を割くようになるだろう。

(forbes.com 原文)

タグ:

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事