経営・戦略

2026.10.27 14:15

ハッキングなき「機密情報流出」の真因──地政学リスクが突く内部の盲点

Iftekhar Emon/ Shutterstock.com

経営者のジレンマを解くために

この構図は、日本企業にとっても対岸の火事ではない。世界市場で高いシェアを占めるニッチな材料や部材のメーカー、いわば事実上のチョークポイントとなっている企業が、日本には数多く存在する。外国企業がこうした企業の技術人材を喉から手が出るほど欲しがっているのは、当然のことだ。ところが多くの企業では、地政学リスクの評価は国や拠点の単位に留まり、「どの職種の誰が、どの技術情報に触れ、どの国のどの企業からアプローチされ得るか」という個人の単位まで分解されていない。その背景にあるのが、前述の通り社内組織の「縦割り」である。これこそが盲点の正体だ。

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もちろん、この問題を国籍や民族といった個人の属性によって人を疑う議論にしてはならない。見るべきは、業務上の役割やアクセス権、そしてその人が置かれている環境である。英国の国家保護保安庁(NPSA)の指針は、研究と知財の保護とは人を排除することではなく、「国際協力の利益とリスクを理解したうえで信頼できる関係を築くことだ」という考え方を示しているが、まさにその通りだ。

ここには、経営者にとってのジレンマがある。社員個人の属性で差別してはいけないが、技術やノウハウは守らなければならない。重要なのは、国籍や経歴といった属性で人を判断するのではなく、業務上の役割に応じたリスクの範囲を明確にし、退職・転職プロセスや競合への移動に関する規範をあらかじめ整備しておくことだ。特定の誰かを疑うのではなく、「人と組織の双方を守るルール設計」こそが、技術を競争力の中核に置く企業の責任である。

盲点2.「語られ方」は制御できない——政治化するナラティブ

企業のリスクは行動そのものだけでなく、それが「どう語られるか」によっても決まる。海外への投資、調達方針、経営者の発言、広告表現──国家間の対立が先鋭化した環境下では、あらゆる行動が企業の意図とは無関係に政治的な意味を付与され、対立の「当事者」として位置付けられるリスクを孕んでいる。

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象徴的なのが、24年11月のファーストリテイリングを巡る出来事だ。同社会長の柳井正氏が英BBCの取材に対し、ユニクロの製品に新疆綿を「使っていない」と初めて明言した。背景には、人権侵害への懸念から新疆関連製品の輸入を規制する米国の「ウイグル強制労働防止法(UFLPA)」など、欧米市場での法遵守という現実があった。一方で同社はそれまで、欧米の規範要請と巨大な中国市場との狭間で、特定の政治的立場をとらず、人権問題等への明確な言及を注意深く避けてきた経緯がある。

柳井氏は、BBC記者からの質問に対して事実を答えたに過ぎなかったが、中国のSNS上では直ちに不買を呼びかける声が拡散され、中国メディアもこれを大きく取り上げた。事実の確認ひとつで、政治的争点の中心に置かれたのである。

こうした事態は珍しくない。H&Mでは21年、「サプライチェーンにおける強制労働への懸念から、新疆ウイグル自治区からの綿花調達を停止する」という過去の声明が突如として中国のSNSで再炎上。店舗が封鎖され、地図アプリからも削除された。

NBAでは19年、ヒューストン・ロケッツのゼネラルマネージャーによる香港の民主化デモに関するツイートが中国で大規模な不買と放送停止を招き、リーグ全体の収益に数億ドル規模の影響が出たと報じられている。いずれも、企業や個人の意図とは無関係に「語られ方」が政治化された事例だ。

背景には、国家レベルの情報環境の変化がある。欧州対外活動庁(EEAS)は24年1月の公式レポートで、外国による情報操作・干渉(FIMI)を「意図的かつ組織的に情報空間を操作する行為」と定義し、日本を含む53カ国が標的になったと報告している。米国のシンクタンクCSISも、外国の影響工作が企業の評判毀損や商機の喪失をもたらしていると分析している。

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文=岡部貴士

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