答えがすぐには分からないとき、論理を展開するのに数分以上かかるとき、文脈を見失って3ページ前に戻らなければならないとき、あなたは読み続けるだろうか。若者の間で、そうしない傾向が強まっているかもしれない。
15歳が学んだことをどれだけ応用できているかを測定する国際的な学習到達度調査の最新結果で、私の目をすぐに引いたある読書の傾向に名前が付けられていた。それが「せっかちな読者(hasty readers)」だ。
91の国・地域を対象に生徒の学習到達度を評価する2025年のOECD生徒の学習到達度調査(PISA)によれば、これらは「文章を急いで読み、素早く答えるものの誤った解答を出す」生徒のことだ。2018年から2025年にかけて、せっかちな読者の割合はほぼ倍増した。
全体的な結果からは、読解力に関する課題がより鮮明に浮かび上がる。難問に対して無回答のままにするのではなく、素早く誤った回答を出す生徒が増加した。また、長文の精読や、情報の評価、読んだ内容の熟考、複数の情報源にわたるアイデアの関連付けを求められる課題にも苦戦していた。
これは懸念すべき事態だ。低下しつつあるスキル──情報を吟味し、判断力を働かせ、読んだ内容について批判的に考えること──こそ、若者がこれから踏み出す社会を生きていく上で最も必要とされる能力なのだ。
今の世代は、コンテンツと情報の濁流の中で成人を迎えつつあり、彼らが消費するものの多くはスピード重視で設計されている。通知は瞬時に届き、動画は自動的に再生される。検索機能は、質問を最後まで入力し終える前にその内容を予測する。それが正確か、完全か、信頼できるかを疑う暇もなく、最も素早い答えが届くことが多い。スクロールし、要約し、スワイプして、次へと進む。
人工知能(AI)はそのスピードを次元の異なるレベルへと引き上げる。私たちが最初の1ページを読み終える前に、600ページの書籍を数行の箇条書きに要約してしまうのだ。付加価値の低い作業をテクノロジーによって加速させ、自らの思考により多くの時間を割くことには価値がある。
しかし、そこから重大な疑問が生じる。答えがあふれる時代において、若者たちはスピードがもはや自分たちの役に立たなくなる瞬間を認識できているだろうか。素早く答えを得ることと、それを理解することは別物だ。現代の若者には、論理を理解できるまで長く追いかけ、次々と押し寄せる情報を検証することが求められている。どの情報を信頼すべきかを判断し、欠落しているものを見極め、AIの要約が説得力を持つように見えても根拠がその結論を裏付けていない場合には、前に戻って読み直す必要がある。
テクノロジーはこれらのスキルの価値を低減させているのではない。それらを身につけることの重要性をむしろ高めているのだ。
「せっかちな読解」の急増の背景にあるものとは?
ソーシャルメディアだろうか。画面を見る時間だろうか。それともAIだろうか。
PISAを実施する経済協力開発機構(OECD)は「確かなことは言えない」と結論付けている。しかし分析ではこう続けられている。「読書を楽しむ機会の減少や、ソーシャルメディアのフィードの速読、情報の急速な処理といったデジタル読書への移行が、複雑な文章やデータを読み解く生徒の能力を損なっている可能性がある」
娯楽のための読書が長年にわたって減少していることは、明確なデータが示している。しかし、デジタル読書に関する研究はより複雑だ。17万1000人以上の読者を対象とした2018年のメタ分析では、特に情報的な文章を読む場合や時間の制約がある場合において、デジタル画面よりも紙での読書の方がわずかに読解上の優位性があることが示された。
しかし、37の実験研究をまとめた2024年のメタ分析では、紙とデジタルのいずれの読書においても、読解における明確な全体的優位性は見られなかった。結果は読者、文章、読書環境によって異なっていた。媒体も重要ではあるが、読書力を伸ばすために必要な習慣ほど重要というわけではない。
おそらく「せっかちな読解」の増加は驚くべきことではないのだろう。ほぼすべての情報を即座に検索し、要約し、あるいは生成できる時代に、若者が最も手早いルートを探すようにならない理由があるだろうか。スピードと検索性は極めて有用であり、時には最も手早いルートが正しいこともある。必要な3ページを見つけるために40ページを速読したり、議論の概略を把握するために複数の情報源をスキャンしたりする必要がある場合もあるだろう。
英経済紙フィナンシャル・タイムズの最近のコラムで、サラ・オコナーはもう一つの問いを投げかけた。「私たちは努力を嫌うようになっているのだろうか?」。彼女はPISAのもう一つの調査結果を指摘している。OECD諸国の生徒の約3人に1人が、宿題が長すぎると途中でやめてしまうと答えており、この数字は2022年以降増加している。
だが、努力不足がその答えだとは私は思わない。確かに今の若者は、一定の努力を「しなくてもよいもの」にするのが得意な社会で育っている。しかし、教育者としての長年の経験の中で、私は生徒たちが自らの強い関心事──パフォーマンスの完成度を高めること、スポーツを極めること、数カ月がかりのプロジェクトに没頭すること──に打ち込む姿を何度も目にしてきた。彼らには驚くほどの努力を払う能力があるのだ。
その解決策は、生徒たちに「もっとゆっくり読みなさい」「もっと努力しなさい」と言ったり、作業の効率化に役立つデジタルツールから遠ざけたりすることではないはずだ。重要なのは、スピードが学びの糧となるときと、学びを損なうリスクとなるときを判別することである。それは、教室の中だけでなく、思想家、問題解決者、そしてこれから形成される未来の構築者として一生涯にわたり意思決定を行っていく上で、育む価値のある能力なのだ。
20年、30年、50年後の世界を若者たちが生きていくために何が必要になるのか、そのすべてを予測することはできない。しかし、加速度的に進歩するテクノロジーに支えられ、過去のどの世代よりも情報が豊富で入手しやすい未来に彼らが入ろうとしていることだけは確かだ。
私たちの責任は、若者が情報を正しく理解するための知識、疑問を抱くための判断力、そしてそれを活用して格別な何かを生み出すための想像力を備えられるようにすることだ。「せっかちな読者」の問題点は、焦りそのものにあるのではない。答えに急いでたどり着こうとする中で、彼らが失うリスクのあるすべてにあるのだ。



