4歳の子どもに十分な食べ物があるかを心配しているかもしれません。それは、年間に数百ドル、あるいは数千ドルといった金額が手に入るかどうか――それによって、少し早めに引退できるかもしれない――といったこととは、全く次元が異なります。それは、生死に関わる問題なのです。
所得が低いことは本来、道徳的には中立であるべきです。私たちの中には所得が高い人もいれば、低い人もいます。しかし私たちは、高所得の人々に対して行うようには、特定の人々にその中立性を広げていません。
ニャンドロ:著書のために調査を行ったことで、貧困であることが実際に何を意味するのかについてのあなたの考えは、どのように変わり、あるいは深まりましたか。
ロウリー:私たちには今もなお、働いているなら公的給付の要件は問題にならないはずだという考えがあります。そしてそれは、「H.R. 1」(編集部注:2025年に成立した大型の予算調整法案「One Big Beautiful Bill Act」を指す)によってさらに広がりました。この法案はMedicaid(連邦政府と州政府による公的医療扶助制度)に全国的な就労要件を設け、SNAP(補助的栄養支援プログラム)の就労要件を拡大しました。政府の主張は、これは削減ではない、なぜなら人々は月80時間といった単純な要件を満たすか、保護対象の分類のいずれかに該当するからだ、というものでした。
しかし医療扶助は食費には回せません。売ることもできません。医療にアクセスする以外には何もできません。他の研究から、就労要件が人々の働くという判断を変えないことはわかっていました。そして仮に低所得の人が働くことを拒むとしても、それは非常にまれですが、それでも私はその人が医療を受けるに値すると思います。医療を受けられないことが、その人にとってどう良いのでしょうか。
貧困の根本原因に関する私たちの社会的理解は、大きく変わりました。20年、30年前であれば、多くの人は、その人が貧しいのは本人の意思決定のせいだと言ったでしょう。今では、貧困は労働市場、世代間の貧困、あるいはコミュニティへの投資不足によるものだと言う人がはるかに増えています。貧困を、私たちが防ぐことのできる社会的帰結として見ているのです。


